神皇正統記 / 巻一 地神第四代 彦火々出見尊
其後軽清物は天となり、重濁物は地となり、中和気は人となる。これを三才と云。其はじめの君盤古氏、天下を治こと一万八千年。天皇・地皇・人皇など云王相続て、九十一代一百八万二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年。広雅と云書には、開闢より獲麟に至て二百七十六万歳とも云ふ。獲麟とは孔子の在世、魯の哀公の時なり。日本の懿徳にあたる。しからば、盤古のはじめは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
書き下し
其後軽清物は天となり、重濁物は地となり、中和気は人となる。これを三才と云。其はじめの君盤古氏、天下を治こと一万八千年。天皇・地皇・人皇など云王相続て、九十一代一百八万二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年。広雅と云書には、開闢より獲麟に至て二百七十六万歳とも云ふ。獲麟とは孔子の在世、魯の哀公の時なり。日本の懿徳にあたる。しからば、盤古のはじめは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
現代語訳
その後、軽く清いものは天となり、重く濁ったものは地となり、中ほどの和した気は人となる。これを三才という。その初めの君である盤古氏は天下を治めること一万八千年。天皇・地皇・人皇などという王が相続いて、九十一代、一百八万二千七百六十年。先の分と合わせて一百十万七百六十年。『広雅』という書には、開闢から獲麟に至るまで二百七十六万年ともいう。獲麟とは孔子の在世中、魯の哀公の時のことである。日本の懿徳天皇の御代にあたる。そうであれば、盤古の初めはこの尊の御代の末ごろにあたるのであろうか。
解説
中国の開闢説を日本の神代の年代に重ねる段である。天・地・人を三才とし、盤古から天皇・地皇・人皇と続く伝説上の王の年数を積み上げて、中国の歴史の始まりを割り出す。さらに『広雅』の、開闢から獲麟までを二百七十六万年とする説も引く。獲麟は魯の哀公の時に麒麟が捕らえられた出来事で、孔子が『春秋』の筆を止めたとされる年である。親房はこれを日本の懿徳天皇の代に当て、そこから逆算して、盤古の始まりは彦火火出見尊の治世の末ごろに当たるのではないかと推定する。天竺の年代に続いて中国の年代とも照合し、三国の歴史を一本の時間軸に並べようとしているのである。数字そのものはいずれも伝説上のものだが、別々に語られてきた歴史を同じ物差しの上に置いてみるという発想は、比較して考えるための第一歩になる。
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