自警録 / 第二十六章 理想の実現は何処・ここに焚く火の烟なりけり
昔のある皇后の御歌に、 もろこしの山のあなたに立つ雲はこゝに焚く火の烟なりけり われわれはとかく理想は遠い所にあり、唐土の山のかなたに立つ烟のごとく、ほとんどわれわれと没交渉のように心得、理想に憧憬れているという青年男女などは、日々学課をそっち退けとし、月や星を眺め、へたな歌をつくり理想を養うているというが、理想はそう遠いものでない。 「ここに焚く火の烟なりけり」で、日々やっていることのうちに理想が含まれてある。またこれを養うに遠方にゆき塵界を去らねばならぬものでない。われわれは山へ引っ込むもよい、塵界を去るもよいが、それが理想を養う必要条件では断じてない。理想は心の作用である、実際は身体の作用である。心と身体とは別であるがごとく、理想と実行とは別のごとくしてそうでない。われわれが一つの理想をもって世の中を渡ろうとするときには、その理想の中に身も入らなければならぬ。 実業家は店において、職工は工場において、学生は学校、家庭あるいは運動場において、女子はその台所において、いかなる位地にあっても、理想を実現することはできうる。また真の理想なれば実際に行われぬものはない。いかに高き理想も実際に現すことができると信ずる。
書き下し
昔のある皇后の御歌に、 もろこしの山のあなたに立つ雲はこゝに焚く火の烟なりけり われわれはとかく理想は遠い所にあり、唐土の山のかなたに立つ烟のごとく、ほとんどわれわれと没交渉のように心得、理想に憧憬れているという青年男女などは、日々学課をそっち退けとし、月や星を眺め、へたな歌をつくり理想を養うているというが、理想はそう遠いものでない。 「ここに焚く火の烟なりけり」で、日々やっていることのうちに理想が含まれてある。またこれを養うに遠方にゆき塵界を去らねばならぬものでない。われわれは山へ引っ込むもよい、塵界を去るもよいが、それが理想を養う必要条件では断じてない。理想は心の作用である、実際は身体の作用である。心と身体とは別であるがごとく、理想と実行とは別のごとくしてそうでない。われわれが一つの理想をもって世の中を渡ろうとするときには、その理想の中に身も入らなければならぬ。 実業家は店において、職工は工場において、学生は学校、家庭あるいは運動場において、女子はその台所において、いかなる位地にあっても、理想を実現することはできうる。また真の理想なれば実際に行われぬものはない。いかに高き理想も実際に現すことができると信ずる。
現代語訳
昔のある皇后の御歌に、次のようなものがあります。 唐土の山のかなたに立つ雲は、ここに焚く火の煙なのだった 私たちはとかく、理想は遠い所にあって、唐土の山のかなたに立つ煙のように、ほとんど自分と関係がないものと考えます。理想に憧れているという青年男女などは、毎日学課をそっちのけにして、月や星を眺め、下手な歌を作って理想を養っているといいますが、理想はそんなに遠いものではありません。 「ここに焚く火の煙なりけり」というとおり、毎日やっていることのなかに理想は含まれています。またこれを養うために、遠方に行き、俗世を離れなければならないものでもありません。私たちは山に引っ込むのもよいし、俗世を離れるのもよいが、それが理想を養う必要条件では断じてありません。理想は心の作用であり、実際は身体の作用です。心と身体は別であるのに、理想と実行とは別のようでいてそうではありません。私たちが一つの理想を持って世の中を渡ろうとするときは、その理想のなかに身も入らなければなりません。 実業家は店で、職工は工場で、学生は学校、家庭あるいは運動場で、女性はその台所で、どんな地位にあっても、理想を実現することはできます。また本当の理想なら、実際に行われないものはありません。どんなに高い理想も、実際に表すことができると信じます。
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・理想は所在に現れる(2)理想があれば手なり足なりに現れる。かの椅子に坐らなければ理想が行われぬというは、下手な職人が道具をならべると同じである。こういう職人は道具の善悪をならべ立てるが、いずれを使っても仕事が下手なことはわれわれがつねに目撃している。ゆえに理想があるなら、つねにここが理想を実行するところだという考えをもてば、理想の実現せられぬところはない。泥棒するの罪悪なることは誰でも知っているが、人が見ていないところにものが落ちていると、十に七、八人までは持っていってもよいか知らという気が起きる。盗む気はなくとも欲しい気はある。両者は行為に現れたときは大いに接近している。 聖書に「人を憎むは人を殺すなり」という意味が書いてある。人を憎むのは、機会があれば殺すという行為に現れやすい。彼奴は嫌な奴だ、早く死ねばよいということと、社会になんの制裁もなければ、一歩を進めてみずから手を下すということとははなはだ近接している。ものが欲しいというのと、見る人がなければ拾うということは遠くとも従兄弟同士ぐらいである。欲しがる人が拾わぬというは、世の中に制裁があるからである。 この場合にかねて承知の道心を起こしてここだなという考えをもてば、はじめて落ちた物を拾わないりっぱな人物が出てくる。あるいは拾ってもちぬしを探して、返すごとき人物となる。先年もある青年が婦人の誘惑に陥らんとしたとき、かねて聞いていたことは「ここだな」と思い、ついに危険を脱したということを手紙で通知してきた。青年はみな理想をもっているが、卑近な小さなことにまで翻訳して始めて理想の理想たるところが現れ、かつまた高くなり強くなるものである。これは少しでも実験ある人のみな感ずるところで、僕のように達しないものでも、これを適切に感じたことが二、三度ある。
