自警録 / 第十七章 実業を精神化せよ・米国実業家の人生観(2)
しかし僕は学問や技芸に不案内であると同様に、金銭についても正直お話するとはなはだ無頓着で、毎日金勘定をしながら金持になってなんになるだろうと常に思わないことはない。子供の時から慣れた職業であるから今さら転職するのも好まぬし、よしまた金が要らぬというてわが輩が辞したならば、実際のところ社長にあたる人がない。して君の知らるる通り僕には妻もあり子供の二人もあることゆえ、自分は金がつまらないといって、山に引っ込んで妻子の苦労も顧みぬというほど、僕はいわゆる神聖な人にはなりかねる。また妻子を苦しめて自分のみ潔よいということがほんとの神聖とも思わない。天が我に子供を与えた以上は、彼らをして僕以上の者にするだけの義務は僕にある。また自分の妻についても、自分が世を去ったあとで寡婦として暮らすばかりも気の毒であるに、衣食に不足のことがあるようでは、なんとも天に対し妻に対し妻の家族に対して申し訳がないと思えばこそ、金の貴いこともいくらか知るが、今日のところでは幸い後顧の憂いがないだけになったから、なんだこの金はと思う気が常に僕の頭を去らない。 もっとも君の見らるる通り、僕の家には、装飾品もなければ骨董品もないし、また僕の着る着物は、家内のも子供のも同然、流行には添わない。友だちにもたびたび、せめて時計だけは金のに代えよなどともいわれるけれども、この銀時計は子供のときから持った慕しい記念物だから、これを離すわけにはゆかぬ、もっとも二、三ヵ月前に自動車を買ったので、やはり流行にかかわると笑った人もあったが、笑う者に説明する必要はないけれども、僕の真情を明かしていうと、僕の息子にだけは時勢に遅れさせたくない。して自動車はもはや贅沢品ではない。今後ますます発達するものと思えば、将来世に出て働く者はこれしきのことは心得ておらなければならぬし、かつ子供に器械だの物理だのの観念を養成さすには、何か彼が興味をもって当たる物を与えなければ、書物の学問だけでは実際に迂くなると思うから、僕が要るような顔をして実は子供に運転と使用とを馴らさせるために買った云々」 と長時間、真情を打ち開けて話した。
書き下し
しかし僕は学問や技芸に不案内であると同様に、金銭についても正直お話するとはなはだ無頓着で、毎日金勘定をしながら金持になってなんになるだろうと常に思わないことはない。子供の時から慣れた職業であるから今さら転職するのも好まぬし、よしまた金が要らぬというてわが輩が辞したならば、実際のところ社長にあたる人がない。して君の知らるる通り僕には妻もあり子供の二人もあることゆえ、自分は金がつまらないといって、山に引っ込んで妻子の苦労も顧みぬというほど、僕はいわゆる神聖な人にはなりかねる。また妻子を苦しめて自分のみ潔よいということがほんとの神聖とも思わない。天が我に子供を与えた以上は、彼らをして僕以上の者にするだけの義務は僕にある。また自分の妻についても、自分が世を去ったあとで寡婦として暮らすばかりも気の毒であるに、衣食に不足のことがあるようでは、なんとも天に対し妻に対し妻の家族に対して申し訳がないと思えばこそ、金の貴いこともいくらか知るが、今日のところでは幸い後顧の憂いがないだけになったから、なんだこの金はと思う気が常に僕の頭を去らない。 もっとも君の見らるる通り、僕の家には、装飾品もなければ骨董品もないし、また僕の着る着物は、家内のも子供のも同然、流行には添わない。友だちにもたびたび、せめて時計だけは金のに代えよなどともいわれるけれども、この銀時計は子供のときから持った慕しい記念物だから、これを離すわけにはゆかぬ、もっとも二、三ヵ月前に自動車を買ったので、やはり流行にかかわると笑った人もあったが、笑う者に説明する必要はないけれども、僕の真情を明かしていうと、僕の息子にだけは時勢に遅れさせたくない。して自動車はもはや贅沢品ではない。今後ますます発達するものと思えば、将来世に出て働く者はこれしきのことは心得ておらなければならぬし、かつ子供に器械だの物理だのの観念を養成さすには、何か彼が興味をもって当たる物を与えなければ、書物の学問だけでは実際に迂くなると思うから、僕が要るような顔をして実は子供に運転と使用とを馴らさせるために買った云々」 と長時間、真情を打ち開けて話した。
