中朝事実 / 天先章・天地の生成と国常立尊・二神の功
天先成。而地後定。然後神明生其中焉。號國常立尊。 書曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。 謹按。元者氣也。故輕揚。地者形也。故垂凝。人者二氣之精神也。故位其中。凡天地人之生。元無先後。形氣神不可獨立也。天地人之成。未嘗無先後。氣倡之。形和之。神制之也。蓋草昧屯蒙之間。聖神立其中。悠久而不變。是所以尊其神號。國常天中也。夫天道無息而高明也。地道久遠而厚博也。人道恒久而無疆也。天得其中而日月明。地得其中而萬物載。人得其中而天地位。恒中之義。萬代之神聖所以正其祚也。二神之迹。今雖不可知焉。竊幸得聞常中之二尊號。是本朝治敎休明之實也。天下之治恒久。而萬物之情可以觀之。至誠無息以制其中。禮乃明也。政恒則不變。禮行則不犯。神聖之知德。萬世之規範也。 凡神神相生。乾坤之道相參而化。所以成此男女。自國常立尊迄伊弉諾尊・伊弉冊尊。是謂神世七代者矣。 謹按。次第之天神生生悠久之間。因天地之實。以建此皇極也。此間不可容庸愚之舌頭。 伊弉諾尊・伊弉冊尊。巡國中之柱。定男女之禮。生大八洲及海川山草木鳥獸魚蟲。致蒼生可食而活。敎養蠶之道。生諸神。定其分。功既至。德亦大。靈運當遷。寂然長隱者矣。 謹按。伊弉諾・伊弉冊者。陰陽唱和之發語也。二神者。陰陽之全集。故以奉此尊號也。蓋草昧悠久之間。天神生生之後。二神初立中國。而正男女之大倫。男女者陰陽之本。五倫之始也。有男女。而後夫婦・父子・君臣之道立。二神終制大八洲。奠山川。導河海。草木・種藝・鳥獸得處。人始得平土。播五穀。植桑麻。而蒼生之衣食居足。既足則不無敎戒。故命諸神聖。以有其境。二神之功業。萬世以免左衽。丕顯哉。丕承哉。 以上論天地生成之義。謹按。天地者陰陽之大極也。陰陽甚殊其用。而互交其根。遠而近。近而遠。所其形有五。所謂木火土金水也。木火者陽。而金水者陰也。土者兼其二而位其中。陰必含陽。故水形柔也。陽必萌陰。故火用烈也。水火者象也。金木者形也。火者氣也。純昇而不止。水者形也。專降者盈科。陽之昇。陰必從之。陰之降。陽必從之。故昇降亦無息矣。夫積氣之間。其精秀爲日月星辰。其動靜爲河漢風電。而有雲雨霜雷之用。夫地者形滓之凝以爲土。其積也不息。而山岳丘陵川河谷澤載之不辭。陰陽無窮。而有經緯。有四時。有日之長短。有時之寒暑。有一年一月。有一日一刻。有二十四節。有七十二候。有日月之蝕。有氣盈朔虛。是天地互交。以爲千態萬變也。人亦在萬物之一。而禀其精。得其中。其智之靈致之。則無不通。其德之明盡之。則無不感。故形容天地不言之妙。模樣乾坤幽微之誠。以造曆象。考時日。定人物之極。建萬世之敎。然乃天地者人倫之大原而神聖者天地之性心也。人君仰觀俯察。以正上下。定尊卑。致其智。而後可參乎天地也。或疑。天地有心乎。愚謂。既有其形氣。則未嘗無其性心。天地以無息爲心。故消長往來。終而復初。神聖以常中爲心。故常彊明其德。是天地神聖所以一其原也。
新字:天先成。而地後定。然後神明生其中焉。号国常立尊。 書曰。高天原所生神名。曰天御中主尊。 謹按。元者気也。故軽揚。地者形也。故垂凝。人者二気之精神也。故位其中。凡天地人之生。元無先後。形気神不可独立也。天地人之成。未嘗無先後。気倡之。形和之。神制之也。蓋草昧屯蒙之間。聖神立其中。悠久而不変。是所以尊其神号。国常天中也。夫天道無息而高明也。地道久遠而厚博也。人道恒久而無疆也。天得其中而日月明。地得其中而万物載。人得其中而天地位。恒中之義。万代之神聖所以正其祚也。二神之迹。今雖不可知焉。窃幸得聞常中之二尊号。是本朝治教休明之実也。天下之治恒久。而万物之情可以観之。至誠無息以制其中。礼乃明也。政恒則不変。