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・誤って翻訳した実例この翻訳はなかなか難い。原文を精確に会得しなければ翻訳はできない。また訳する言葉がわからなければ適切な翻訳ができぬ。原文を誤解し、日本語を誤解している者が翻訳すれば、できた翻訳のろくなものならぬことは無理もない。それと同じくわれわれがとかく思うように理想に近づきえぬのは、理想が精確でなく、実行もはっきりせぬと翻訳の仕方が分からぬからである。ここにおいてわれわれは翻訳に拙い生活を送っている。 維新前に、どこかの殿様が行列を正して西丸近所を通って登城するさい、外国人が乗馬でその行列の鼻を乗切った。殿様はもとよりその従者も一方ならず憤慨し、殿はただちに通訳を召し、 「汝は言語もわかることであるから、あの人の無礼を糺してその場で切り捨ててこい」 と命じた。通訳は「かしこまりました」といって、その外人を呼びとめ、 「私の主人なんの守という大名が登城の途中に、貴方の馬に乗ってゆかれる姿勢を見、西洋の鞍が面白い、まだ見たことがないから、どうか拝見したい、また乗人も見事に乗っている、あの外人にお頼みして鞍を見せてもらうことはできまいかと申します。途中でお止め申して、はなはだ失敬であるが、せっかくの望みであるから、見せていただきたい。主人が駕籠をおりてくるのが本当ですがあなたは乗馬が上手ですから、駕籠の前に来て見せてくださらぬか」 という。外人は得意になって、駕籠のそばに来たり鞍を見せんと下馬し脱帽して挨拶した。そのとき通訳官は、 「この外人はまことに恐れ入ったしだいであるといい、かく脱帽しておわびを申し上げています、何分にも命だけはお許しを願いたい」 と申し上げる。殿様も外人が下馬して脱帽しわびることなら許してつかわせといわれた。そこで通訳は外人に向かい、 「見事なお鞍を拝見してありがたい。駕籠のなかからはなはだご無礼ではあるが、まことにご苦労であったと厚くお礼を申しております」 という。外国人は恐縮し日本に来て大名と直接にお話したことは始めてで、名誉なことであると喜び、再三脱帽したあとで去った。通訳官はかく再三脱帽しておわびを申し上げていますと言うと、大名は、 「苦しゅうない、苦しゅうない」
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『塩鉄論』世務篇大夫曰く、諸生妄言す。議者は詳らかに用う可からしめよ。徒らに椎車の語を守り、滑稽にして循う可からざること無かれ。夫れ漢の匈奴有るは、譬えば木の蠹有るが若く、人の疾有るが如し。治めずんば則ち寖く以て深し。故に謀臣以為えらく、擊ち奪いて以て之を困極せしめんと。諸生は德を以て之を懷けよと言う。此れ其の語有りて行う可からざるなり。諸生は上は以て三王に似る無く、下は以て近く秦に似る無し。有司をして舉げて當世に行い、蒸庶を安んじ邊境を寧んず可きもの有らしめんか。
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論語・泰伯篇孔子曰わく、大なるかな堯の君たるや!巍巍(ぎぎ)たり。唯天のみ大なり、唯堯これに則る。蕩蕩(とうとう)たり。民能く名づくること無し。巍巍たり。その成功有り。煥(かん)たり、その文章有り。
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・理想は所在に現れる(1)しかるにわれわれはややもすれば、理想なる文字のもとに野心を包み、あるいは月給をよけいに取りたい、人に褒められたい、いばりたいというような望みを包む。ゆえにだんだんいわゆる理想の奥を探るとすこぶる賤むべき野卑なる動機に到着することがしばしばある。自己の欲望の汚穢を掩うために理想という文字を用うるものがたくさんある。要するに理想の実現は位地によるものでない、心の底まで理想が透徹するならば、なにごとにあたっても実現すると思う。一杯の茶を飲もうが、一言の話をしようが、そのなかに理想が実現せられる。 人と交際するにあの人は茶を飲むにも余裕がありそうだという人がある。たとい茶を飲まなくともその人のそばにゆくと心地のよいことがある。西郷隆盛のそばにいると心地よく翁の身体から後光でも出ているように人は感じ、翁は近づくと襟を正さねばならぬほど威厳があった。威厳はあるが、なんとなく惹きつけられるようで近づきたくなり、いよいよ近づいても狎れて失礼することはできぬというふうであった。これ全く翁の心のそとに顕れたがためである。理想もまたかくのごとくならねばならぬ。
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