神皇正統記 / 巻一 地神第三代 瓊々杵尊
天孫のあやめ給ければ、はらたちて無戸室をつくりてこもりゐて、みづから火をはなちしに、三人の御子生給。ほのほのおこりける時、生ますを火闌降の命と云ふ。火のさかりなりしに生ますを火明命と云ふ。後に生ますを火火出見の尊と申。此三人の御子をば火もやかず、母の神もそこなはれ給はず。父の神悦まし〳〵けり。此尊天下を治給事三十万八千五百三十三年と云へり。自是さき、天上にとゞまります神達の御事は年序はかりがたきにや。天地わかれしより以来のこと、いくとせをへたりと云こともみえたる文なし。抑、天竺の説に、人寿無量なりしが八万四千歳になり、それより百年に一年を減じて百二十歳の時釈迦仏出で給と云る、此仏出世は鸕鶿草葺不合尊のすゑざまの事なれば、百年に一年を増してこれをはかるに、此瓊々杵の尊の初つかたは迦葉仏の出給ける時にやあたり侍らん。人寿二万歳の時、此仏は出給けりとぞ。
書き下し
天孫のあやめ給ければ、はらたちて無戸室をつくりてこもりゐて、みづから火をはなちしに、三人の御子生給。ほのほのおこりける時、生ますを火闌降の命と云ふ。火のさかりなりしに生ますを火明命と云ふ。後に生ますを火火出見の尊と申。此三人の御子をば火もやかず、母の神もそこなはれ給はず。父の神悦ましましけり。此尊天下を治給事三十万八千五百三十三年と云へり。自是さき、天上にとゞまります神達の御事は年序はかりがたきにや。天地わかれしより以来のこと、いくとせをへたりと云こともみえたる文なし。抑、天竺の説に、人寿無量なりしが八万四千歳になり、それより百年に一年を減じて百二十歳の時釈迦仏出で給と云る、此仏出世は鸕鶿草葺不合尊のすゑざまの事なれば、百年に一年を増してこれをはかるに、此瓊々杵の尊の初つかたは迦葉仏の出給ける時にやあたり侍らん。人寿二万歳の時、此仏は出給けりとぞ。
現代語訳
天孫が疑われたので、姫は腹を立てて戸のない室を作ってこもり、自ら火を放ったところ、三人の御子が生まれた。炎が起こったときに生まれたのを火闌降命という。火の盛んなときに生まれたのを火明命という。後に生まれたのを彦火火出見尊と申しあげる。この三人の御子を火も焼かず、母の神も損なわれなかった。父の神は喜ばれた。この尊(瓊瓊杵尊)が天下を治められたことは三十万八千五百三十三年という。これより前、天上にとどまられた神々のことは、年数を測りがたいのであろうか。天地が分かれて以来、何年を経たかということも見える文献がない。そもそも天竺の説で、人の寿命は無量であったのが八万四千歳になり、それから百年に一年ずつ減って百二十歳のとき釈迦仏が出られたというが、この仏の出世は鸕鶿草葺不合尊の末ごろのことであるから、百年に一年を増してこれを計算すると、この瓊瓊杵尊の初めごろは迦葉仏が出られた時にあたるのであろうか。人の寿命が二万歳のとき、この仏は出られたという。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊第五代、彦波激武鸕鶿草葺不合尊と申。御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。御姨玉依姫にとつぎて四はしらの御子をうましめ給ふ。彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、日本磐余彦の尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣をなんつがしめましましける。此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犠と云王あり。次、神農氏、次、軒轅氏、三代あはせて五万八千四百四十年。其後に少昊氏、顓頊氏、高辛氏、陶唐氏、有虞氏と云五帝あり。合て四百三十二年。其次、夏・殷・周の三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代と成て第四代の主を昭王と云き。その二十六年甲寅の年までは周おこりて一百二十年。このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。ことし天竺に釈迦仏出世しまします。同き八十三万五千七百五十三年に、仏御年八十にて入滅しましましけり。もろこしには昭王の子、穆王の五十三年壬甲にあたれり。其後二百八十九年ありて、庚申にあたる年、此神かくれさせまします。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊かくて此瓊々杵の尊、天降ましゝに猨田彦と云神まゐりあひき。てりかゝやきて目をあはする神なかりしに、天の鈿目の神行あひぬ。又「皇孫いづくにかいたりましますべき。」と問しかば、「筑紫の日向の高千穂の槵触の峯にましますべし。われは伊勢の五十鈴の川上にいたるべし。」と申。彼神の申のまゝに、槵触の峯にあまくだりて、しづまり給べき所をもとめられしに、事勝・国勝と云神まいりて、「わがゐたる吾田の長狭の御崎なんよろしかるべし。」と申ければ、その所にすませ給けり。こゝに山の神大山祇、二の女あり。姉を磐長姫と云、妹を木の花開耶姫と云。二人をめしみ給。あねはかたちみにくかりければ返しつ。いもうとを止め給しに、磐長姫うらみいかりて、「我をもめさましかば、世の人はいのちながくて磐石の如くあらまし。たゞ妹をめしたれば、うめらん子は木の花の如くちりおちなむ。」ととこひけるによりて、人のいのちはみじかくなれりとぞ。木の花のさくやひめ、ゝされて一夜にはらみぬ。
