自警録 / 第十七章 実業を精神化せよ・個人的利益と国家社会の利益(1)
僕はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多いのが必ずしも悪いとわが輩は言わぬ。己れを捨てて社会の利益を図るの望ましきことはいうまでもない。事を為すに国家観念より打算するもはなはだ嘉すべきことである。
書き下し
僕はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多いのが必ずしも悪いとわが輩は言わぬ。己れを捨てて社会の利益を図るの望ましきことはいうまでもない。事を為すに国家観念より打算するもはなはだ嘉すべきことである。
現代語訳
私はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会で年齢に似合わないほどの信用を受けていることも、知人がみな彼を尊敬していることも、前から承知していたが、数時間にわたって、彼の人生観、なかでも金もうけに対する態度を初めて聞き知った。私が彼の話を聞きながら、あとで気がついたのは、その言葉がただの一度も、社会のためとか、まして国家のためということに及ばなかったことである。 普通、日本の実業家であれば、五万円足らずの会社を設立するにも、その宣言には、わが身を犠牲にして社会に貢献したいとか、あるいはこれは実に国家の事業であるとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多いことを、私は必ずしも悪いとは言わない。己れを捨てて社会の利益を図るのが望ましいことは言うまでもない。事を行うにあたって国家の観念から考えるのも、はなはだ感心なことである。
解説

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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・個人的利益と国家社会の利益(2)その宣言を非難するわけではないが、その実際は如何と尋ねられれば、ややもすると国家社会は言うまでもなく、己れの友人親戚にさえも迷惑をかけて自分のみ得々として金を作ったり、あるいは自分一個の快楽のみに金を費している者もすこぶる多きに驚かざるを得ない。ゆえに僕は実業に志す人に、社会国家を忘れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮するほうがよかろうと勧めたいくらいに思っている。いかなる事業でもおそらく社会に必要なる事業であれば、宣言もせずしても社会に貢献するのである。かつまたこの事業に関係する人も直接犠牲を払うの必要はない。仮りに何か事業を起こすとする。この事業にして果たして社会に必要あるものならば、それ相応の需要が顕れて、この会社も相応に繁昌し、その結果相応の利益を得る。もし会社にして利益を得ないとすれば、その仕事を社会が要求しない証拠で、要求しないものを押売りしようと思えばこそ、国家事業であるから世間の人に私の品物を買えと叫んで押売りするようなことになりはせぬか。 社会の需要よりはるか進歩した事業でも、あるいは社会の指導者または模範ともなるような事業であっても、珠盤となればいかに勘定しても間に合わぬというごときものならば、かくのごときことは私人のなすよりは直接あるいは間接に国家そのものがなすのが至当であろう。もっともこの問題については経済学者、財政学者の起点より見れば、解決をするに許多の考慮をせねばならぬことであるから、ここで論ずる範囲でないけれども、だいたいにおいて個人なりあるいは私設会社がなすべき経済行動は、国家社会のためといわんよりは、その個人その会社の利益のためだと公言しても恥ずることはないし、また実際に当たっているのである。英米独仏いずれの先進国にしても、経済上発展を遂げたのは個人の利益を主としたからである。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・個人の最良なる利益はすなわち社会国家の利益かく言ったからとて僕は憎むべき意味における個人主義を唱えるものではない。西洋にいわゆる個人主義なるものには必ずしも悪い意味が入っておらぬ。すこぶる高尚なる意味をふくましむることの出来るのは、ちょうど社会主義なる言葉の内にも必ずしもおそるべく憎むべき破壊的なる思想をふくますべきものでなく、穏な高尚な建設的なる内容を、含蓄せしむることが出来ると同じである。実業家がその業につくに、個人の利益を旨として差支えないと断言するについても、読者の曲解なきことを切に望む。 国民が各〻個人的の最良なる利益を図ったならば、その結果はおそらく社会と国家との利益になることであろう。僕はことさら最良なる利益なる文字に力をいれて言う。我利々々亡者連が他の者の事業を妨害したり、競争者を中傷したり、人身攻撃をしたり、捏造説をはいたり、その他卑劣な方法によりて得る利益は、僕のいう最良の利益とはあい反するものである。 最良の利益とは正々堂々と人の前でいって恥ずかしくないことをいうのである。この冒頭に話した米人の己れの一家のよろしきを図るごときは、人に対して何の恥ずるところもない。もしこの男にして一家の驕奢を図り、その妻には流行の先駆者たらしめ、あるいは子女をしてだらしのない娯楽に耽けらしむることをもって、己れの利益とみなしたならば、これはまさしく恥ずべきことである。しかるに己れよりは一歩進んだ人に育てあげようという目的ならば、これまさしく国家のため善良なる市民を捧げるのであるから、国家のためといわないで、確かに国家の利益を図っておる。かつまた己れの事業にして繁昌すれば、営業税も余計に収め、もって国家に対する負担も喜んで増し、また海外に輸出額がふえればこれまた国産に貢献することであるからなおまた国のためになる。