自警録 / 第十六章 富貴の精神化・富者の権利と義務(2)
しかるに財産の義務なるものは、わずかにその負担する税額ぐらいに止まって、その額も重い重いと言いながら権利に較ぶれば、案外に軽いものと思われる。ことに法文の読みようによっては、義務を忌避する道も随分ある。ゆえに世に勢力ある人の中には種々なる口実をもって財産の義務をことごとく負担しないものがある。現に我々が仮りに所得税の負担額を較べて見ればただちに判るであろうが、わずか二、三千円の俸給を受くる学校教師などが、先の何々大臣、あるいは何々爵にして市内市外に許多の高甍宏閣を構えている人よりも以上の租税を払っている例すらある。そんなら、彼ら大尽は地租の目の下に多額の負担ありやと尋ぬれば、彼らの園邸は宅地にあらずして、山林と登録してあるから、税率もはなはだ少ない。かくのごときは財産の権利を享有しながら、その義務を負担しないというものである。富が跋扈するというと、いつも米国を例にとるが、焉んぞ知らん日本にもその例に乏しからぬを。 僕がかくのごとき言を述べたならば、あるいはいたずらに人を責むるように聞こゆるであろうが、わが輩はそれがし何某なる個人を攻撃する考えは毛頭ない。法文の曲解を難ずる意であって、僕は君子ではないが、人の罪を憎んで、その人を憎まないように心がける積りである。ゆえに富める者が不正なことをし、あるいは人を苦しめてなお蓄財することがあるにしても、その人よりも社会の制度が不完全ならびに輿論がまだ未熟にして、富者といわんよりは富貴の義務を自覚しないことを難じたい。
書き下し
しかるに財産の義務なるものは、わずかにその負担する税額ぐらいに止まって、その額も重い重いと言いながら権利に較ぶれば、案外に軽いものと思われる。ことに法文の読みようによっては、義務を忌避する道も随分ある。ゆえに世に勢力ある人の中には種々なる口実をもって財産の義務をことごとく負担しないものがある。現に我々が仮りに所得税の負担額を較べて見ればただちに判るであろうが、わずか二、三千円の俸給を受くる学校教師などが、先の何々大臣、あるいは何々爵にして市内市外に許多の高甍宏閣を構えている人よりも以上の租税を払っている例すらある。そんなら、彼ら大尽は地租の目の下に多額の負担ありやと尋ぬれば、彼らの園邸は宅地にあらずして、山林と登録してあるから、税率もはなはだ少ない。かくのごときは財産の権利を享有しながら、その義務を負担しないというものである。富が跋扈するというと、いつも米国を例にとるが、焉んぞ知らん日本にもその例に乏しからぬを。 僕がかくのごとき言を述べたならば、あるいはいたずらに人を責むるように聞こゆるであろうが、わが輩はそれがし何某なる個人を攻撃する考えは毛頭ない。法文の曲解を難ずる意であって、僕は君子ではないが、人の罪を憎んで、その人を憎まないように心がける積りである。ゆえに富める者が不正なことをし、あるいは人を苦しめてなお蓄財することがあるにしても、その人よりも社会の制度が不完全ならびに輿論がまだ未熟にして、富者といわんよりは富貴の義務を自覚しないことを難じたい。
現代語訳
ところが、財産の義務というものは、わずかにその負担する税額ぐらいにとどまり、その額も、重い重いと言いながら、権利に比べれば案外軽いものと思われる。とくに、法文の読み方によっては、義務を逃れる道もずいぶんある。だから、世に勢力のある人のなかには、さまざまな口実で財産の義務をすべて負担しない者がいる。現に私たちが仮に所得税の負担額を比べてみれば、すぐにわかるだろうが、わずか二、三千円の俸給を受ける学校教師などが、先の何々大臣、あるいは何々爵で、市内市外に多くの豪壮な邸宅を構えている人よりも、多くの租税を払っている例さえある。それなら、そのお大尽は地租の名目で多額の負担をしているかと尋ねれば、彼らの庭園邸宅は宅地ではなく山林と登録してあるので、税率もきわめて少ない。このようなものは、財産の権利を享受しながら、その義務を負担しないものである。富がのさばるというと、いつもアメリカを例にとるが、どうして、日本にもその例は乏しくないのである。 私がこのように言うと、いたずらに人を責めるように聞こえるかもしれないが、私は、だれそれという個人を攻撃する考えはまったくない。法文の曲解を非難する意であって、私は君子ではないが、人の罪を憎んで、その人を憎まないように心がけるつもりである。だから、富める者が不正なことをし、あるいは人を苦しめてなお蓄財することがあるとしても、その人よりも、社会の制度が不完全であること、世論がまだ未熟であること、そして富める者というより富貴の義務を自覚していないことを非難したい。