礼行則不犯。神聖之知徳。万世之規範也。 凡神神相生。乾坤之道相参而化。所以成此男女。自国常立尊迄伊弉諾尊・伊弉冊尊。是謂神世七代者矣。 謹按。次第之天神生生悠久之間。因天地之実。以建此皇極也。此間不可容庸愚之舌頭。 伊弉諾尊・伊弉冊尊。巡国中之柱。定男女之礼。生大八洲及海川山草木鳥獣魚虫。致蒼生可食而活。教養蠶之道。生諸神。定其分。功既至。徳亦大。霊運当遷。寂然長隠者矣。 謹按。伊弉諾・伊弉冊者。陰陽唱和之発語也。二神者。陰陽之全集。故以奉此尊号也。蓋草昧悠久之間。天神生生之後。二神初立中国。而正男女之大倫。男女者陰陽之本。五倫之始也。有男女。而後夫婦・父子・君臣之道立。二神終制大八洲。奠山川。導河海。草木・種芸・鳥獣得処。人始得平土。播五穀。植桑麻。而蒼生之衣食居足。既足則不無教戒。故命諸神聖。以有其境。二神之功業。万世以免左衽。丕顕哉。丕承哉。 以上論天地生成之義。謹按。天地者陰陽之大極也。陰陽甚殊其用。而互交其根。遠而近。近而遠。所其形有五。所謂木火土金水也。木火者陽。而金水者陰也。土者兼其二而位其中。陰必含陽。故水形柔也。陽必萌陰。故火用烈也。水火者象也。金木者形也。火者気也。純昇而不止。水者形也。専降者盈科。陽之昇。陰必従之。陰之降。陽必従之。故昇降亦無息矣。夫積気之間。其精秀為日月星辰。其動静為河漢風電。而有雲雨霜雷之用。夫地者形滓之凝以為土。其積也不息。而山岳丘陵川河谷沢載之不辞。陰陽無窮。而有経緯。有四時。有日之長短。有時之寒暑。有一年一月。有一日一刻。有二十四節。有七十二候。有日月之蝕。有気盈朔虚。是天地互交。以為千態万変也。人亦在万物之一。而禀其精。得其中。其智之霊致之。則無不通。其徳之明尽之。則無不感。故形容天地不言之妙。模様乾坤幽微之誠。以造暦象。考時日。定人物之極。建万世之教。然乃天地者人倫之大原而神聖者天地之性心也。人君仰観俯察。以正上下。定尊卑。致其智。而後可参乎天地也。或疑。天地有心乎。愚謂。既有其形気。則未嘗無其性心。天地以無息為心。故消長往来。終而復初。神聖以常中為心。故常彊明其徳。是天地神聖所以一其原也。
書き下し
天先ず成りて、地後に定まる。然る後、神明その中に生まる。国常立尊と号す。 書に曰く、高天原に所生れる神の名は、天御中主尊と曰う、と。 謹んで按ずるに、元とは気なり。故に軽く揚がる。地とは形なり。故に垂れて凝る。人とは二気の精神なり。故に其の中に位す。凡そ天地人の生は、元より先後無し。形・気・神は独り立つべからざればなり。天地人の成は、未だ嘗て先後無くんばあらず。気これを倡え、形これに和し、神これを制するなり。蓋し草昧屯蒙の間、聖神其の中に立ち、悠久にして変ぜず。是れ其の神号を尊びて、国常天中と曰う所以なり。夫れ天道は息む無くして高明なり。地道は久遠にして厚博なり。人道は恒久にして疆り無し。天は其の中を得て日月明らかに、地は其の中を得て万物載せ、人は其の中を得て天地位す。恒中の義は、万代の神聖の其の祚を正す所以なり。二神の迹は、今は知るべからずと雖も、竊かに幸いに常中の二尊号を聞くことを得たり。是れ本朝の治教休明の実なり。天下の治恒久にして、万物の情以て之を観るべし。至誠息む無くして以て其の中を制せば、礼乃ち明らかなり。政恒なれば則ち変ぜず、礼行わるれば則ち犯さず。神聖の知徳は、万世の規範なり。 凡そ神神相生まれ、乾坤の道相参じて化し、以て此の男女を成す所以なり。国常立尊より伊弉諾尊・伊弉冊尊に迄るまで、是れを神世七代と謂う。 謹んで按ずるに、次第の天神、生生悠久の間、天地の実に因りて、以て此の皇極を建つ。此の間、庸愚の舌頭を容るべからず。 