現代語訳
しかし僕は、学問や技芸に不案内であるのと同様に、金銭についても、正直に言うとはなはだ無頓着で、毎日金勘定をしながら、金持ちになってなんになるだろうと思わないことはない。子供のときから慣れた職業なので、今さら転職するのも好まないし、よしんば、金はいらないと言って僕が辞めたとしても、実際のところ、社長にあたる人がいない。それに、君も知っているとおり、僕には妻があり子供が二人あるのだから、自分は金がつまらないからといって、山に引っ込んで妻子の苦労も顧みないというほど、僕はいわゆる神聖な人にはなれない。また、妻子を苦しめて自分だけが潔いというのが本当の神聖だとも思わない。天が僕に子供を与えた以上は、彼らを僕以上の者にするだけの義務が僕にある。また妻についても、僕が世を去ったあとで寡婦として暮らすのも気の毒なのに、衣食に不足があるようでは、天に対しても妻に対しても妻の家族に対しても申し訳ないと思えばこそ、金の貴いこともいくらかは知っているが、今日のところは幸い後顧の憂いがないだけになったので、なんだこの金は、と思う気持ちが常に頭を離れない。 もっとも、君も見ているとおり、僕の家には装飾品も骨董品もないし、また僕の着る着物は、家内のも子供のも同様に、流行には合わない。友人からもたびたび、せめて時計だけは金のものに替えろと言われるけれども、この銀時計は子供のときから持っていた慕わしい記念の品だから、手放すわけにはいかない。もっとも二、三か月前に自動車を買ったので、やはり流行にかかわると笑った人もあったが、笑う者に説明する必要はないけれども、僕の真情を打ち明けて言えば、僕の息子にだけは時勢に遅れさせたくない。そして自動車はもはや贅沢品ではない。今後ますます発達するものと思えば、将来世に出て働く者はこれくらいのことは心得ていなければならないし、また子供に機械や物理の観念を養わせるには、何か彼が興味をもって取り組む物を与えなければ、書物の学問だけでは実際に疎くなると思うから、僕が必要なような顔をして、実は子供に運転と使用とを習熟させるために買った、云々」 と長時間、真情を打ち明けて話した。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・米国実業家の人生観(1)かつて米国フィラデルフィアにいたころ、資本額二百万円ばかりの中ぐらいな合資会社の社長をしておる四十五、六歳の男と親しく話をする機会があって、いわゆる拝金国の米国の実業家にもかくのごとき考えの者があるか、否一歩進めてこの国の実業家の中に少しく品のよい者は、こういう考えで世を渡る者かと、つくづく感じたことがある。その談話の要領は彼の言葉のままに挙げれば、 「二十年以来の知人のことであるから、君もいくらか察しられているだろうが、僕は大学の教育も受けず、幼少の時から会社に入って、今日までで三十ヵ年にもなる。その間、社務にあくせくしているのと、かつ視力の許さぬがために読書もできず、また美術の趣味を涵養することもなく、すこぶる乾燥無味な人間になり果てて、朝から晩まで事業々々とばかり心がけて年を送った。その代りには僕が社長になってからわずか五、六年にしかならんけれども、事業の発展についてはいくらか見るべきところもある。今は四ヵ所に工場も起こし、販売係は諸所に出張さしており、配当もこの国においてはまず相当と思うだけのこともして、有難いことにはこの市内の銀行ならば僕の手紙でいくらでも金を出してくれるだけになっている。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・子供の学資金を謝絶す(2)成程是れは宜い話で、此方はモウ実に金に焦れて居るその最中に、二人の子供の洋行費が天から降て来たようなもので、即刻応と返辞をしなければならぬ処だが、私は考えました。