自警録 / 第十七章 実業を精神化せよ・個人的利益と国家社会の利益(2)
その宣言を非難するわけではないが、その実際は如何と尋ねられれば、ややもすると国家社会は言うまでもなく、己れの友人親戚にさえも迷惑をかけて自分のみ得々として金を作ったり、あるいは自分一個の快楽のみに金を費している者もすこぶる多きに驚かざるを得ない。ゆえに僕は実業に志す人に、社会国家を忘れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮するほうがよかろうと勧めたいくらいに思っている。いかなる事業でもおそらく社会に必要なる事業であれば、宣言もせずしても社会に貢献するのである。かつまたこの事業に関係する人も直接犠牲を払うの必要はない。仮りに何か事業を起こすとする。この事業にして果たして社会に必要あるものならば、それ相応の需要が顕れて、この会社も相応に繁昌し、その結果相応の利益を得る。もし会社にして利益を得ないとすれば、その仕事を社会が要求しない証拠で、要求しないものを押売りしようと思えばこそ、国家事業であるから世間の人に私の品物を買えと叫んで押売りするようなことになりはせぬか。 社会の需要よりはるか進歩した事業でも、あるいは社会の指導者または模範ともなるような事業であっても、珠盤となればいかに勘定しても間に合わぬというごときものならば、かくのごときことは私人のなすよりは直接あるいは間接に国家そのものがなすのが至当であろう。もっともこの問題については経済学者、財政学者の起点より見れば、解決をするに許多の考慮をせねばならぬことであるから、ここで論ずる範囲でないけれども、だいたいにおいて個人なりあるいは私設会社がなすべき経済行動は、国家社会のためといわんよりは、その個人その会社の利益のためだと公言しても恥ずることはないし、また実際に当たっているのである。英米独仏いずれの先進国にしても、経済上発展を遂げたのは個人の利益を主としたからである。
書き下し
その宣言を非難するわけではないが、その実際は如何と尋ねられれば、ややもすると国家社会は言うまでもなく、己れの友人親戚にさえも迷惑をかけて自分のみ得々として金を作ったり、あるいは自分一個の快楽のみに金を費している者もすこぶる多きに驚かざるを得ない。ゆえに僕は実業に志す人に、社会国家を忘れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮するほうがよかろうと勧めたいくらいに思っている。いかなる事業でもおそらく社会に必要なる事業であれば、宣言もせずしても社会に貢献するのである。かつまたこの事業に関係する人も直接犠牲を払うの必要はない。仮りに何か事業を起こすとする。この事業にして果たして社会に必要あるものならば、それ相応の需要が顕れて、この会社も相応に繁昌し、その結果相応の利益を得る。もし会社にして利益を得ないとすれば、その仕事を社会が要求しない証拠で、要求しないものを押売りしようと思えばこそ、国家事業であるから世間の人に私の品物を買えと叫んで押売りするようなことになりはせぬか。 社会の需要よりはるか進歩した事業でも、あるいは社会の指導者または模範ともなるような事業であっても、珠盤となればいかに勘定しても間に合わぬというごときものならば、かくのごときことは私人のなすよりは直接あるいは間接に国家そのものがなすのが至当であろう。もっともこの問題については経済学者、財政学者の起点より見れば、解決をするに許多の考慮をせねばならぬことであるから、ここで論ずる範囲でないけれども、だいたいにおいて個人なりあるいは私設会社がなすべき経済行動は、国家社会のためといわんよりは、その個人その会社の利益のためだと公言しても恥ずることはないし、また実際に当たっているのである。英米独仏いずれの先進国にしても、経済上発展を遂げたのは個人の利益を主としたからである。
現代語訳
その宣言を非難するわけではないが、実際はどうかと尋ねられれば、ともすれば国家社会はいうまでもなく、自分の友人や親戚にさえ迷惑をかけて、自分だけ得々として金をつくったり、あるいは自分一個の快楽のためだけに金を費やしたりしている者もすこぶる多いのに驚かざるを得ない。だから私は、実業に志す人に、社会国家を忘れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮したほうがよかろうと勧めたいくらいに思っている。どのような事業でも、おそらく社会に必要な事業であれば、宣言をしなくても社会に貢献するのである。しかもこの事業に関係する人は、直接に犠牲を払う必要はない。仮に何か事業を起こすとする。この事業が本当に社会に必要なものならば、それ相応の需要が現れて、この会社も相応に繁盛し、その結果、相応の利益を得る。もし会社が利益を得ないとすれば、その仕事を社会が要求していない証拠で、要求しないものを押し売りしようとするからこそ、国家事業だから世間の人は私の品物を買えと叫んで、押し売りするようなことになりはしないか。 社会の需要よりはるかに進んだ事業でも、あるいは社会の指導者や模範ともなるような事業でも、算盤の上でどう勘定しても採算が合わないというようなものであれば、そのようなことは、私人がするより、直接または間接に国家そのものがするのが適当であろう。もっとも、この問題については、経済学者や財政学者の立場から見れば、解決するのに多くの考慮をしなければならないことであるから、ここで論じる範囲ではないけれども、だいたいにおいて、個人や私設会社がなすべき経済行動は、国家社会のためというより、その個人、その会社の利益のためだと公言しても恥じることはないし、また実際にそのとおりである。英米独仏のどの先進国にしても、経済上の発展を遂げたのは、個人の利益を主としたからである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
