自警録 / 第十五章 逆上を警む・世界の耳目を集中さした共和党の大会(1)
大正元年の夏のころ、僕は米国に滞留していたが、そのころ日本の新聞通信にも顕れたことで、シカゴ市における共和党の大会は近年にない大騒ぎで、独り米国の一大出来事たるのみならず、世界の視聴もことごとくシカゴ市に集中した。僕はシカゴまでは行かなかったが、直接または間接に関係ある人の話を聞いたり、新聞の報道を読んだりして、いかに人心が荒やいでほとんど狂するごときさまなるかを見て、これが日本であったならば抜刀騒ぎになるであろう。 米国においてもせめて、拳骨ぐらいの喧嘩があるであろうと、大会の閉会になるまで、好奇心をもって種々の新聞に眼をくばっておった。さなきだに犯罪や自殺多き夏の季節に、一万四千の腕白者が大都会の一堂に会合したことであり、群集心理の特徴として逆上しやすき時、出席者のうちの大多数は、自称政治家、自ら天下に我一人の気前の連中だからなおさらの事、一芝居の起こることを期待しておった。しかるになんぞ図らん、開会の始めにあたり上院にその人ありと聞こえたルート氏が座長に選ばれた。この人の手腕でも出席者の昂奮を撫め得ないであろう。なにしろ会場における不満連の総大将兼黒幕としてはルーズヴェルト氏自ら采配を取っているという始末であるから、我々の考えでは珍事なしには終らぬと気遣ったのも、今思えば杞憂に過ぎなかった。
書き下し
大正元年の夏のころ、僕は米国に滞留していたが、そのころ日本の新聞通信にも顕れたことで、シカゴ市における共和党の大会は近年にない大騒ぎで、独り米国の一大出来事たるのみならず、世界の視聴もことごとくシカゴ市に集中した。僕はシカゴまでは行かなかったが、直接または間接に関係ある人の話を聞いたり、新聞の報道を読んだりして、いかに人心が荒やいでほとんど狂するごときさまなるかを見て、これが日本であったならば抜刀騒ぎになるであろう。 米国においてもせめて、拳骨ぐらいの喧嘩があるであろうと、大会の閉会になるまで、好奇心をもって種々の新聞に眼をくばっておった。さなきだに犯罪や自殺多き夏の季節に、一万四千の腕白者が大都会の一堂に会合したことであり、群集心理の特徴として逆上しやすき時、出席者のうちの大多数は、自称政治家、自ら天下に我一人の気前の連中だからなおさらの事、一芝居の起こることを期待しておった。しかるになんぞ図らん、開会の始めにあたり上院にその人ありと聞こえたルート氏が座長に選ばれた。この人の手腕でも出席者の昂奮を撫め得ないであろう。なにしろ会場における不満連の総大将兼黒幕としてはルーズヴェルト氏自ら采配を取っているという始末であるから、我々の考えでは珍事なしには終らぬと気遣ったのも、今思えば杞憂に過ぎなかった。
現代語訳
大正元年の夏のころ、私はアメリカに滞在していたが、そのころ日本の新聞や通信にも載ったように、シカゴ市での共和党の大会は近年にない大騒ぎで、アメリカ一国の大事件であるばかりでなく、世界の視線もすべてシカゴ市に集まった。私はシカゴまでは行かなかったが、直接または間接に関係のある人の話を聞いたり、新聞の報道を読んだりして、人の心がどれほど荒れてほとんど狂わんばかりであるかを知り、これが日本であったなら抜刀騒ぎになるだろうと思った。 アメリカでもせめて拳骨の喧嘩くらいはあるだろうと、大会が閉会になるまで、好奇心をもって種々の新聞に目を配っていた。ただでさえ犯罪や自殺の多い夏の季節に、一万四千人のやんちゃ者が大都会の一堂に集まったのであり、群集心理の特徴として逆上しやすいときで、出席者の大多数は、自称政治家、自分こそ天下にただ一人という気概の連中だからなおさらのこと、ひと芝居が起こるのを期待していた。ところが思いがけず、開会の初めに、上院にその人ありと聞こえたルート氏が議長に選ばれた。この人の手腕でも出席者の興奮は静められないだろう。なにしろ会場の不満組の総大将兼黒幕としては、ルーズヴェルト氏自身が采配を取っているというありさまだから、私たちの考えでは騒ぎなしには終わらないだろうと気遣ったのも、今思えば杞憂にすぎなかった。
解説

