自警録 / 第十六章 富貴の精神化・ストライキの動機でも英人と米人とは違う
世には労働問題とか経済問題とか社会問題などを、とかく道徳と別に考うべきもののごとく思っている人があるけれども、人たる観念を除いて、これらの問題は解決出来まい。しかして人たる観念の内からは道義観念を排除することが出来ない。 たとえば近来(第一次大戦以前)英国でしきりにストライキが流行る。アメリカにおいても近来あらゆる方面にストライキが行われる。しかるにある英国人の話に、英米のストライキの性質において大いに異なるものがある。米国では給料を増すことを主として要求するし、英国においては労働時間を減らすことを主とすると言った。この差の起こる所以は、アメリカ人はもっと金を欲しい、自ら貯蓄して後日安楽に暮らそうというのである。イギリス人はこんにちの制度ではほとんど家族の顔を見ることも出来ない。また人間としての娯楽を求めることも不可能である、金は要らんがもっと人間らしい生活をしたいというところにあるという。両者とも根底にさかのぼれば労働者も人なりという観念から来ているために、いわゆる人の道をはなれて労働その他経済の問題の解決は覚束ない。 しからばとていわゆる社会党(わが輩は敢ていわゆるという文字を使う)の主張するように、現今の社会を目茶々々に破壊しようというごとき簡単な案では、労働問題も社会問題も解決できない。今後は富貴の義務、労働の権利をば、法律以上に研究解釈して、前に言ったようにこれらのことを精神化するにあらざれば、現世界の安寧もまた真の進歩も望むべからざるものと思う。
書き下し
世には労働問題とか経済問題とか社会問題などを、とかく道徳と別に考うべきもののごとく思っている人があるけれども、人たる観念を除いて、これらの問題は解決出来まい。しかして人たる観念の内からは道義観念を排除することが出来ない。 たとえば近来(第一次大戦以前)英国でしきりにストライキが流行る。アメリカにおいても近来あらゆる方面にストライキが行われる。しかるにある英国人の話に、英米のストライキの性質において大いに異なるものがある。米国では給料を増すことを主として要求するし、英国においては労働時間を減らすことを主とすると言った。この差の起こる所以は、アメリカ人はもっと金を欲しい、自ら貯蓄して後日安楽に暮らそうというのである。イギリス人はこんにちの制度ではほとんど家族の顔を見ることも出来ない。また人間としての娯楽を求めることも不可能である、金は要らんがもっと人間らしい生活をしたいというところにあるという。両者とも根底にさかのぼれば労働者も人なりという観念から来ているために、いわゆる人の道をはなれて労働その他経済の問題の解決は覚束ない。 しからばとていわゆる社会党(わが輩は敢ていわゆるという文字を使う)の主張するように、現今の社会を目茶々々に破壊しようというごとき簡単な案では、労働問題も社会問題も解決できない。今後は富貴の義務、労働の権利をば、法律以上に研究解釈して、前に言ったようにこれらのことを精神化するにあらざれば、現世界の安寧もまた真の進歩も望むべからざるものと思う。
現代語訳
世間には、労働問題や経済問題、社会問題などを、とかく道徳とは別に考えるべきもののように思っている人がいるけれども、人であるという観念を除いては、これらの問題は解決できないだろう。そして、人であるという観念のうちから、道義の観念を除くことはできない。 たとえば近ごろ(第一次世界大戦以前)、イギリスではしきりにストライキがはやっている。アメリカでも近ごろ、あらゆる方面でストライキが行われている。ところが、あるイギリス人の話によると、英米のストライキは性質が大いに異なるという。アメリカでは給料を上げることを主に要求し、イギリスでは労働時間を減らすことを主に要求するというのである。この差が生じる理由は、アメリカ人はもっと金がほしい、自分で貯蓄して後日安楽に暮らそうというのであり、イギリス人は、今日の制度ではほとんど家族の顔を見ることもできず、また人間らしい娯楽を求めることも不可能である、金はいらないが、もっと人間らしい生活をしたいというところにある、という。両者とも根底にさかのぼれば、労働者も人であるという観念から来ているので、いわゆる人の道を離れては、労働その他経済の問題の解決はおぼつかない。 だからといって、いわゆる社会党(私はあえて「いわゆる」という言葉を使う)の主張するような、現在の社会をめちゃくちゃに破壊しようという単純な案では、労働問題も社会問題も解決できない。今後は、富貴の義務、労働の権利を、法律以上に研究し解釈して、前に言ったようにこれらのことを精神化するのでなければ、現世界の安寧も真の進歩も望めないと思う。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