伊弉諾尊・伊弉冊尊、国中の柱を巡り、男女の礼を定め、大八洲及び海・川・山・草木・鳥獣・魚虫を生み、蒼生をして食らいて活くべからしめ、養蚕の道を教え、諸神を生み、その分を定む。功既に至り、徳も亦た大なり。霊運当に遷るべくして、寂然として長く隠れたまう。 謹んで按ずるに、伊弉諾・伊弉冊とは、陰陽唱和の発語なり。二神は陰陽の全集なり。故に以て此の尊号を奉るなり。蓋し草昧悠久の間、天神生生の後、二神初めて中国に立ち、男女の大倫を正す。男女は陰陽の本、五倫の始めなり。男女有りて後、夫婦・父子・君臣の道立つ。二神、終に大八洲を制し、山川を奠め、河海を導き、草木・種芸・鳥獣処を得たり。人始めて平土を得て、五穀を播き、桑麻を植え、蒼生の衣食居足る。既に足れば則ち教戒無くんばあらず。故に諸の神聖に命じて、以て其の境を有たしむ。二神の功業、万世左衽を免るる。丕いに顕らかなるかな、丕いに承くるかな。 以上、天地生成の義を論ず。謹んで按ずるに、天地とは陰陽の大極なり。陰陽は甚だ其の用を殊にして、互いに其の根を交う。遠くして近く、近くして遠し。其の形を所とするもの五有り。所謂る木・火・土・金・水なり。木火は陽にして、金水は陰なり。土は其の二を兼ねて其の中に位す。陰は必ず陽を含む。故に水の形は柔なり。陽は必ず陰を萌す。故に火の用は烈し。水火は象なり。金木は形なり。火は気なり、純昇して止まず。水は形なり、専ら降りて科に盈つ。陽の昇るや、陰必ず之に従い、陰の降るや、陽必ず之に従う。故に昇降も亦た息む無し。夫れ積気の間、其の精秀は日月星辰と為り、其の動静は河漢風電と為りて、雲雨霜雷の用有り。夫れ地は形滓の凝りて土と為る。其の積むや息まず、山岳・丘陵・川河・谷沢、之を載せて辞せず。陰陽窮まり無くして経緯有り、四時有り、日の長短有り、時の寒暑有り、一年一月有り、一日一刻有り、二十四節有り、七十二候有り、日月の蝕有り、気盈朔虚有り。是れ天地互いに交わりて、以て千態万変を為すなり。人も亦た万物の一に在りて、其の精を禀け、其の中を得たり。其の智の霊、之を致せば則ち通ぜざる無く、其の徳の明、之を尽くせば則ち感ぜざる無し。故に天地不言の妙を形容し、乾坤幽微の誠を模様し、以て暦象を造り、時日を考え、人物の極を定め、万世の教えを建つ。然れば乃ち天地は人倫の大原にして、神聖は天地の性心なり。人君、仰ぎ観、俯して察し、以て上下を正し、尊卑を定め、其の智を致して後、天地に参すべきなり。或ひと疑う、天地に心有りや、と。愚謂えらく、既に其の形気有らば、則ち未だ嘗て其の性心無くんばあらず。天地は無息を以て心と為す。故に消長往来、終わりて初めに復る。神聖は常中を以て心と為す。故に常に其の徳を彊め明らかにす。是れ天地・神聖の其の原を一にする所以なり、と。
現代語訳
天がまず成り、地があとに定まった。その後、その間に神が生まれた。国常立尊という。 『日本書紀』の一書に、高天原に生まれた神の名は天御中主尊という、とある。 素行はこう考える。元とは気であり、だから軽く上がる。地とは形であり、だから垂れて固まる。人は二つの気の精神であり、だからその中間に位置する。天地人の生まれは、もともと先後がない。形・気・神は単独では成り立たないからである。しかし天地人の成り立ちには先後がないわけではない。気が唱え、形がそれに和し、神がそれを統べるのである。思うに、混沌とした草創の間に、聖なる神がその中に立ち、悠久に変わらなかった。これが国常立、天御中主という神号を尊ぶ理由である。天の道は休みなく高く明るく、地の道は久遠で厚く広く、人の道は恒久で限りがない。天はその中を得て日月が明るく、地はその中を得て万物を載せ、人はその中を得て天地が定位する。恒に中を守るという意義は、万代の神聖がその皇位を正す拠り所である。