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自警録・第十五章 逆上を警む・世界の耳目を集中さした共和党の大会(2)開会中ルート氏が座長となって人波を撫めた手腕は凄まじいもので、当時の記事を読んで僕がつくづく感服したのは、かねがね聞いているアングロサクソン人種の秩序的なる一点である。同氏の冷静にして、雷のごとく騒ぎ立つ数千の反対者を眼前に列べて、平然と構えて、いかに罵詈讒謗を浴せても、どこの空を風が吹く底の顔付きで落着き払って議事を進行せしめたその態度と、彼に正反対の論者が発言権を求めたとき、場内において発言を妨害せんとした彼の同志に向かって、 「我が党の歴史を顧みるに、反対者の発言を圧服して勝利を獲たる例しなし」 との一言を放ち、却って反対者の喝采を獲たところなどは、その公平無私かつ度量の寛大なるところは、ほとんどドラマチックであった。しかしルート氏には一度しか面会したことはないけれども、一目して判ることはその性格においてドラマチックの節のなきことで、この点が同じ米国人でありながら、ルーズヴェルトとは大いに性格を異にしている。氏の演説であれ、氏の会話であれ、役人が平素執務の際にとる態度で、いわゆるビジネス・ライクである。これがフランス人の会合であったならば、雄弁能弁ジェスチュアその他ドラマチックの動作がさだめしみごとなものであったろうと想像さる。
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自警録・第十五章 逆上を警む・前二例より帰納する感情の危険もちろんただ上記の二つの例をもって、米国には社会党の騒ぎもなく、政治上の腐敗もなく、自治の精神が完全無欠に発達しているというは僕の意ではない。実際かの大会においても、拳骨の撲り合いが会場の戸口で二、三度あったというし、またボストンの公園地における会合も、僕の去ったのちで巡査が来て解散したかも知れない。あるいは議論が次第に高じて来て、罵詈讒謗に終ったかも知れない。あらゆる犯罪の多い米国のことであるから、数百の人の集まったときには随分不体裁はあり得ることである。して不体裁なことのみをならべ立てようと思えば、それもはなはだ容易なわざだと思う。しかるにたびたび言うとおり僕は他山の瓦礫を捕え来たって、自国の璞玉に比してみずから快とするの愚なることを信ずるから、常に他山の石を藉りて自分の玉を磨くの用に供したいと思う。 そこで今まで述べたシカゴの大会とボストンの公園の集会を見て、我が同胞とともに顧みたいことは、一時の激昂に駆られて事をなすを慎むべき一点である。なに事をなすにも感情を交えることは危険である。むろん感情と一口に言っても高尚な感情もあるが、言うまでもなく今述べる感情は一時の客気である。とかくこの客気血気があれば考えに誤りを生じやすい。一口に熱心などと称するからよく聞こえるが、思慮のない熱心ほど己れを害し人を害するものはない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ散らすをもって、熱心があるとか、気象がさかんだとか、あるいは勇敢だとか、痛快だなどと称する。しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、御する人があればこそその方向に進んで行くが、御する者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象の旺であるのであるが、惜しいかな心を守り、気を抑える力がないのである。古人の曰く、 「この心を敬守すれば則ち心定まる、その気を斂抑すれば則ち気平かなり」と。
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自警録・第二十一章 潔き感情と正しき思想・大統領改選に現れたる米人の感情と思想米国においては四年ごとに大統領の改選が行われる。一期ごとに選挙はさかんになり、党派もふえる。したがって候補者の数も増すために、世人の議論がなかなかやかましくなる。一家のうちでも二つに割れ三つに割れているところさえもある。 しかるに彼らの論ずるところを傍で聞くと、地質学者が化石を科学的に攻究するごとき調子がある。甲の候補者はかくのごとき長所があるから、よろしく選挙すべしというと、乙の候補者の特長は、甲に対してこう勝るとか、あるいは彼らのたがいの短所がどこにあるとか、すこぶる冷淡に論じて、たまたま議論が極端に走って、容易ならぬ結果に陥るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点において親しく談話をする様子は、わが国においてはなかなか見えないことで、このことは独り政治にのみ関してしかるわけではない。日々の事業について、実業家がその職業を営むにつけても同じこと、おのれが損したからとて、みだりにその罪を他人にかぶせるようなことはない。むろんそのかわり大いに成功したからとて、他人に感謝する感情もないように見受ける。
