呻吟語 / 内篇・應務・能く人の過ちを掩ふ
余觀察晉中,每升堂,首領官凡四人,先揖堂官,次分班對揖,將退,則余揖手,四人又一躬而行。一日,三人者以公出,一人在堂,偶忘對班之無人,又忽揖下,起,愧不可言,群吏忍口而笑。余揖手謂之曰:「有事不妨先退。」揖者退,其色頓平。昔余令大同日,縣丞到任,余讓筆揖手,丞他顧而失瞻,余面責簿吏曰:「奈何不以禮告新官?」丞愧謝,終公宴不解容,余甚悔之。偶此舉能掩人過,可補前失矣。因識之以充忠厚之端云。
新字:余観察晋中,毎升堂,首領官凡四人,先揖堂官,次分班対揖,将退,則余揖手,四人又一躬而行。一日,三人者以公出,一人在堂,偶忘対班之無人,又忽揖下,起,愧不可言,群吏忍口而笑。余揖手謂之曰:「有事不妨先退。」揖者退,其色頓平。昔余令大同日,県丞到任,余譲筆揖手,丞他顧而失瞻,余面責簿吏曰:「奈何不以礼告新官?」丞愧謝,終公宴不解容,余甚悔之。偶此舉能掩人過,可補前失矣。因識之以充忠厚之端云。
書き下し
余晉中を觀察するに、每に堂に升れば、首領官凡そ四人あり。堂官に先揖し、次に班を分かちて對揖す。一日、三人は公を以て出で、一人堂に在り。偶たま對班の人無きを忘れ、又た忽ち揖し下り、起ちて、愧づること言ふ可からず。群吏口を忍びて笑ふ。余揖手して之に謂ひて曰く、「事有らば先に退くを妨げず」と。揖する者退き、其の色頓に平らかなり。偶たま此の舉は能く人の過ちを掩ふ、以て前失を補ふ可し。因りて之を識して以て忠厚の端に充つと云ふ。
現代語訳
私が山西で観察の任にあったころ、役所に上がるたびに首領官が四人いました。まず上官に礼をし、次に班を分かって向かい合って礼をします。ある日、三人は公用で出ていて一人だけが役所にいました。うっかり向かいに人がいないのを忘れ、思わず礼をして身を屈め、立ち上がって、言いようもなく恥じ入りました。役人たちは口を押さえて笑いました。私は手を挙げて礼をし、こう言いました。用があるなら先に退いて構いません。礼をした者は退き、その顔色はたちまち和らぎました。この振る舞いはうまく人の過ちを覆えたので、以前の失敗を埋め合わせられました。そこで書き留めて、真心の一端としておきます。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
自警録・第十章 人生の成敗・ギリシアのソクラテスを見よむかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある兇漢が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いておった門弟が、哲学者に向かって、 「先生あいつ奴、いかにも憎い奴でございます」 といったときに、哲学者は泰然として、 「なぜにくい」といったら、 「あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい」 といった。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかしめた考えかも知れないが、俺はちっとも恥ずかしめられたとは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったかね」 と答えたという。失敗もその通り、世の中で何某が大いに失敗したと四面楚歌の声が聞こえても、本の当人はどこを風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚せられ、有罪の宣告を受けて、獄屋に投ぜられたときには、アテネの者が皆々嘲り笑って、とうとうあのおしゃべり爺も、あの年になって、本性露見して畳の上でくたばりそこなったわい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったものなら、いかに当時の記者が論説やら雑報に忙しく彼の罪状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく偽善であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を欺くの方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる捏造説を書き立てたであろう。 