二神(国常立尊・天御中主尊)の事跡は今は知ることができないが、幸いにも常と中という二つの尊号を聞くことができた。これは本朝の統治と教化が盛んで明らかであったことの実である。天下の治めが恒久であれば、万物の実情も観察できる。至誠が休みなくその中を制すれば、礼が明らかになる。政が恒であれば変わらず、礼が行われれば犯されない。神聖の知と徳は、万世の規範である。 神々は次々に生まれ、乾坤の道が互いに交わって変化し、こうして男女の神が成った。国常立尊から伊弉諾尊・伊弉冊尊までを神世七代という。 素行はこう考える。次々に生まれた天の神々が悠久の間に、天地の実に基づいてこの皇極(君主の立つ基準)を建てた。この間のことには凡庸な者が口をはさむべきではない。 伊弉諾尊・伊弉冊尊は国の中の柱を巡り、男女の礼を定め、大八洲および海・川・山・草木・鳥獣・魚や虫を生み、人々が食べて生きられるようにし、養蚕の道を教え、諸神を生んでその分担を定めた。功はすでに極まり、徳も大きかった。霊運が遷るべき時となって、静かに長く隠れた。 素行はこう考える。伊弉諾・伊弉冊とは、陰陽が唱和する意味の呼び名である。二神は陰陽の全体を集めた存在なので、この尊号を奉るのである。思うに、草創の悠久の間、天の神々が次々に生まれたあと、二神は初めて中国(日本)に立ち、男女の大倫を正した。男女は陰陽の本であり、五倫の始めである。男女があって後に、夫婦・父子・君臣の道が立つ。二神はついに大八洲を治め、山川を定め、河海を導き、草木・農耕・鳥獣が所を得た。人は初めて平らな土地を得て、五穀を播き、桑や麻を植え、人々の衣食住が足りた。足りれば教え戒めが必要になる。そこで諸の神聖に命じて、それぞれの領域を治めさせた。二神の功業により、万世にわたって左衽(異民族の風俗)を免れている。まことに大いに顕れ、大いに受け継ぐべきことである。 以上、天地生成の意義を論じた。素行はこう考える。天地とは陰陽の大極である。陰陽は働きを大いに異にしながら、互いに根を交えている。遠くて近く、近くて遠い。その形には五つあり、いわゆる木・火・土・金・水である。木と火は陽、金と水は陰である。土はその二つを兼ねて中に位置する。陰は必ず陽を含むから、水の形は柔らかい。陽は必ず陰を萌すから、火の働きは激しい。水火は象であり、金木は形である。火は気で、ひたすら昇って止まない。水は形で、ひたすら降って窪みを満たす。陽が昇れば陰が必ず従い、陰が降れば陽が必ず従う。だから昇降も休みがない。積もった気の間で、その精華は日月星辰となり、その動静は天の川・風・雷となって、雲・雨・霜・雷の働きをなす。地は形のかすが凝って土となり、その積み重ねは休まず、山岳・丘陵・川・谷・沢をこれを載せて辞さない。陰陽は窮まりなく経緯があり、四季があり、日の長短があり、時の寒暑があり、一年一月があり、一日一刻があり、二十四節があり、七十二候があり、日月の蝕があり、気盈朔虚(暦のずれ)がある。これは天地が互いに交わって、千変万化をなすのである。人もまた万物の一つとして、その精を受け、その中を得ている。その知の霊妙を尽くせば通じないものはなく、その徳の明を尽くせば感じないものはない。だから天地の言わぬ妙を形にあらわし、乾坤の幽微な誠を写して、暦と天象を作り、時日を考え、人と物の基準を定め、万世の教えを建てたのである。ゆえに天地は人倫の大本であり、神聖は天地の性心である。人君は仰いで天を観、俯して地を察し、上下を正し、尊卑を定め、その智を尽くして後に、天地に参与できる。ある人が疑って言う。天地に心はあるのか、と。私(素行)は答える。すでに形と気があるなら、性と心がないわけがない。天地は休みなきことを心とする。だから消長往来して、終わればまた初めに戻る。神聖は常に中であることを心とする。だから常にその徳を強く明らかにする。これが天地と神聖がその根源を一つにする理由である。