自警録・第十六章 富貴の精神化・黄金は土芥か宝珠かいろいろ経済的救済法あるいは社会改良法など区々に行われているが、なお最後の解決よりははるかに隔っておることは誰しも感ずることである。その根本的理由は経済的現象を人なる立脚点から見ないからである。 かく長たらしく書いたことを回顧すると、僕の平生の筆法とは大分調子が異っておる。国家あるいは社会とかあるいは経済とか労働界とか個人以外のことに力を籠めたようであるが、かくのごとき大問題に対して個人ははなはだ力なき者で、なんのなすところもないと断念するならば大いなる誤りで、いかなる社会の改良といえども、個人の思想より以外に起こるものではない。国家も社会もイニシアチブがあるものではない。人あって初めて問題も起こり改良も行われるのである。 我々も、よし富豪者にあらずとも、また一方、労働者にあらずとも、お互い所有する財産あるいは所得がいかに僅少であっても、その用法については大いに思慮を要することで、金を路傍の土芥のごとくみなすのはいかにも欲がなく潔よく聞こえるが、また丁寧に考えると金は決して己れの物ではない。社会共有のもので、自分の懐に入っている間とても、なお一時社会から預ったようなものである。いわば依託金のごときものであるからして、これを無意味に浪費しすなわち土芥同然に取り扱うことははなはだ怪しからんこととも言える。あえて言葉咎めをするの意ではないが、金を土芥視するのも宝珠視するのも、要は人として金に対していかなる態度を保つかにあるから、物件所有者の精神いかんを明らかにして、初めて決すべきものであると思う。すなわち金銭財産を精神化するにあらざれば、社会の安寧進歩は覚束ない。昭憲皇太后の御歌に、 持つ人の心によりてかはらとも玉ともなるはこがねなりけり
-
自警録・第十四章 報酬以上の務め・職業に当たる人の三段の区別元来いかなる職業にありても、これに当たる人に三段の区別がある。報酬だけの仕事をせぬすなわち曠職の人。次は報酬に値するだけの務めする人、いくら気づいたことがあっても、それ以上のことを為さず、また気づかずに馬車馬的に自分の命ぜられたこと以上には出来ぬ人。第三は報酬以上のことを為す人である。しかるに世の中を渡るには、報酬以上の仕事を為す心がけがなければ、報酬だけの仕事は出来ぬと思う。すなわち金を払っても出来ないくらいの仕事を為すものにあらざれば、払った金も多過ぎるように思う。 たとえばここにある会社の社長が、新たに五十円の給料で一人の書記を雇ったとする。この書記の給料は五十円が相当とは何人が定めるか、いかなる標準によりて決せられるか、いかにしてこの人の職務が五十円と定められるかと尋ねれば、その標準ははなはだ漠として当てにならぬ。なんとなれば同級生が若干で某所に務めているから若干というのが普通の標準であって、個人々々の特長の有無のごとき問題は計算に入れぬ。経済学者に言わすれば、これ需要供給の然らしむるところと、大雑把に一言で解決するであろうが、これを個人々々の場合に当て嵌めると、人の問題は死んだ物件の需要供給とは大いに異う。 苟くも人格を有するものには、経済学の教える労銀論は決して当を得たとはいわれぬことが多い。ことに使われる人は、その不当なることを適切に感ずるから、世の中の不満は多くこの点より起こる。 「僕は彼と同じく見られて困る」 とか、 「彼らの仲間と同等視されては迷惑である」 とかいうことはしばしば聞くところである。 また自分の長所はいっそうこれを過大に吹聴したがるものがある。自分の学力は某と同じであるが、自分の字は子供のときより妙に褒められたといって筆蹟を誇り、あるいは自分の交際術においては、彼らに比べられては困る、硬骨なる点においては彼らに負けぬ、従順なる点においては決して彼らに劣らぬと、各自がその特長とするところをいっそう多く吹聴し、したがって高値に他に売らんとする考えがある。
-
