自警録 / 第二十五章 理想と実現・今の青年会と昔の若い衆
とかくに若い者といえば、むしろ青年の弱点を指す意味合いがある。近ごろこそ各地方で青年会がさかんに行われて、その目的は実に嘉すべきであるが、同じく青年の会合でも、三、四十年前に行われたるものは、若い衆の寄合いと称して、若い衆といえば碌でもないことをする者、思想も理想もなく、ただ放埒に時を移す者のごとく見なして、老人もこれを許し、また青年自身もこれを許して、その言行の正しからざることがあっても、自らも世人も咎めなかった。 普通教育のいまだ一般にいき渡らないときは、かくのごときことも無理でない。教えてくれる設備もない時代と場所に生まれ育った者は、ただこの世に出てきたというのみで、もの言うからこそ人間に違いないが、その他の点においてはむしろ動物に近い。ゆえに動物的の行動をとっても無理ならぬことであった。 人の動物と違うところは思想あるがためで、この思想なるものを養わない以上は、禽獣に髣髴たるものである。そこで人を測るに、いずれの定規をもってするか、動物的の標準をもってするか、向上的すなわち思想の上下をもって測るか、用いる量によって人に対する観念がちがってくる。すなわち動物的の定規をもってすれば、若い衆の飲酒にふけったり夜遊びするのは、普通一般のことで賞めるほどのことでなくとも、咎めることではない。しかるに思想の標準をもって図るときは、なにか一種の思慮を持たぬ者は、人間のごとくにみなさない。近ごろの青年会と昔の若い衆と違うのは、高いほうの標準を使うからである。
書き下し
とかくに若い者といえば、むしろ青年の弱点を指す意味合いがある。近ごろこそ各地方で青年会がさかんに行われて、その目的は実に嘉すべきであるが、同じく青年の会合でも、三、四十年前に行われたるものは、若い衆の寄合いと称して、若い衆といえば碌でもないことをする者、思想も理想もなく、ただ放埒に時を移す者のごとく見なして、老人もこれを許し、また青年自身もこれを許して、その言行の正しからざることがあっても、自らも世人も咎めなかった。 普通教育のいまだ一般にいき渡らないときは、かくのごときことも無理でない。教えてくれる設備もない時代と場所に生まれ育った者は、ただこの世に出てきたというのみで、もの言うからこそ人間に違いないが、その他の点においてはむしろ動物に近い。ゆえに動物的の行動をとっても無理ならぬことであった。 人の動物と違うところは思想あるがためで、この思想なるものを養わない以上は、禽獣に髣髴たるものである。そこで人を測るに、いずれの定規をもってするか、動物的の標準をもってするか、向上的すなわち思想の上下をもって測るか、用いる量によって人に対する観念がちがってくる。すなわち動物的の定規をもってすれば、若い衆の飲酒にふけったり夜遊びするのは、普通一般のことで賞めるほどのことでなくとも、咎めることではない。しかるに思想の標準をもって図るときは、なにか一種の思慮を持たぬ者は、人間のごとくにみなさない。近ごろの青年会と昔の若い衆と違うのは、高いほうの標準を使うからである。
現代語訳
とかく「若い者」と言えば、むしろ青年の弱点を指す意味合いがあります。近ごろでこそ各地で青年会が盛んに行われ、その目的は実に結構なものですが、同じ青年の集まりでも、三、四十年前に行われていたものは、「若い衆の寄合い」と呼ばれました。若い衆といえば、ろくでもないことをする者、思想も理想もなく、ただ放埒に時を過ごす者のように見なされ、老人もこれを許し、青年自身も許して、その言動が正しくないことがあっても、本人も世間も咎めませんでした。 普通教育がまだ一般に行き渡っていなかった時代は、こういうことも無理はありません。教えてくれる設備もない時代と場所に生まれ育った者は、ただこの世に出てきたというだけで、ものを言うからこそ人間に違いないものの、その他の点ではむしろ動物に近い。ですから、動物的な行動をとっても無理のないことでした。 人が動物と違う点は思想があることで、この思想を養わない以上は、禽獣にも似たものです。そこで人を測るのに、どの物差しを用いるか、動物的な基準を用いるか、向上的な、つまり思想の上下で測るかによって、人に対する見方が違ってきます。動物的な物差しを使えば、若い衆が酒にふけったり夜遊びしたりするのは、普通一般のことで、褒めるほどではなくても咎めることではありません。ところが、思想の基準で測るときは、何か一種の思慮を持たない者は、人間のようには見なされません。近ごろの青年会と昔の若い衆が違うのは、高いほうの基準を使うからです。
解説

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