解説

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『中朝事実』皇統章・日神の誕生と天下の主を定める二神の議伊弉諾尊・伊弉冊尊、共に議りて曰く、吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主たる者を生まざらんや、と。是に於いて日神を生む。大日孁貴と号す。〔大日孁貴、此れを於保比屢咩能武智と云う。孁は音力丁の反。一書に天照大神と云う。一書に天照大日孁尊と云う。〕此の子、光華明彩、六合の内を照徹す。故に二神喜びて曰く、吾が息は多しと雖も、未だ此の若き霊異の児有らず。宜しく久しく此の国に留むべからず。自ら当に早く天に送りて、授くるに天上の事を以てすべし、と。是の時、天地相去ること未だ遠からず。故に天柱を以て天上に挙ぐ。次に月神を生む。〔一書に云う、月弓尊・月夜見尊・月読尊と。〕其の光彩は日に亜ぐ。以て日に配して治むべし。故に亦た之を天に送る。次に蛭児を生む。已に三歳なりと雖も脚猶お立たず。故に天磐櫲樟船に載せて、風に順いて放ち棄つ。次に素戔鳴尊を生む。〔一書に云う、神素戔鳴尊・速素戔鳴尊と。〕此の神は勇悍にして以て安忍す。且つ常に哭泣するを以て行いと為す。故に国内の人民をして多く夭折せしめ、復た青山をして枯に変ぜしむ。故に其の父母二神、素戔鳴尊に勅す、汝は甚だ無道なり。以て宇宙に君臨すべからず。固に当に遠く根国に適くべし、と。遂に逐う。 一書に曰く、伊弉諾尊曰く、吾、御宙の珍の子を生まんと欲す、と。乃ち左の手を以て白銅鏡を持ちたまうときに、則ち化生る神有り。是れを大日孁尊と謂う。右の手に白銅鏡を持ちたまうときに、則ち化生る神有り。是れを月弓尊と謂う。又た首を廻らして顧眄みたまう間に、則ち化る神有り。是れを素戔鳴尊と謂う。即ち大日孁尊及び月弓尊は、並びに是れ質性明麗なり。故に天地を照臨せしむ。素戔鳴尊は、是れ性残害を好む。故に下りて根国を治めしむ、と。 謹んで按ずるに、是れ中国の主を定むるの始めなり。大日孁〔字書に曰く、郎丁の反、女なり。〕貴とは、即ち日神なり。伊勢州の大神宮に鎮坐す。宗廟の厳神、本朝の元祖なり。月弓尊とは月神なり。是れ又た伊勢の別宮と為る。〔倭姫命世記に云う、月夜見命二座。一書に曰く、御形は馬に乗る男、太刀を帯ぶ、と。〕蛭児とは、摂津州の西宮の社、夷三郎是れなり。素戔鳴尊とは、出雲州の大社是れなり。〔或いは曰く、大社は、天神、大己貴の為に造りて供うるなり。素戔鳴は根国に行く。故に中国に降迹無し。後世大己貴を祭り、故に素戔鳴を合祭するなり、と。〕世に一女三男と号す、是れなり。凡そ気聚まり形生ずれば、則ち必ず其の精有り。之を心と謂い、之を性と謂う。是れ其の主なり。天地相成りて、陰陽の精、縣象著明なる、之を日月と謂う。日月とは天地の主なり。四時の運行、寒暑の去来、一日と云い、一月と云い、一歳と云うも、皆な日月を以て綱紀と為す。天地の気候正しからざれば、則ち縣象も又た著明ならず。人民の君長有ること亦た然り。人民の精、以て之に主たるべし。其の精を以てせざれば、則ち人物其の性を尽くす能わざるなり。蓋し二神共に議るとは、其の事を容易にせざるなり。神鏡を以てするとは、明らかにして倚らざるなり。天神の霊と雖も、天下の主を生まんと欲して、惟れ精惟れ一、以て之を見るべし。故に生む所、日と為り月と為りて天地玆に位す。蛭児と為り、素戔嗚と為り、河海の猛悪も亦た其の長有り。夫れ共に生む所は、皆な天神の子にして、其の量に因りて其の分を命ず。噫、神の徳の大なるかな、公なるかな。竊かに按ずるに、天神、天下の主を生まんと欲して、日神以て生ず。故に日神を以て地神の太祖、朝廷宗廟の第一と為す。然れば乃ち歴代の聖主、二神の精一にして縣象著明なるを致すの実を守らざれば、則ち豈に神明の統を承けんや。或ひと疑う、