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・米国実業家の人生観(1)かつて米国フィラデルフィアにいたころ、資本額二百万円ばかりの中ぐらいな合資会社の社長をしておる四十五、六歳の男と親しく話をする機会があって、いわゆる拝金国の米国の実業家にもかくのごとき考えの者があるか、否一歩進めてこの国の実業家の中に少しく品のよい者は、こういう考えで世を渡る者かと、つくづく感じたことがある。その談話の要領は彼の言葉のままに挙げれば、 「二十年以来の知人のことであるから、君もいくらか察しられているだろうが、僕は大学の教育も受けず、幼少の時から会社に入って、今日までで三十ヵ年にもなる。その間、社務にあくせくしているのと、かつ視力の許さぬがために読書もできず、また美術の趣味を涵養することもなく、すこぶる乾燥無味な人間になり果てて、朝から晩まで事業々々とばかり心がけて年を送った。その代りには僕が社長になってからわずか五、六年にしかならんけれども、事業の発展についてはいくらか見るべきところもある。今は四ヵ所に工場も起こし、販売係は諸所に出張さしており、配当もこの国においてはまず相当と思うだけのこともして、有難いことにはこの市内の銀行ならば僕の手紙でいくらでも金を出してくれるだけになっている。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・国家のためという誤解の危険これに反し、しばしば我々が耳にするもので、しかじかの事業は己れには不利であるが国家的事業であるから、身を犠牲にしてこれに当たるなどいうことは、言葉を換えていうと、国家が個人に要求することのあまりに多きことを意味することになる。もちろん一旦事ある時は個人の利益や個人の財産生命も投げ出さねばならぬが、平生何事についても国民より重い犠牲を要求するような国家は、国家の一大目的に背いているもので、はたしてそういう国家が今日世界にあるならば、永続の覚束ない国家といわねばなるまい。 幸いにして我が国では相当に税は重いとはいいながら、まだまだ個人の営業について、しばしば犠牲を要求するほどに弱いものでないのはお互いに慶すべきことである。僕の友人が地方に巡回して農民に勧めるときに、お前たちの仕事は実に国家的の事業であって、昔から農は国の本というたくらいであるから、いかに苦しくも、いかに利益が薄くとも、国家のために奮励せよと説いて歩いた。かの意味は、多分農民みずからが奮励して、農業を利益あるようにせよという意味であったろうけれども、普通農民の耳に入ったときは、やはり昔のごとく強制的に労働をして、ただお上に運上を収める道具になるだけのことであるという観念を与えた。 晨に星をいただいて出で、夕に月を踏んで帰るその辛苦も国家のためなりと思って甘んずればよいが、なかなか普通人情として甘んじてのみいるものでない。しかして甘んじないときは国家が己れを苦しめることのはなはだしいものである。こんな国家はないほうがいいという結論にも来たり得るし、また歴史上そういう結論をした国民も折々ある。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・「国家」というよりも健全なる個人思想が大切(1)僕はくれぐれも言うが、国家のために忠君愛国の観念は貴ぶべきものにして、独り教育のみならず実業においても涵養すべきものであると思う。この観念の涵養は漫りにくりかえすことによりて目的を果たし得るものでない。これを乱用すればかえって正反対の結果を来たすを恐れる。ちょうど欧米において宗教の力の最もさかんな時には、何事についても上帝やキリストを担ぎ出して、その目的を果たそうとしたが、その結果を見るとかえって面白くないことが多かった。たとえば療法にも信仰だの加持祈祷だのを混合する。もちろん病気によってはいわゆる気の病いもあるから、心の持ちようで癒る病気もあろう。してこの類の病気には信仰が著しく功を奏したろうけれども、黴菌から起こる病いのごときに至っては、宗教が入り込んではかえって療治の邪魔になることが多い。 教育においてもそうである。僕自身は宗教なき教育は人の心髄を動かすものでないと信ずるけれども、しからばとて学校の課目に宗教を入れることは、かえって教育の目的を阻害するものと思う。と同様に実業にも国家や愛国を入れることは、(僕は非常の時を言うのではない)かえって実業の邪魔にもなり、また国家愛国の観念にも疵をつける憂いがある。
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自警録・第二十一章 潔き感情と正しき思想・我が商人は事業と人情とを混同する(1)西洋の新聞や雑誌に、しばしば日本の実業家の品性すなわち商業道徳なるものを難じている。われわれとてもいかに讃めたくも、日本の商業道徳を西洋のそれに優るとはいいかねる。否大いに劣ると言わざるをえない。その理由は許多あるが、僕がここで言いたいことは唯一点である。 すなわち日本の実業家はおのれの事業中に感情を揷はさむの欠点あることである。無論よくいえば、冷たい金銭に人情を加えるのであるから、かえって高尚らしくも聞こえるけれども、それは慈善をなすときか、友人を祝うときか、霊前に供うるときのことで、事業のためには、金銭は単に無心無情の器械である。ところがその器械に一種の感情をつけ加えるのがかえって間違いの基となる。失敗すると、失敗の本たりし理由を人格視して、あの金のために祟られたとか、あの機械のために一身を亡ぼしたとか、ついにはこれを供給した人にこの怨を被せ、何の某はあれほど老練であるから、この事業の失敗することはわかっておったろうに、なにゆえおれに出資するとき注意しなかったろうとか、某はおれの性質をよく心得ているに、金だけ貸して一言の忠告しなかったのはひどい。某は大いにわが輩の着手するときに賛成したのを見ると、わが輩の倒るるのを予期して、かえって事あることを心ひそかに喜んでいるであろうとか、某は初めのうちは大いにわが輩に注意を加えて手出しをしないように勧めたが、真にこういう失敗のあることを予期したならば、なぜ、もすこし強く警戒してくれなかったろう。ちょっといい加減に注意するくらいは、かえって不親切である、などの議論はわが輩もしばしば聞いたし、読者も必ず聞いたろう。また、なかには言うた人もあるかも知れぬ。