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自警録・第二十五章 理想と実現・理想家に対する世論の変遷(1)ルーズベルトに対する世評の動くこと、実に驚くべきものである。かつては同氏を攻撃し、ほとんど蹴たおすばかりの語調が新聞や雑誌に表れ、また僕が直接話をした個人の言葉にもしばしば顕れたけれども、そののち誰いうともなく、同氏の名望が再び回復されつつある。僕はまだ同氏に面会するの機会を得ないが、氏の人格と、ことに氏が思想の人であることは彼のいうことなす事々によって明らかである。彼を嫌う人も、彼を賞むる人も、彼の人格より彼の思想について判断することを思えば、昔も今も思想家はその思想を天下に刻印するには、血をもってするの覚悟がなくてはならない。といって誤解のなきことを欲するが、われに思想あり、この思想を世に伝えんがために早くわれを殺せといわんばかりに、めざましきを好む演劇的な挙動を恣にして、態と反動を招いて、かえってはなばなしく斃れることを望むのが宜いと言うのではない。できるだけ穏便に平凡に、自分の思想を実行することにつとめることが肝心なので、これがわれわれ日々の務めである。
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自警録・第十五章 逆上を警む・ボストン公園に見た言論の自由(2)「小学校の二年級をやりなおせ」 とか、 「ジジイ、おいぼれやがったナ」 くらいの罵詈は必ず聞こえるであろうと、つくづく物思いに沈みながら、この群集を去って旅館に帰ろうとすると、同じ公園のむこう側に二、三百人もあろうかと思わるる群集がかたまっておったから、かたわらの青年に、むこうの群集は何をしているかとたずねると、 「あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日なもんですから、大勢集まっているんです」 とはなはだ尋常茶飯事のごとき口調で答えた。これが日本ならいろいろな嫌疑も受けるであろうが、自由の天地は違うと思いながら、僕はそのほうに足を運んだ。すると二、三百人の連中は一かたまりになっていないで、二十人ないし五十人ぐらいずつ別々に群っている。いずれも先の地理学新説の鼓吹者と同じように、談話的に互いの説を交換し合っている。 いずれの群集を見ても少しも激しているものはない。大言する者もなく、哂り嗤う者もない。すこぶる真面目でさながら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきであった。僕も三、四十分のあいだ甲群から乙群、丙群から丁群と彷徨して、その様子を窺ったが、かたわらに巡査がいるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先である。この時も先に述べたる共和党の大会と同じく、容易に逆上せぬこの国民にして初めて言論の自由も思想の自由も享有すべきものと思った。
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自警録・第六章 怖気の矯正・演説の顫いを止めた経験すでにしてまた一つの考えが起こった。 「この席に来た人々は日本に関する知識を求めに来たので、決して雄弁や能弁を聴くつもりで来たのでない。日本人が英語を操るのであれば、定めしブロークンな英語であろう。演説の良否よりも、内容が半分も解れば、それで足るくらいに思うであろう。また恐らくは傍聴の半数以上は聴くよりも日本人を見に来たのであろう。僕の演説を充分に解することはその期待せぬところであろう。もし彼らが僕の演説を半ばなりとも了解し得たならば彼の人は感心によく英語を話したと思ってくれるだろう。発音の訛りや、文法の誤謬などはかえって愛嬌の種子になるくらいのものだ。なるほどこの演説は自分にとっては責任が重い。しかし聴衆にして心あらば、任の重きに対して同情してくれるだろう。ゆえに演説中に誤りを笑うものがあるとも、その笑いは冷笑でない。また出来損ねたからとて、あながち国名を汚すことともなるまい。ブロークンながらも怯めず臆せず元気よくやるがよい」と。 かく自分勝手の理屈を考えて、覚悟をしたら、今までの顫いがとまった。わずかに五、六分間であったが、その間に頭脳の考えは二回変った。しかしていよいよ起った時には平然として何のこともなく、草稿にない戯談なども臨時に揷入し、幸いに案外の喝采をうけた。