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『中朝事実』神敎章・陰陽の唱和と太子を立てる戒め伊弉諾尊・伊弉冊尊、磤馭慮島を以て国中の柱と為し、陽神は左より旋り、陰神は右より旋り、分かれ巡りて同じく一面に会ふ。時に陰神先づ唱へて曰く、喜しきかな、可美少男に遇ひぬ、と。〔少男、此れを烏等孤と云ふ。〕陽神悦ばずして曰く、吾は是れ男子なり。理として当に先づ唱ふべし。如何ぞ婦人にして反つて先づ言ふや。事既に不祥なり。宜しく改め旋るべし、と。是に二神却りて更に相遇ふ。 謹んで按ずるに、是れ天神教学の義なり。陰陽唱和の道は、天地至誠の実なり。凡そ天に中道有り、是れを天の経と為す。日は此に左旋し、月は此に右旋す。二十有九日有奇にして日月相会し、以て一月と為す。月は日に及ばざること、常に十有二度有奇なり。是れ陰陽の道なり。陰神先づ唱へて陽神以て之を教へ、陰神過ちを改む。其の教学の義、甚だ明らかなり。天地の間、陰陽に外れず。人倫の大綱は、端を夫婦に造る。陰陽和して万物育ち、夫婦別ありて五典秩す。万化の本は、此に原づく。陽徳は天に合ひ、陰静は地に配す。而る後、神子生まれて以て宇宙に主たるべく、以て宗廟を承くべし。夫れ二神此の礼を正し、万福の原を教示す。猶ほ選立の道を失ひ、狡媚の寵を蕩し、適媵の辨を失ひて、宮闈政に預り、外家権を擅にするがごとし。始めを正すの道、王化の基、其の繋る所大なるかな。〔以上、天神教学の義。〕 二神、素戔嗚尊に勅して曰く、汝甚だ無道なり。以て宇宙に君臨すべからず。固より当に遠く根国に適くべし、と。遂に之を逐ふ。 一書に曰く、日月既に生まれ、次に蛭児を生む。此の児、年三歳に満つるも、脚尚ほ立たず。初め二神、柱を巡る時、陰神先づ喜言を発す。既に陰陽の理に違ふ。所以に今蛭児を生む、と。 謹んで按ずるに、二神、建立の謀を厳しくし、諭教の法を正すこと此の如し。無道なれば以て宇宙に君臨すべからずの九字は、万世太子を建つるの教戒なり。宇宙の洪く、人物の衆きは、人君に因りて其の性を尽くすを得。人君正しからざれば、則ち政礼中らず。政礼中らざれば、則ち人民手足を措く所無く、品物夭折し、災害並び臻る。所謂道とは、人物の由り行く所の名なり。人物由り行くべからざれば、則ち善と雖も徴無く尊ばれず。人君此の道に由りて宇宙を御せざれば、則ち人君ならず。故に今無道と言ひ、此の神を戒めて以て後世に垂るるなり。蓋し太子を建つるは、宗廟社稷を重んずる所以にして、天下の大義なり。唯だ子孫の愛寵を思ひて天下を忘れ、天下の大宝を謀りて教諭を失へば、則ち二神の天下を公にするの心に非ず。此を以て之を戒むるも、猶ほ嫡庶の分を失ひ、廃奪の用を逞しくし、好悪の私に従ふ有り。噫、神の一言、至れり尽くせり。外朝聖賢の世子を建て諭すの原、千差万別なるも、亦有道と無道とに在るのみ。此に至りて此の道を言ふは、是れ乃ち聖神教学の実にして、後世由り行ふ所なり。況んや陰陽の理に違ひて以て蛭児を生むは、是れ天神胎教の戒めか。〔以上、建立論教の義。〕