基督がゴルゴタの山上で、かの非命の最期を遂げたごときも、世人は、あの男もとうとう尻尾を現して、あのざまの死に方をしたとか、表向きには君子顔をしておっても、蔭ではだいぶ不仕末の事があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀叛の目論見さえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間につき合っておったそうだ、折々は魔法みたいな事をして愚民を驚かしたそうだ、始終猫撫声をして女子供を手なずけたそうだなど、その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどといったであろう。いずくんぞ知らん敗けたと思った人が最後の勝利者たることを。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり
-
孟子・公孫丑章句下燕人畔く。王曰く、「吾甚だ孟子に慚づ。」陳賈曰く、「王患うること無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智なりと為すか。」王曰く、「惡。是れ何の言ぞや。」曰く、「周公、管叔をして殷を監せしむ。管叔、殷を以て畔く。知りて之を使むれば、是れ不仁なり。知らずして之を使むれば、是れ不智なり。仁智は周公も未だ之れ盡くさざるなり。而るを況んや王に於いてをや。賈請う、見て之を解かん。」孟子を見て、問いて曰く、「周公は何人ぞや。」曰く、「古の聖人なり。」曰く、「管叔をして殷を監せしめしに、管叔、殷を以て畔く。諸れ有りや。」曰く、「然り。」曰く、「周公は其れ將に畔かんとするを知りて之に使むるか。」曰く、「知らざるなり。」「然らば則ち聖人すら且つ過つこと有るか。」曰く、「周公は弟なり。管叔は兄なり。周公の過つも、亦た宜ならずや。且つ古の君子は、過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に順う。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の更むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈に徒に之に順うのみならんや。又從って之が辭を為す。」
-
『学問のすゝめ』十四編・心事の棚卸し・世の事変は活物にてまた人の性に智愚強弱の別ありといえども、みずから禽獣の智恵にも叶わぬと思う者はあるべからず。世の中にあるさまざまの仕事を見分けて、この事なれば自分の手にも叶うことと思い、自分相応にこれを引き受くることなれども、その事を行なうの間に、思いのほかに失策多くして最初の目的を誤り、世間にも笑われ、自分にも後悔すること多し。世に功業を企てて誤る者を傍観すれば、実に捧腹にも堪えざるほどの愚を働きたるように見ゆれども、そのこれを企てたる人は必ずしもさまで愚なるにあらず、よくその情実を尋ぬれば、また尤もなる次第あるものなり。畢竟世の事変は活物にて容易にその機変を前知すべからず。これがために智者といえども案外に愚を働くもの多し。
-
『墨子』親士昔者、文公は出で走りて天下を正し、桓公は國を去りて諸侯に霸たり、越王句踐は吳王の仇に遜りて、尚お中國の賢君を攝す。三子の能く名を達し功を天下に成せるや、皆な其の國に於て抑えられ、而して大いに醜ずかしめられたればなり。太上は敗るること無く、其の次は敗れて以て成すこと有り、此れを之れ民を用うと謂う。吾れ之を聞けらく、「安居無きに非ざるなり、我に安心無きなり。足財無きに非ざるなり、我に足心無きなり」と。是の故に君子は自らを難んじて彼を易んじ、衆人は自らを易んじて彼を難んず。君子は進んで其の志を敗らず、内に其の情を究め、庸民に雜わると雖も、終に怨心無し。彼れ自ら信ずる者有ればなり。
-
孫子・謀攻篇将その忿に勝えずしてこれに蟻附すれば、士卒の三分の一を殺し、城抜けざる者、此れ攻の災なり。
-
『碧巌録』第四十八則挙す。王太傅、招慶に入つて茶を煎ず。時に朗上座、明招の与に銚を把る。朗、茶銚を翻却す。太傅見て上座に問ふ、「茶炉下是れ什麼ぞ」。朗云く、「捧炉神」。太傅云く、「既に是れ捧炉神ならば、什麼としてか茶銚を翻却する」。朗云く、「仕官千日、失は一朝に在り」。太傅払袖して便ち去る。明招云く、「朗上座、招慶の飯を喫却し了つて、却つて江外に去つて野榸を打す」。朗云く、「和尚作麼生」。招云く、「非人其の便を得たり」。雪竇云く、「当時但だ茶炉を踏倒せん」。