自警録・第十七章 実業を精神化せよ・個人の最良なる利益はすなわち社会国家の利益かく言ったからとて僕は憎むべき意味における個人主義を唱えるものではない。西洋にいわゆる個人主義なるものには必ずしも悪い意味が入っておらぬ。すこぶる高尚なる意味をふくましむることの出来るのは、ちょうど社会主義なる言葉の内にも必ずしもおそるべく憎むべき破壊的なる思想をふくますべきものでなく、穏な高尚な建設的なる内容を、含蓄せしむることが出来ると同じである。実業家がその業につくに、個人の利益を旨として差支えないと断言するについても、読者の曲解なきことを切に望む。 国民が各〻個人的の最良なる利益を図ったならば、その結果はおそらく社会と国家との利益になることであろう。僕はことさら最良なる利益なる文字に力をいれて言う。我利々々亡者連が他の者の事業を妨害したり、競争者を中傷したり、人身攻撃をしたり、捏造説をはいたり、その他卑劣な方法によりて得る利益は、僕のいう最良の利益とはあい反するものである。 最良の利益とは正々堂々と人の前でいって恥ずかしくないことをいうのである。この冒頭に話した米人の己れの一家のよろしきを図るごときは、人に対して何の恥ずるところもない。もしこの男にして一家の驕奢を図り、その妻には流行の先駆者たらしめ、あるいは子女をしてだらしのない娯楽に耽けらしむることをもって、己れの利益とみなしたならば、これはまさしく恥ずべきことである。しかるに己れよりは一歩進んだ人に育てあげようという目的ならば、これまさしく国家のため善良なる市民を捧げるのであるから、国家のためといわないで、確かに国家の利益を図っておる。かつまた己れの事業にして繁昌すれば、営業税も余計に収め、もって国家に対する負担も喜んで増し、また海外に輸出額がふえればこれまた国産に貢献することであるからなおまた国のためになる。
-
自警録・第十七章 実業を精神化せよ・個人的利益と国家社会の利益(1)僕はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多いのが必ずしも悪いとわが輩は言わぬ。己れを捨てて社会の利益を図るの望ましきことはいうまでもない。事を為すに国家観念より打算するもはなはだ嘉すべきことである。
-
自警録・第十七章 実業を精神化せよ・国家のためという誤解の危険これに反し、しばしば我々が耳にするもので、しかじかの事業は己れには不利であるが国家的事業であるから、身を犠牲にしてこれに当たるなどいうことは、言葉を換えていうと、国家が個人に要求することのあまりに多きことを意味することになる。もちろん一旦事ある時は個人の利益や個人の財産生命も投げ出さねばならぬが、平生何事についても国民より重い犠牲を要求するような国家は、国家の一大目的に背いているもので、はたしてそういう国家が今日世界にあるならば、永続の覚束ない国家といわねばなるまい。 幸いにして我が国では相当に税は重いとはいいながら、まだまだ個人の営業について、しばしば犠牲を要求するほどに弱いものでないのはお互いに慶すべきことである。僕の友人が地方に巡回して農民に勧めるときに、お前たちの仕事は実に国家的の事業であって、昔から農は国の本というたくらいであるから、いかに苦しくも、いかに利益が薄くとも、国家のために奮励せよと説いて歩いた。かの意味は、多分農民みずからが奮励して、農業を利益あるようにせよという意味であったろうけれども、普通農民の耳に入ったときは、やはり昔のごとく強制的に労働をして、ただお上に運上を収める道具になるだけのことであるという観念を与えた。 晨に星をいただいて出で、夕に月を踏んで帰るその辛苦も国家のためなりと思って甘んずればよいが、なかなか普通人情として甘んじてのみいるものでない。しかして甘んじないときは国家が己れを苦しめることのはなはだしいものである。こんな国家はないほうがいいという結論にも来たり得るし、また歴史上そういう結論をした国民も折々ある。
-
『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
-
『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法試みに例えば石油であるとか、もしくは製粉であるとか、あるいは人造肥料であるというような業務について考えて見ても、もし利益を進めるという観念がなくて、成り行き次第でどうでもよいというような風にやったならば、決して事業が発達するものではない。富の増進するものでないことは明らかである。仮にもしその仕事が自己の利害に関係せず、人ごとに儲かっても己れの仕合わせにならぬ、損しても不仕合わせにならぬということであったならば、その事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、この物を進めたい、この仕事を発達せしむるということは争うべからざる事実である。されば、もしそういう観念から他の事を凌いで、あるいは世の中の大勢を知らず、あるいは事情を察せずに、我さえ善ければよいということであったならば、いかになるか。必ずともにその不幸を蒙って、己れ一人を利そうと思った、その己れもまた不幸を蒙るということになるのである。
-
自警録・第十七章 実業を精神化せよ・「国家」というよりも健全なる個人思想が大切(1)僕はくれぐれも言うが、国家のために忠君愛国の観念は貴ぶべきものにして、独り教育のみならず実業においても涵養すべきものであると思う。この観念の涵養は漫りにくりかえすことによりて目的を果たし得るものでない。これを乱用すればかえって正反対の結果を来たすを恐れる。ちょうど欧米において宗教の力の最もさかんな時には、何事についても上帝やキリストを担ぎ出して、その目的を果たそうとしたが、その結果を見るとかえって面白くないことが多かった。たとえば療法にも信仰だの加持祈祷だのを混合する。もちろん病気によってはいわゆる気の病いもあるから、心の持ちようで癒る病気もあろう。してこの類の病気には信仰が著しく功を奏したろうけれども、黴菌から起こる病いのごときに至っては、宗教が入り込んではかえって療治の邪魔になることが多い。 教育においてもそうである。僕自身は宗教なき教育は人の心髄を動かすものでないと信ずるけれども、しからばとて学校の課目に宗教を入れることは、かえって教育の目的を阻害するものと思う。と同様に実業にも国家や愛国を入れることは、(僕は非常の時を言うのではない)かえって実業の邪魔にもなり、また国家愛国の観念にも疵をつける憂いがある。