解説

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自警録・第十六章 富貴の精神化・富者の権利と義務(1)話は横道にはいるようであるが、折々、我が国においても実業家に位階を授けらるるとか、あるいは叙勲せらるべしという議論がさかんに行われる。詩人シラーのいうごとく人生の目的として花を選ぶ者とその実を選ぶ者とは別種の者に数えるが至当であろう。花も採り実も取る者はついに幹も根も取り尽し、その結果は社会の進歩も安寧も危くするものであろうと思う。 今日いずれの国においても財産の安固を保障しない法律はない。法律にそむかぬ以上は如何なる方法によって、如何なる額に嵩まるとも富を蓄積占有することを許すがために、富む者はますます富むの傾向あることは、今ここで述べるを要しない。この富む者はややもすれば己れの財産の権利あるを知って義務あるを忘れることも疑うべからざる事実であって、どこの法典を見ても財産の権利は明らかに載っている。かつ偉大なものである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務だから自分がかく分限者になれたのも、一つは社会の恩だということを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいうものに対し、常に卒先して尽すようにすれば、社会はますます健全になる。それと同時に自分の資産運用もますます堅実になるという訳であるが、もし富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るごとく考え、公共事業社会事業のごときを捨てて顧みなかったならば、ここに富豪と社会民人との衝突が起こる。富豪怨嗟の声はやがて社会主義となり、ストライキとなり、結局大不利益を招くようにならぬとも限らぬ。だから富を造るという一面には、常に社会的恩誼あるを思い、徳義上の義務として社会に尽すことを忘れてはならぬ。
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自警録・第十六章 富貴の精神化・ストライキの動機でも英人と米人とは違う世には労働問題とか経済問題とか社会問題などを、とかく道徳と別に考うべきもののごとく思っている人があるけれども、人たる観念を除いて、これらの問題は解決出来まい。しかして人たる観念の内からは道義観念を排除することが出来ない。 たとえば近来(第一次大戦以前)英国でしきりにストライキが流行る。アメリカにおいても近来あらゆる方面にストライキが行われる。しかるにある英国人の話に、英米のストライキの性質において大いに異なるものがある。米国では給料を増すことを主として要求するし、英国においては労働時間を減らすことを主とすると言った。この差の起こる所以は、アメリカ人はもっと金を欲しい、自ら貯蓄して後日安楽に暮らそうというのである。イギリス人はこんにちの制度ではほとんど家族の顔を見ることも出来ない。また人間としての娯楽を求めることも不可能である、金は要らんがもっと人間らしい生活をしたいというところにあるという。両者とも根底にさかのぼれば労働者も人なりという観念から来ているために、いわゆる人の道をはなれて労働その他経済の問題の解決は覚束ない。 しからばとていわゆる社会党(わが輩は敢ていわゆるという文字を使う)の主張するように、現今の社会を目茶々々に破壊しようというごとき簡単な案では、労働問題も社会問題も解決できない。今後は富貴の義務、労働の権利をば、法律以上に研究解釈して、前に言ったようにこれらのことを精神化するにあらざれば、現世界の安寧もまた真の進歩も望むべからざるものと思う。