待て霎時、どうも爾うでない、抑も乃公が彼の学校の監督をしないと云うものは、為ない所以があって為ないとチャンと説を極めて居る。ソコで今金の話が出て来て、その金の声を聞き前説を変じて学校監督の需に応じようと云えば、前に之を謝絶したのが間違いか、ソレが間違いでなければ今その金を請取るのが間違いである。金の為めに変説と云えば、金さえ見れば何でもすると斯う成らなければならぬ。是れは出来ない。且つ又今日金の欲しいと云うのは何の為めに欲しいかと云えば、小供の為めだ。小供を外国で修業させて役に立つように為よう、学者に為ようと云う目的であるが、子を学者にすると云う事が果して親の義務であるかないか、是れも考えて見なければならぬ。家に在る子は親の子に違いない。違いないが、衣食を授けて親の力相応の教育を授けて、ソレで沢山だ。如何あっても最良の教育を授けなければ親たる者の義務を果さないと云う理窟はない。親が自分に自から信じて心に決して居るその説を、子の為めに変じて進退すると云ては、所謂独立心の居処が分らなくなる。親子だと云ても、親は親、子は子だ。その子の為めに節を屈して子に奉公しなければならぬと云うことはない。宜しい、今後若し乃公の子が金のない為めに十分の教育を受けることが出来なければ、是れはその子の運命だ。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・人生を甘からしむる心がけ今まで述べたくだくだしいことを約言すれば、冒頭に掲げた米人の言うごとく、おのおのが潔よい愛情から起算して、(親なり妻なり子なり、最も自分に近いゆえに最も自分に親しい情合いに基づいて)己れの日々の事務を怠らず、百姓は百姓、商人は商人、教師は教師、役人は役人と己れの預っている職務に忠実にして、なおかつ思想は高く俗界を超越して、商人が金を造っても金を目的とせず、農家が肥料を施しても収穫以上に目的を置き、教師が教場に出ても志を遠きに着け、役人が執務するに、俗務のために没却されない、すなわち一言に縮めると、吾人が人格としてまったく世を隔れた思想をいだくと同時に、常に世に対してはいかなる俗務といえどもこれを尽し、わが輩のたびたびいう垂直的関係と平面的関係との調和を始終図って行けば、つまらぬ務めにも深い意味のあることがわかり、また深い意味のある思想がいわゆるつまらぬことにも顕れて、もって人生の味がはなはだ甘きをなすものである。 「軒冕(高貴の人の乗る馬車)の中におれば、山林の気味なかるべからず。林泉(田舎の意)の下に処りては、須らく廊廟(朝廷)の経綸を懐くを要すべし」と。 吾人は、いかなる低き、いわゆる卑しき職に従事しても心一つは高く持ちたい。
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福翁自伝・品行家風・子女の間に軽重なしソレから又私に九人の子供があるが、その九人の中に軽重愛憎と云うことは真実一寸ともない。又四男五女のその男の子と女の子と違いのあられよう訳けもない。世間では男子が生れると大造目出度がり、女の子でも無病なれば先ず/\目出度いなんて、自から軽重があるようだが、コンな馬鹿気た事はない。娘の子なれば何が悪いか、私は九人の子がみんな娘だって少しも残念と思わぬ。唯今日では男の子が四人、女の子が五人、宜い塩梅に振分けになってると思うばかり、男女長少、腹の底から之を愛して兎の毛ほども分隔てはない。道徳学者は動もすると世界中の人を相手にして一視同仁なんて大きな事を云てるではないか。況して自分の生んだ子供の取扱いに、一視同仁が出来ぬと云うような浅ましい事があられるものか。唯私の考に、総領もその他の子供も同じとは云いながら、私が死ねば総領が相続する、相続すれば自から中心になるから、財産を分配するにも、外の子に比較して一段手厚くして、又何か物があって、兄弟中誰にも遣りようがない、唯一つしかないと云うような物は、総領の一太郎が取て宜かろうと云うくらいな事で、その外には何も変ることはない。例えば斯う云う事がある。明治十四、五年の頃、月日は忘れたが、私が日本橋の知る人の家に行て見ると、その座敷に金屏風だの蒔絵だの花活だのゴテ/\一杯に列べてある。