自警録 / 第二十五章 理想と実現・最も貴ぶべき青年時代の理想
世界を動かすものは思想である。暴力で一時国を建てることもできるし、国を亡ぼすこともできる。産業で国を建てることもできるし、産業で国が廃頽することもある。学芸によって国の勃興することもある、学芸によって国が惰弱に流れることもある。あるいは思想においても方向を誤ると、いかなる極端に落ちることがないともかぎらぬが、武力でも学力でも、芸術の力でも、健全なる思想が真先きに立って指導するにあらざれば、国家も社会も個人も、なんのために存在しておるかを解しないでしまう。 して思想と一口にいうものの、世の中の欲もすなわち名誉も富貴も知らない清浄無垢の青年時代に起こる思想が実に貴い。ゆえに年とともに若い思想を強めたいと思う。あるイギリスの文豪もかつて言った、 「偉大なる人物とは成熟せる脳髄をいただいて、なお幼少の心を抱くものなり」と。 すなわち大人にして赤子の心を失わない者の謂に外ならぬ。
書き下し
世界を動かすものは思想である。暴力で一時国を建てることもできるし、国を亡ぼすこともできる。産業で国を建てることもできるし、産業で国が廃頽することもある。学芸によって国の勃興することもある、学芸によって国が惰弱に流れることもある。あるいは思想においても方向を誤ると、いかなる極端に落ちることがないともかぎらぬが、武力でも学力でも、芸術の力でも、健全なる思想が真先きに立って指導するにあらざれば、国家も社会も個人も、なんのために存在しておるかを解しないでしまう。 して思想と一口にいうものの、世の中の欲もすなわち名誉も富貴も知らない清浄無垢の青年時代に起こる思想が実に貴い。ゆえに年とともに若い思想を強めたいと思う。あるイギリスの文豪もかつて言った、 「偉大なる人物とは成熟せる脳髄をいただいて、なお幼少の心を抱くものなり」と。 すなわち大人にして赤子の心を失わない者の謂に外ならぬ。
現代語訳
世界を動かすものは思想です。暴力で一時的に国を建てることもできるし、国を滅ぼすこともできます。産業で国を建てることもできるし、産業で国が衰えることもあります。学問や芸術によって国が興ることもあり、学問や芸術によって国が惰弱に流れることもあります。思想においても、方向を誤ればどんな極端に落ちないとも限りませんが、武力でも学力でも芸術の力でも、健全な思想が先頭に立って導かなければ、国家も社会も個人も、何のために存在しているのかを理解しないで終わってしまいます。 そして思想とひとくちに言っても、世の中の欲、すなわち名誉も富貴も知らない、清らかで汚れのない青年時代に起こる思想こそ、実に貴いものです。ですから、年とともに若い思想を強めたいと思います。あるイギリスの文豪もかつてこう言いました。 「偉大な人物とは、成熟した頭脳をいただきながら、なお幼い心を抱いている者である」と。 つまり、大人でありながら赤子の心を失わない者のことにほかなりません。
解説

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