自警録・第十六章 富貴の精神化・経済状態と道徳的態度の変化昔の経済社会とは違って近代は一国内における経済現象さえなかなか複雑になって来ているに、いわんや国家的経済現象に至ってはなかなか個人の力で如何ともできぬことがままある。したがって経済行為に対する道徳的態度は昔のように簡単に行くまい。 たとえば昔なら物を造る者とこれを用うる者が直接に出会って、相談のうえに物々交換を行った。こういう場合には値段を定むるに両者間の承諾の上に成るから、互いの満足のもとに終わる。こんにちでは値段を定むるに造る者と用うる者は顔など会わすことは少ない。両者の間に仲買いあり卸売あり小売あり数人の媒介を経て、我々の最も簡単なる需用も供給せられる。なかでも株式会社のごとき大組織の製造場において産出せらるる物品のごときに至っては、物価を定むる分子はなおさら複雑を極めて来る。 なお進んでトラスト組織の下に製作せらるる物品は買い手の相談などは毫も省みらるるものではない。この一例をもってみても諸色が上がるの下がるの、米価が騰貴したために貧民が困しむの、あるいは暴徒が起こるの、あるいは犯罪が増すというごとき道徳的行為も昔の簡単なる組織時代と同筆法で解決が出来ぬから、我々は新時代の経済界の現象に対する道徳的態度も新たにすることは免れないと思う。
-
自警録・第十六章 富貴の精神化・物質的米国人と思想的米国人(1)例によって口上が思いのほか長引いたが、先年僕の滞米中諸方の卒業式の演説の中について、最も僕の面白く思ったものは実業的道徳に関するもののはなはだ多い一条である。 誰も言う通り米国は拝金国で、美術も文学も理想もないように言うが、ある程度まではその通りで、米国人みずからもとかく新開の国だけあって唯物主義に陥りはせぬかとみずから虞れている。ゆえに思想家はしばしばこの点について国民に警戒を与える。してその警戒の与え方が大いに我が意を得た。如何となればとかく何事にしても弊害あれば弊害そのもののみを攻撃しないで、それに随伴する事なれば何事によらず攻撃しやすいものである。「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い」というのは、また同時に袈裟を憎む者は坊主自身を憎むという弊に陥りやすい。君子はその罪を憎んでその人を憎まずとあるが、かくのごときは君子にして初めてなし得ることで、我々凡夫小人は、罪ならばまだしものこと、いささかの誤りがあっても、誤った人そのものはまだしも彼の親戚友人家屋生国までも憎みやすいものである。折々は学者のうちに高慢ちきな者があると、学者そのものを嫌い、進んでは学問そのものをすら罪する傾向がある。
-
『論語と算盤』算盤と権利・唯王道あるのみおもうに社会問題とか労働問題等のごときは、単に法律の力ばかりをもって解決されるものではない。例えば一家族内にても、父子兄弟眷族に至るまで各々権利義務を主張して、一も二も法律の裁断を仰がんとすれば、人情は自ずから険悪となり、障壁はその間に築かれて、事ごとに角突き合いの沙汰のみを演じ、一家の和合団欒はほとんど望まれぬ事となるであろう。余は富豪と貧民との関係も、またそれと等しきものがあろうと思う。かの資本家と労働者との間は、従来家族的の関係をもって成立し来ったものであったが、にわかに法を制定してこれのみをもって取り締まろうとするようにしたのは、一応もっともなる思い立ちではあろうけれども、これが実施の結果、果たして当局の理想通りに行くであろうか。多年の関係によって資本家と労働者との間に、せっかく結ばれた所の言うに言われぬ一種の情愛も、法を設けて両者の権利義務を明らかに主張するようになれば、勢い疎隔さるるに至りはすまいか。それでは為政者側が骨折った甲斐もなく、また目的にも反する次第であろうから、ここは一番深く研究しなければならぬ所であろうと思う。
-
自警録・第二十五章 理想と実現・米国で僕の深く印象された米人の理想過般渡米の日、数多の著名なる人々、いわゆるこの国の思想界の指導者ともいうべき人々に直接あって、その人物に触れ、その思想の一端をうかがうの機会を得て、もっとも僕の心に深き印象を与えたことは思想の力という一条であった。 いわゆる黄金崇拝物質的の米国などと綽名されてあるこの国民が奢侈贅沢の弊害に陥る傾向が割合いに少ない。換言すれば一方には巨万の富を積みながらこれに安んじないで、なんなりこれ以上の、富以上の事業をまっとうせんと努力する気前と精力は、この国民の大いに買ってやるべき気象である。 わが同胞はだいたいにおいて貧乏であるから、富貴の誘惑なるものを知らない。貧乏人が金持を批評することは、とかく見当が違うことが多い。自分で金を持ってみると、金持の心理的作用もその誘惑もよく理解しうると思う。しかして我が国において少しく金を持った人は、多くなにに使うかと、彼らのなすところを米国の金持に較ぶれば、米国人は確かに日本人のいまだ持っておらない思想なるものに動かされておることを察しうる。