古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

自警録 / 第二十七章 夢の実用・夢と実際とは連絡することが多い

子供が眠るときに、怖ろしい顔して叱ると、子供はかつ泣き、かつふるえつつ眠ってしまう。かくのごとき夜にむすぶ夢のなかには、あるいは鬼に襲われたり、あるいは化物に逢ったり、あるいは魘されたりして可愛ゆかるべき顔にも苦痛または恐怖の念がありありと顕れる。これに反し愛らしき物語を聞かせ、あたたかき愛情をもって、寝かしつけたときは、子供も天使に迎えられたり、あるいは極楽に連れられて楽しく遊んだりする夢を見、すやすやと眠る顔には笑をふくみ、いわゆる「子供の寝顔」となる。かく怖ろしき夢をむすぶも、吉夢を見るのも、ともに子供にとっては(大人にしても、同じであるが)、一つの精神的経験を構成する分子となる。目がさめるとともにあるいはこれを忘れてしまうかも知れぬが、しかもどこかに、子供の意識となって残り、すなわちいわゆる潜在識となって、なにかにつけて記憶にのぼってくるものである。 僕もかつて病いにかかり、体温の四十度を越したとき、夢に怖ろしき化物を見たことがある。眼がさめたのちも、化物は眼前にちらついて残っていた。けしからぬことであると、自分ながら自分を責め、これはまったく熱が高いためであると思い、試みに検温器をかけるとはたして高熱であった。かく精神は落ち着き、自覚したのちでも化物の形がハッキリと目に映じていた。このとき僕は独り病室におったので、かたわらにあったランプをつけ、目をみひらき、ばかなものを見たものと思いつつ、空中をにらんだが、なおその姿が髣髴として眼前に残っていた。むろん、これは病的であることを、僕はよく知っていた。しかしいかに病的とはいえ、みずから明瞭に自覚しておるにかかわらず、夢に見たことが、さめたるのちまでも、その現象の消え去らず、連続しておった。あるいは心理学者の一笑を招くかも知れぬが、いわゆる夢なるものといわゆる実際なるものとが連続しておることを考え、怪物の夢そのものよりかえっていわゆる実際のほうがおのずから怖ろしくなったことがある。

書き下し

子供が眠るときに、怖ろしい顔して叱ると、子供はかつ泣き、かつふるえつつ眠ってしまう。かくのごとき夜にむすぶ夢のなかには、あるいは鬼に襲われたり、あるいは化物に逢ったり、あるいは魘されたりして可愛ゆかるべき顔にも苦痛または恐怖の念がありありと顕れる。これに反し愛らしき物語を聞かせ、あたたかき愛情をもって、寝かしつけたときは、子供も天使に迎えられたり、あるいは極楽に連れられて楽しく遊んだりする夢を見、すやすやと眠る顔には笑をふくみ、いわゆる「子供の寝顔」となる。かく怖ろしき夢をむすぶも、吉夢を見るのも、ともに子供にとっては(大人にしても、同じであるが)、一つの精神的経験を構成する分子となる。目がさめるとともにあるいはこれを忘れてしまうかも知れぬが、しかもどこかに、子供の意識となって残り、すなわちいわゆる潜在識となって、なにかにつけて記憶にのぼってくるものである。 僕もかつて病いにかかり、体温の四十度を越したとき、夢に怖ろしき化物を見たことがある。眼がさめたのちも、化物は眼前にちらついて残っていた。けしからぬことであると、自分ながら自分を責め、これはまったく熱が高いためであると思い、試みに検温器をかけるとはたして高熱であった。かく精神は落ち着き、自覚したのちでも化物の形がハッキリと目に映じていた。このとき僕は独り病室におったので、かたわらにあったランプをつけ、目をみひらき、ばかなものを見たものと思いつつ、空中をにらんだが、なおその姿が髣髴として眼前に残っていた。むろん、これは病的であることを、僕はよく知っていた。しかしいかに病的とはいえ、みずから明瞭に自覚しておるにかかわらず、夢に見たことが、さめたるのちまでも、その現象の消え去らず、連続しておった。あるいは心理学者の一笑を招くかも知れぬが、いわゆる夢なるものといわゆる実際なるものとが連続しておることを考え、怪物の夢そのものよりかえっていわゆる実際のほうがおのずから怖ろしくなったことがある。

現代語訳

子供を寝かせるとき、恐ろしい顔をして叱って寝かせると、子供は泣き、震えながら眠ってしまいます。このような夜に結ぶ夢のなかには、鬼に襲われたり、化物に出会ったり、うなされたりして、可愛らしいはずの顔にも、苦痛や恐怖の念がありありと現れます。これに反し、愛らしい物語を聞かせ、あたたかい愛情をもって寝かしつければ、子供も天使に迎えられたり、極楽に連れられて楽しく遊んだりする夢を見て、すやすやと眠る顔には笑みを含み、いわゆる「子供の寝顔」となります。このように、恐ろしい夢を結ぶのも、吉い夢を見るのも、ともに子供にとって(大人にとっても同じですが)一つの精神的経験を構成する要素となります。目が覚めるとともに忘れてしまうかもしれませんが、それでもどこかに子供の意識となって残り、すなわちいわゆる潜在意識となって、何かにつけて記憶にのぼってくるものです。 私もかつて病気にかかり、体温が四十度を超えたとき、夢に恐ろしい化物を見たことがあります。目が覚めたのちも、化物は目の前にちらついて残っていました。けしからぬことだと、自分で自分を責め、これはまったく熱が高いためだと思い、試しに検温器をかけてみると、はたして高熱でした。このように精神は落ち着き、自覚したのちでも、化物の形がはっきりと目に映っていました。このとき私は一人で病室にいたので、そばにあったランプをつけ、目を見開き、ばかなものを見たものだと思いつつ、空中をにらみましたが、なおその姿はぼんやりと目の前に残っていました。もちろん、これは病的であることを、私はよく知っていました。しかしいかに病的とはいえ、自分で明瞭に自覚しているにもかかわらず、夢に見たことが、覚めたのちまでもその現象が消え去らず、続いていたのです。あるいは心理学者の一笑を招くかもしれませんが、いわゆる夢というものと、いわゆる現実というものとがつながっていることを考え、怪物の夢そのものよりも、かえって現実のほうが、おのずから恐ろしくなったことがあります。

解説

子供の寝かしつけ方で夢の質が変わり、その経験が潜在意識に残る、という観察から入ります。叱って寝かせれば恐怖の夢に、愛情で寝かせれば穏やかな夢になる、という指摘は、育てる側の責任を暗に示します。続いて新渡戸自身が、高熱の際に見た化物が覚めてもなお見え続けた体験を語ります。病的と自覚していても消えなかったという述懐は、夢と現実が思うほど断絶していないという主張の裏づけです。部下や子供への接し方が、相手の内面に残るという教訓にも読めます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

子供寝顔夢潜在意識愛情病中の体験

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る