コリャ何だと聞て見れば、亜米利加に輸出する品だと云う。夫れから私が不図した出来心で、この品を一目見渡して私の欲しいものは一品でもない、皆不用品だが、又入用と云えば一品も残さず皆入用だ、兎に角に之を亜米利加に積出して幾らの金になれば宜いのかソレは知らぬけれども、売ると云えば皆買うが如何だ、買たからと云てソレを又儲けて売ろうと云うのではない、家に仕舞込んで置くのだと云うと、その主人も唯の素町人でない、成程爾うだな、コリャ名古屋から来た物であるが、亜米利加に遣て仕舞えば是れ丈けの品がなくなる、お前さんの処に遣れば失くならずにあるから売りましょう、ソンなら皆買うと云て、二千二、三百円かで、何百品あるか碌に品も見ないで皆買て仕舞たが、夫れから私がその品を見て楽むではなし、品柄も能く知らず数も覚えず、唯邪魔になるばかりだから、五、六年前の事でした、九人の小供に分けて取て仕舞えと申して、小供がワイ/\寄て、その品を九に分けて、ソレを籤で取て、今では皆小供が銘々に引受けて、家を持て居る者は家に持て行く者もあり、マダ私のところの土蔵の中に入れてあるのもある、と云うのが凡そ私の財産分配法で、如何にもその子に厚薄と云うものは一寸ともないのですから、小供の中に不平があろうたッて有られた訳けのものでないと思て居ます。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金がなければ出来る時まで待つソレから段々成長して、中津に居る間は漢学修業の傍に内職のような事をして多少でも家の活計を助け、畑もすれば米も搗き飯も炊き、鄙事多能、あらん限りの辛苦して貧小士族の家に居り、年二十一のとき始めて長崎に行て、勿論学費のあろう訳けもない、寺の留守番をしたり砲術家の食客になったりして、不自由ながら蘭学を学んで、その後大阪に出て、大阪の緒方先生の塾に修業中も、相替らず金の事は恐ろしくて唯の一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことで分り切て居るから、その返済する金が出来る位ならば、出来る時節まで待て居て借金はしないと、斯う覚悟を極めて、ソコで二朱や一分は扨置き、百文の銭でも人に借りたことはない。チャンと自分の金の出来るまで待て居る。夫れから又私は質に置たことがない。着物は塾に居るときも故郷の母が夏冬手織木綿の品を送て呉れましたが、ソレを質に置くと云えば何時か一度は請還さなければならぬ。請還す金があるならその金の出来るまで待て居るが宜いと斯う思うから、金の入用はあっても只の一度も質に入れたことがない。けれどもいよ/\金に迫て如何してもなくてならぬと云うときか、恥かしい事だが酒が飲みたくて堪らないと云うようなことがあれば、思切てその着物を売て仕舞います。例えばその時に浴衣一枚を質に入れゝば弐朱貸して呉れる、之を手離して売ると云えば弐朱と弐百文になるから売ることにすると云うような経済法にして、且つ又私は写本で銭を取ることもしない。大事な修業の身を以て銭の為めに時を費すは勿体ない、吾身の為めには一刻千金の時である、金がなければ唯使わぬと覚悟を定めて、大阪に居る間とう/\一銭の金も借用したことなくして、その後江戸に来ても同様、仮初にも人に借用したことはない。折節自分で想像しては唯怖くて堪らない、借金が出来て人から催促されたら如何だろう、世間の人、朋友の中にも毎度ある話だ、借金が出来て返さなければならぬと云て、此方から借りては彼方に返し、又彼方から借りては此方に返すと云う者があるが、私は少しも感服しない。誠に気の済まぬ話で、金を借りて返さなくてならぬなんて嘸忙しい事であろう、能くもアレで一日でも半日でも安んじて居られたものだと思うて、殆んど推量が出来ない。一口に云えば私は借金の事に就て大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用してその催促に逢うて返すことが出来ないと云うときの心配は、恰も白刃を以て後ろから追蒐けられるような心地がするだろうと思います。