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神皇正統記 / 巻一 地神第一代 天照太神

地神第一代、大日孁尊。是を天照太神と申。又は日神とも皇祖とも申也。此神の生給こと三の説あり。一には伊弉諾・伊弉冊尊あひ計て、天下の主をうまざらんやとて、先、日神をうみ、次に、月神、次、蛭子、次、素戔烏尊を生給といへり。又は伊弉諾の尊、左御手に白銅の鏡をとりて大日孁の尊を化生し、右御手にとりて月弓の尊を生、御首をめぐらしてかへりみ給しあひだに、素戔烏尊を生ともいへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の御眼をあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて月読の尊を生、御鼻を洗て素戔烏尊を生じ給とも云ふ。日月神の御名も三あり、化生の所も三あれば、凡慮はかりがたし。又おはします所も、一には高天の原と云、二には日の小宮と云、三には我日本国これ也。八咫の御鏡をとらせまし〳〵て、「われをみるが如くにせよ。」と勅し給けること、和光の御誓もあらはれて、ことさらに深道あるべければ、三所に勝劣の義をば存ずべからざるにや。

書き下し

地神第一代、大日孁尊。是を天照太神と申。又は日神とも皇祖とも申也。此神の生給こと三の説あり。一には伊弉諾・伊弉冊尊あひ計て、天下の主をうまざらんやとて、先、日神をうみ、次に、月神、次、蛭子、次、素戔烏尊を生給といへり。又は伊弉諾の尊、左御手に白銅の鏡をとりて大日孁の尊を化生し、右御手にとりて月弓の尊を生、御首をめぐらしてかへりみ給しあひだに、素戔烏尊を生ともいへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の御眼をあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて月読の尊を生、御鼻を洗て素戔烏尊を生じ給とも云ふ。日月神の御名も三あり、化生の所も三あれば、凡慮はかりがたし。又おはします所も、一には高天の原と云、二には日の小宮と云、三には我日本国これ也。八咫の御鏡をとらせましまして、「われをみるが如くにせよ。」と勅し給けること、和光の御誓もあらはれて、ことさらに深道あるべければ、三所に勝劣の義をば存ずべからざるにや。

現代語訳

地神の第一代は大日孁尊。これを天照大神と申しあげる。また日神とも皇祖とも申すのである。この神がお生まれになったことについては三つの説がある。一つには、伊弉諾・伊弉冊尊が相談して、天下の主を生まないでいられようかと言って、まず日神を生み、次に月神、次に蛭子、次に素戔烏尊を生まれたという。また、伊弉諾尊が左の御手に白銅の鏡をとって大日孁尊を化生し、右の御手にとって月弓尊を生み、首をめぐらして振り返られた間に素戔烏尊を生んだともいう。また、伊弉諾尊が日向の小戸の川で禊をされたとき、左の御目を洗って天照大神を化生し、右の御目を洗って月読尊を生み、御鼻を洗って素戔烏尊を生まれたともいう。日月の神の御名も三つあり、化生の所も三つあるので、凡人の考えでは測りがたい。またいらっしゃる所も、一つには高天原といい、二つには日の小宮といい、三つにはわが日本国がこれである。八咫の御鏡をお授けになって「私を見るのと同じようにせよ」と勅されたことには、和光同塵の御誓いも現れていて、とりわけ深い道理があるはずだから、三つの所に優劣の義を立てるべきではないのだろう。

解説

地神五代の第一代、天照大神の段である。親房はまず、この神の誕生について日本書紀の本文と一書に見える三つの説を並べ、どれか一つに決めることをしない。名も三つ、生まれた所も三つあるのは、凡人の考えでは測れないという。続いて神のいる所も、高天原、日の小宮、そして日本国の三つを挙げ、そこに優劣をつけるべきではないと言う。根拠は、天孫に鏡を授けて「われをみるが如くにせよ」と命じた神勅である。鏡を通して神は地上にもいる。だから天上と地上に上下はない、という論理である。「和光」は、仏や神が光を和らげて俗世に交わるという本地垂迹の言葉で、親房はそれを天照大神の鏡に重ねている。異説を並べたまま無理にまとめず、そのうえで一点の確かな根拠に立って結論を出す。その運び方は、意見が割れた場の裁き方にも通じる。

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