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自警録 / 第二十二章 感情より出た職業選択・感情よりする職業選択にも有利の場合あり

わが輩はいま感情にかられるといった。わが輩はあえて感情そのものが悪いというのでない。ことにあたるには熱するくらいになるがいい。熱するというのはすなわち感情の昂奮する謂である。しかしことにあたるか否かを判断するときは、須く感情を避け冷静に是非曲直の判断を下すを要する。 折々青年にして時々の新聞を見て大いに憤慨し、その日の感情により自分の将来の職業を定めんとする者がある。軍国の際のごときことに然り、将軍の凱旋を見て、おのれも軍人にならんと思い、某代議士が演説に大喝采を得たるを聞いては、おのれもただちに代議士たらんことを思い、あるいは実業家が拝謁を賜わりたりと聞き、おのれも実業家たらんと思うように、一時の現象に眩惑されて終身の方針を定むることは、必ず悪い結果をもたらすとは断言されぬが、危険が多いとはいいうる。 いったい「三つ子の魂百までも」というがごとく、何人にも幼少の折、漠然とした職業選定の傾きが心に備われるものである。いわゆる学者向きであれば研究的にできており、あるいは才子的のものもあれば、あるいは事務的のものもある。人はおのおのその心の構造を異にしている。ただ自分も判然とそれを自覚しなければ、世間の人は無論、親さえも明らかに観察することはできない。しかるに、この混沌たる有様のなかにも、おのずから輪廓だけはぼんやりと現れている。 鶏卵にたとえていえばちょうど黄身も白身もまだ判然と分かれておらぬ程度である。それが月日を経るに従い、黄身は黄身、白身は白身と分かれ、さらに進んでは頭もでき、手も足もそなわり、一つの雛に化するように、きわめて幼少の折から自然的に各分業的の萠あるものである。しかるにこの観念ははなはだ漠としているゆえ、前述のごとく自己の認識にのぼらぬのである。 しかるにある外部の刺激によってこの自覚が急に鮮明となることがしばしばある。天性軍人になるべき資格を孕める者が一日新聞を見て始めて自己の天職のいずれに存するかを発見するがごときはそれで、かくのごとき場合においては一時的の感情と見ゆるものがけっしていわゆる一時的感情にあらずして、先天的感情の発揮である。ゆえに職業を選ぶにつき一見一時的感情とみゆる動機によりて定むることも必ずしも誤りなりとは言えぬ。

書き下し

わが輩はいま感情にかられるといった。わが輩はあえて感情そのものが悪いというのでない。ことにあたるには熱するくらいになるがいい。熱するというのはすなわち感情の昂奮する謂である。しかしことにあたるか否かを判断するときは、須く感情を避け冷静に是非曲直の判断を下すを要する。 折々青年にして時々の新聞を見て大いに憤慨し、その日の感情により自分の将来の職業を定めんとする者がある。軍国の際のごときことに然り、将軍の凱旋を見て、おのれも軍人にならんと思い、某代議士が演説に大喝采を得たるを聞いては、おのれもただちに代議士たらんことを思い、あるいは実業家が拝謁を賜わりたりと聞き、おのれも実業家たらんと思うように、一時の現象に眩惑されて終身の方針を定むることは、必ず悪い結果をもたらすとは断言されぬが、危険が多いとはいいうる。 いったい「三つ子の魂百までも」というがごとく、何人にも幼少の折、漠然とした職業選定の傾きが心に備われるものである。いわゆる学者向きであれば研究的にできており、あるいは才子的のものもあれば、あるいは事務的のものもある。人はおのおのその心の構造を異にしている。ただ自分も判然とそれを自覚しなければ、世間の人は無論、親さえも明らかに観察することはできない。しかるに、この混沌たる有様のなかにも、おのずから輪廓だけはぼんやりと現れている。 鶏卵にたとえていえばちょうど黄身も白身もまだ判然と分かれておらぬ程度である。それが月日を経るに従い、黄身は黄身、白身は白身と分かれ、さらに進んでは頭もでき、手も足もそなわり、一つの雛に化するように、きわめて幼少の折から自然的に各分業的の萠あるものである。しかるにこの観念ははなはだ漠としているゆえ、前述のごとく自己の認識にのぼらぬのである。 しかるにある外部の刺激によってこの自覚が急に鮮明となることがしばしばある。天性軍人になるべき資格を孕める者が一日新聞を見て始めて自己の天職のいずれに存するかを発見するがごときはそれで、かくのごとき場合においては一時的の感情と見ゆるものがけっしていわゆる一時的感情にあらずして、先天的感情の発揮である。ゆえに職業を選ぶにつき一見一時的感情とみゆる動機によりて定むることも必ずしも誤りなりとは言えぬ。

現代語訳

私はいま、感情にかられると言いました。私はあえて感情そのものが悪いと言うのではありません。事に当たるときには、熱するくらいがよいのです。熱するとは、つまり感情が昂ぶることです。しかし、事に当たるかどうかを判断するときは、ぜひとも感情を避けて、冷静に是非曲直の判断を下す必要があります。 ときどき青年で、時々の新聞を見て大いに憤慨し、その日の感情で自分の将来の職業を決めようとする者がいます。軍国の際はことにそうで、将軍の凱旋を見て自分も軍人になろうと思い、ある代議士が演説で大喝采を得たと聞いては、自分もただちに代議士になろうと思い、あるいは実業家が拝謁を賜ったと聞いて、自分も実業家になろうと思うように、一時の現象に目がくらんで終身の方針を定めるのは、必ず悪い結果をもたらすとは断言できませんが、危険が多いとは言えます。 だいたい、「三つ子の魂百まで」というように、誰にも幼い頃、漠然とした職業選択の傾きが心に備わっているものです。いわゆる学者向きであれば研究的にできており、あるいは才子的なものもあり、あるいは事務的なものもあります。人はそれぞれ心の構造が違っています。ただ、自分もはっきりそれを自覚しなければ、世間の人はもちろん、親でさえも明らかに観察することはできません。ところが、この混沌とした状態の中にも、おのずから輪郭だけはぼんやりと現れています。 鶏卵にたとえれば、ちょうど黄身も白身もまだはっきり分かれていない程度です。それが月日を経るにつれて、黄身は黄身、白身は白身と分かれ、さらに進んでは頭もでき、手足もそなわって、一羽の雛に変わるように、ごく幼いころから、自然に各々の分業的な芽があるものです。しかしこの観念はたいへん漠然としているので、前に述べたように、自己の認識にのぼらないのです。 ところが、ある外部の刺激によって、この自覚が急に鮮明になることがしばしばあります。生まれつき軍人になるべき資質を持つ者が、ある日新聞を見て初めて自分の天職がどこにあるかを発見するようなことがそれで、こういう場合には、一時的な感情に見えるものが決して一時的な感情ではなく、生まれつきの感情の発揮です。したがって、職業を選ぶのに、一見一時的な感情と見える動機によって決めることも、必ずしも誤りとは言えません。

解説

感情が悪いのではなく、事に当たる熱は必要だが、当たるか否かを判断するときは冷静に、と新渡戸は線を引きます。新聞を見て将来を決める青年は危ういが、幼い頃から漠然とした資質の輪郭があり、外部の刺激でそれが急に鮮明になることがある、とも述べます。卵の黄身と白身が分かれて雛になる比喩です。一時の感情に見えて実は先天的な感情の発露、という考えです。現代のキャリアでも、きっかけの出来事が素質に火をつける話は珍しくありません。
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この章句が説くこと

一時の感情職業選択天職素質三つ子の魂刺激

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