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『神皇正統記』巻一 地神第四代 彦火々出見尊満珠をいだしてねぎ給へば、塩みちきて、このかみおぼれぬ。なやまされて、「俳優の民とならん。」とちかひ給しかば、ひる珠をもちて塩をしりぞけ給き。これより天日嗣をつたへましましける。海中にて豊玉姫はらみ給しかば、「産期にいたらば、海辺に産屋を作て待給へ。」と申き。はたして其妹玉依姫をひきゐて、海辺に行あひぬ。屋を作て鸕鶿の羽にてふかれしが、ふきもあへず、御子うまれ給によりて鸕鶿草葺不合尊と申す。又産屋をうぶやと云事もうのはをふけるゆゑなりとなん。さても「産の時み給な。」と契申しを、のぞきて見ましければ、龍になりぬ。はぢうらみて、「われにはぢみせ給はずは、海陸をして相かよはしへだつることなからまし。」とて、御子をすておきて海中へかへりぬ。後に御子のきらきらしくましますことをきゝて憐み崇めて、妹の玉依姫を奉て養ひまゐらせけるとぞ。此尊、天下を治給こと六十三万七千八百九十二年と云へり。震旦の世の始をいへるに、万物混然としてあひはなれず。是を混沌と云ふ。
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『神皇正統記』巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊すべて天下を治給こと八十三万六千四十三年と云り。これより上つかたを地神五代とは申けり。二代は天上にとゞまり給。下三代は西の州宮にて多の年をおくりまします。神代のことなれば、其行迹たしかならず。葺不合の尊八十三万余年ましまししに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに人王の代となりて、暦数も短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。されど、神道の事おしてはかりがたし。まことに磐長姫の詛けるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第ありて減たりとはみえず。又百王ましますべしと申める。十々の百には非るべし。窮なきを百とも云り。百官百姓など云にてしるべき也。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「宝祚之隆当与天壌無窮。」とあり。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。況や三種の神器世に現在し給へり。きはまりあるべからざるは我国を伝る宝祚也。あふぎてたつとびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊第三代、天津彦々火瓊々杵尊。天孫とも皇孫とも申。皇祖天照太神・高皇産霊尊いつきめぐみましましき。葦原の中州の主として天降給はんとす。こゝに其国邪神あれてたやすく下給ことかたかりければ、天稚彦と云神をくだしてみせしめ給しに、大汝の神の女、下照姫にとつぎて、返こと申さず。みとせになりぬ。よりて名なし雉をつかはしてみせられしを、天稚彦いころしつ。其矢天上にのぼりて太神の御まへにあり。血にぬれたりければ、あやめ給て、なげくだされしに、天稚彦新嘗てふせりけるむねにあたりて死す。世に返し矢をいむは此故也。さらに又くださるべき神をえらばれし時、経津主の命武甕槌の神みことのりをうけてくだりましけり。出雲国にいたり、はかせる剣をぬきて、地につきたて、其上にゐて、大汝の神に太神の勅をつげしらしむ。その子都波八重事代主神あひともに従申。又次の子健御名方刀美の神したがはずして、にげ給しを、すはの湖までおひてせめられしかば、又したがひぬ。
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『神皇正統記』巻一 天神七代次、素戔烏尊を生ます。いさみたけく不忍にして父母の御心にかなはず。「根の国にいね。」との給ふ。この三柱は男神にてまします。よりて一女三男と申也。すべてあらゆる神みな二神の所生にましませど、国の主たるべしとて生給しかば、ことさらに此四神を申伝けるにこそ。其後火神軻倶突智を生ましましし時、陰神やかれて神退給にき。陽神うらみいかりて、火神を三段にきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主の神健甕槌神の祖也。陽神猶したひて黄泉までおはしましてさまざまのちかひありき。陰神うらみて「此国の人を一日に千頭ころすべし。」との給ければ、陽神は「千五百頭を生べし。」との給けり。よりて百姓をば天の益人とも云ふ。死るものよりも生ずるものおほき也。陽神かへり給て、日向の小戸の河檍が原と云所にてみそぎし給。この時あまたの神化生し玉へり。日月神もこゝにて生給と云説あり。伊弉諾尊神功すでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に報命申て、即天にとゞまり給けりとぞ。或説に伊弉諾・伊弉冊は梵語なり、伊舎那天・伊舎那后なりと云ふ。
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