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自警録 / 第十章 人生の成敗・ギリシアのソクラテスを見よ

むかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある兇漢が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いておった門弟が、哲学者に向かって、 「先生あいつ奴、いかにも憎い奴でございます」 といったときに、哲学者は泰然として、 「なぜにくい」といったら、 「あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい」 といった。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかしめた考えかも知れないが、俺はちっとも恥ずかしめられたとは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったかね」 と答えたという。失敗もその通り、世の中で何某が大いに失敗したと四面楚歌の声が聞こえても、本の当人はどこを風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚せられ、有罪の宣告を受けて、獄屋に投ぜられたときには、アテネの者が皆々嘲り笑って、とうとうあのおしゃべり爺も、あの年になって、本性露見して畳の上でくたばりそこなったわい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったものなら、いかに当時の記者が論説やら雑報に忙しく彼の罪状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく偽善であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を欺くの方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる捏造説を書き立てたであろう。 基督がゴルゴタの山上で、かの非命の最期を遂げたごときも、世人は、あの男もとうとう尻尾を現して、あのざまの死に方をしたとか、表向きには君子顔をしておっても、蔭ではだいぶ不仕末の事があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀叛の目論見さえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間につき合っておったそうだ、折々は魔法みたいな事をして愚民を驚かしたそうだ、始終猫撫声をして女子供を手なずけたそうだなど、その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどといったであろう。いずくんぞ知らん敗けたと思った人が最後の勝利者たることを。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり

書き下し

むかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある兇漢が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いておった門弟が、哲学者に向かって、 「先生あいつ奴、いかにも憎い奴でございます」 といったときに、哲学者は泰然として、 「なぜにくい」といったら、 「あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい」 といった。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかしめた考えかも知れないが、俺はちっとも恥ずかしめられたとは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったかね」 と答えたという。失敗もその通り、世の中で何某が大いに失敗したと四面楚歌の声が聞こえても、本の当人はどこを風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚せられ、有罪の宣告を受けて、獄屋に投ぜられたときには、アテネの者が皆々嘲り笑って、とうとうあのおしゃべり爺も、あの年になって、本性露見して畳の上でくたばりそこなったわい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったものなら、いかに当時の記者が論説やら雑報に忙しく彼の罪状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく偽善であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を欺くの方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる捏造説を書き立てたであろう。 基督がゴルゴタの山上で、かの非命の最期を遂げたごときも、世人は、あの男もとうとう尻尾を現して、あのざまの死に方をしたとか、表向きには君子顔をしておっても、蔭ではだいぶ不仕末の事があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀叛の目論見さえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間につき合っておったそうだ、折々は魔法みたいな事をして愚民を驚かしたそうだ、始終猫撫声をして女子供を手なずけたそうだなど、その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどといったであろう。いずくんぞ知らん敗けたと思った人が最後の勝利者たることを。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり

現代語訳

昔、ギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある乱暴者が来て、さんざん悪口を言って帰っていきました。そばで聞いていた弟子が、哲学者に向かって、 「先生、あいつは本当に憎い奴です」 と言ったとき、哲学者は泰然として、 「なぜ憎いのか」 と問い返したところ、 「あんなに先生を辱めたのが憎いのです」 と弟子は言いました。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を辱めたつもりかもしれないが、私は少しも辱められたとは思っていない。私が恥でも受けたような顔をしていたかね」 と答えたそうです。失敗もそのとおりで、世の中で某が大いに失敗した、と四面楚歌の声が聞こえても、当の本人は、どこ吹く風という顔をしていることが、まれにあります。二千四百年前、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚され、有罪を宣告されて獄に投げ込まれたときには、アテネの人々は皆あざけり笑い、とうとうあのおしゃべり爺さんも、あの年になって本性が露見して、畳の上で安らかに死にそこなったわい、と噂を立てました。もし当時アテネに新聞があったなら、記者たちは社説や雑報に忙しく、彼の罪状を書き立て、彼がその日まで唱えてきた教訓はまったくの偽善だった、彼の清らかな素行は人を欺く巧みな手段だった、実はこんなこともした、あんなこともしたと、ありとあらゆる捏造の説を書き立てたことでしょう。 キリストがゴルゴタの丘で非業の最期を遂げたことなども、世の人は、あの男もとうとう尻尾を出して、あのざまの死に方をした、表向きは君子顔をしていても陰ではだいぶ不始末があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀反の企てさえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間と付き合っていたそうだ、ときには魔法のようなことをして愚民を驚かしたそうだ、始終猫なで声で女子供を手なずけたそうだなど、そのほかあらゆる悪口で、彼は見事に失敗したと言ったことでしょう。しかし、敗けたと思われた人が、最後の勝利者であることを、どうして知り得たでしょうか。 負けて退く人を弱いと思うな、それは知恵の力が強いからなのだ

解説

悪口を言われて恥じるか恥じないかは、言った側ではなく受けた側が決める、というソクラテスの返答が核心です。新渡戸は、ソクラテスやキリストが当時は失敗者として嘲られたことを想像し、評判と実質が食い違う例を重ねます。今日の言葉でいえば、炎上や悪評は、評価の一つの観測値にすぎません。自分の行為の正しさを内側の尺度で確かめられる人は、周囲の騒ぎに揺れにくくなります。ただしこれは、批判を聞き流せという意味ではありません。
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この章句が説くこと

ソクラテス恥悪評失敗キリスト最後の勝利

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