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『弘道館記述義』・総説・神代の諸説に慎重な態度をとる而して我が公槩ね神聖の二字を以てす。蓋し亦た説有り。請ふ竊かに之を論ぜん。天地の初め、神聖挺生す。其の先後次序、猶ほ得て詳らかにし難きなり。舎人親王、書紀を撰し、国常立尊を以て始生の神と為し、天神相踵ぎ、伊弉諾尊・伊弉冉尊に至るを以て、称して七代と曰ふ。而して又た諸説を其の下に掲げ、互ひに詳略異同有り。是より先、太安麻呂、古事記を撰す。其の七代は書紀の正文と大同小異にして、(地)特に別を称する有り。天神は(天)天御中主神を以て始生の神と為し、高皇産霊神・神皇産霊神等の四神之に次ぐ。之を七代の前に挙ぐ。是に於て後の古を言ふ者、或いは書紀に拠り、或いは古事記に従ひ、或いは両説を混じ、天御中主・国常立を以て、同体異名の神と為す。其の先後同異の弁、猶ほ且つ此くの如し。乃ち其の功徳事迹に至りては、則ち諸説紛紜として、牽強附会至らざる所無し。夫れ上世の事は、年代悠遠にして、固より一を執りて論ずべからず。書紀、神代に於て、必ず皆諸説を挙げて以て異同を存す。則ち親王の時に在りても、既に詳らかにし難きなり。親王は厳密慎重にして敢へて軽々しく決せず。而るに後人、千百載の下に生まれ、穿鑿臆断して、以て信を取らんと欲す。抑も亦た惑へり。昔者孔子は信じて古を好む。然れども其の祖述する所は、堯舜に止まる。言、或いは包犧に及べば、則ち必ず蓋しと曰ふ。慎しみの至りなり。後世の老荘の流に至りては、或いは軒轅許行の徒を仮り、或いは神農に託して以て其の私説を逞しうす。孔子の用心の遠きこと、是に於て知るべし。伏して以みるに赫赫たる神祇は、固より夫の西土の牛首蛇身なる者の比に非ず。且つ皇統の自りて出づる所、神器の由りて伝はる所、凡そ神州の民は其の淵源を詳らかにせざるべからず。然れども今を以て古を測り、幽眇を明らかにし張皇すれば、則ち其の弊、荒唐不経に渉らざる者殆ど希なり。故に我が義公の史を脩むるや、橿原朝に始め、神代の大要を巻首に掲げて、以て皇統の本づく所を明らかにす。蓋し亦た夫の牽強附会の弊を矯めんと欲するなり。(世間に流伝する所の大日本史紀伝は、頗る脱誤有り。宜しく本藩の刻印する所の本を以て正と為すべし。抑も紀伝は橿原朝に始まるも、神祇・氏族・職官・兵刑の類、凡そ太古に原づく者は、悉く諸を志類に収む。則ち神代の事実も亦た自ら其の中に見はれ、尽くせりと謂ふべし。)今、公は道の大原を論述し、悉く神祇を挙げて以て異同を弁ぜんと欲せば、則ち斯の記の能く尽くす所に非ず。僅かに其の一二を掲ぐれば、則ち挂漏の失を恐る。是に於て委曲に詳説せず、唯だ其の立極垂統の迹の昭然として明白なる者を挙げて、諸を上古神聖の功化に帰す。其の義公の志を継述し、洙泗の流を斟酌する所以の者、是に於て在り。
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『神皇正統記』巻一 天神七代是は正く陰陽の二にわかれて造化の元となり給ふ。上の五行はひとつづゝの徳也。此五徳をあはせて万物を生ずるはじめとす。こゝに天祖国常立尊、伊弉諾・伊弉冊の二神に勅しての給はく、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地あり。汝往てしらすべし。」とて、即天瓊矛をさづけ給。此矛又は天の逆戈とも、天魔返ほこともいへり。二神このほこをさづかりて、天の浮橋の上にたゝずみて、矛をさしおろしてかきさぐり給しかば、滄海のみありき。そのほこのさきよりしたゝりおつる潮こりて一の嶋となる。これを磤馭盧嶋と云ふ。此名に付て秘説あり。神代、梵語にかよへるか。其所もあきらかに知人なし。大日本の国宝山なりと云。二神此嶋に降居て、即国の中の柱をたて、八尋の殿を化作してともにすみ給。さて陰陽和合して夫婦の道あり。此矛は伝、天孫したがへてあまくだり給へりとも云ふ。