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『論語と算盤』算盤と権利・唯王道あるのみしかるに社会にはこれらの点に深い注意も払わず、みだりに貧富の懸隔を強制的に引き直さんと希う者がないでもない。けれども貧富の懸隔はその程度においてこそ相違はあれ、いつの世、いかなる時代にも必ず存在しないという訳には行かぬものである。もちろん国民の全部がことごとく富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があって、誰も彼も一様に富まんとするがごときは望むべからざる処、したがって富の分配平均などとは思いも寄らぬ空想である。要するに、富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人が挙って富者を排擠するならば、いかにして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富はすなわち国家の富である。個人が富まんと欲するにあらずして、いかでか国家の富を得べき。国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。
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自警録・第十六章 富貴の精神化・黄金は土芥か宝珠かいろいろ経済的救済法あるいは社会改良法など区々に行われているが、なお最後の解決よりははるかに隔っておることは誰しも感ずることである。その根本的理由は経済的現象を人なる立脚点から見ないからである。 かく長たらしく書いたことを回顧すると、僕の平生の筆法とは大分調子が異っておる。国家あるいは社会とかあるいは経済とか労働界とか個人以外のことに力を籠めたようであるが、かくのごとき大問題に対して個人ははなはだ力なき者で、なんのなすところもないと断念するならば大いなる誤りで、いかなる社会の改良といえども、個人の思想より以外に起こるものではない。国家も社会もイニシアチブがあるものではない。人あって初めて問題も起こり改良も行われるのである。 我々も、よし富豪者にあらずとも、また一方、労働者にあらずとも、お互い所有する財産あるいは所得がいかに僅少であっても、その用法については大いに思慮を要することで、金を路傍の土芥のごとくみなすのはいかにも欲がなく潔よく聞こえるが、また丁寧に考えると金は決して己れの物ではない。社会共有のもので、自分の懐に入っている間とても、なお一時社会から預ったようなものである。いわば依託金のごときものであるからして、これを無意味に浪費しすなわち土芥同然に取り扱うことははなはだ怪しからんこととも言える。あえて言葉咎めをするの意ではないが、金を土芥視するのも宝珠視するのも、要は人として金に対していかなる態度を保つかにあるから、物件所有者の精神いかんを明らかにして、初めて決すべきものであると思う。すなわち金銭財産を精神化するにあらざれば、社会の安寧進歩は覚束ない。昭憲皇太后の御歌に、 持つ人の心によりてかはらとも玉ともなるはこがねなりけり
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・国家のためという誤解の危険これに反し、しばしば我々が耳にするもので、しかじかの事業は己れには不利であるが国家的事業であるから、身を犠牲にしてこれに当たるなどいうことは、言葉を換えていうと、国家が個人に要求することのあまりに多きことを意味することになる。もちろん一旦事ある時は個人の利益や個人の財産生命も投げ出さねばならぬが、平生何事についても国民より重い犠牲を要求するような国家は、国家の一大目的に背いているもので、はたしてそういう国家が今日世界にあるならば、永続の覚束ない国家といわねばなるまい。 幸いにして我が国では相当に税は重いとはいいながら、まだまだ個人の営業について、しばしば犠牲を要求するほどに弱いものでないのはお互いに慶すべきことである。僕の友人が地方に巡回して農民に勧めるときに、お前たちの仕事は実に国家的の事業であって、昔から農は国の本というたくらいであるから、いかに苦しくも、いかに利益が薄くとも、国家のために奮励せよと説いて歩いた。かの意味は、多分農民みずからが奮励して、農業を利益あるようにせよという意味であったろうけれども、普通農民の耳に入ったときは、やはり昔のごとく強制的に労働をして、ただお上に運上を収める道具になるだけのことであるという観念を与えた。 晨に星をいただいて出で、夕に月を踏んで帰るその辛苦も国家のためなりと思って甘んずればよいが、なかなか普通人情として甘んじてのみいるものでない。しかして甘んじないときは国家が己れを苦しめることのはなはだしいものである。こんな国家はないほうがいいという結論にも来たり得るし、また歴史上そういう結論をした国民も折々ある。