自警録 / 第九章 心の独立と体の独立・使わるる者必ずしも独立を失わぬ
僕は決して先輩の家庭に寄食するをもって独立を失えるものとは言わぬ。僕の家にも書生はいる。この人をもって独立なきものとは思わぬ。なんとなれば書生が家にいることは僕の便利であり楽しみであり、否必要であるゆえ頼んでも家に居らしむる。書生もまた同じく思うゆえ、互いに申合せて同居するのである。動物学者の symbiosis と称する生活を同じゅうする共棲的現象である。ゆえに置く人も独立を失わず、置かるる人も独立を失う訳はない。そこで役所に使わるる者も会社に働く者も、俸給を受けるからとて、必ずしもそれだけで身の独立を失うものでない。また実際の手続きとしては被傭者は志願し会社に入る。しかして志願すといえば一方よりのみ頼み、会社の恩恵のみを受けているように聞こゆるも、実は会社は世の有為なる青年に向かって入ってくれと頼むようにも思われる、いわゆる需要と供給との相互に応じ合ったことである。 かくのごとき場合には契約の両者が依然として独立の心を失わぬのである。また身は一見縛られているようであるが、一方の嫌というのを縛るのでなく、自由の契約である。自分の心に面白くなしとあればその契約を解くことも出来る。役人も国家の命令により身を縛られるとは論ずるものの、あくまでも心の盲従を要求されない。いかに国家の命令とはいえ、役人にして国家の為す所に腑に落ちぬことがあれば、その命令を拒むことは出来なくとも、自分より進んで職を辞することは出来る。
書き下し
僕は決して先輩の家庭に寄食するをもって独立を失えるものとは言わぬ。僕の家にも書生はいる。この人をもって独立なきものとは思わぬ。なんとなれば書生が家にいることは僕の便利であり楽しみであり、否必要であるゆえ頼んでも家に居らしむる。書生もまた同じく思うゆえ、互いに申合せて同居するのである。動物学者の symbiosis と称する生活を同じゅうする共棲的現象である。ゆえに置く人も独立を失わず、置かるる人も独立を失う訳はない。そこで役所に使わるる者も会社に働く者も、俸給を受けるからとて、必ずしもそれだけで身の独立を失うものでない。また実際の手続きとしては被傭者は志願し会社に入る。しかして志願すといえば一方よりのみ頼み、会社の恩恵のみを受けているように聞こゆるも、実は会社は世の有為なる青年に向かって入ってくれと頼むようにも思われる、いわゆる需要と供給との相互に応じ合ったことである。 かくのごとき場合には契約の両者が依然として独立の心を失わぬのである。また身は一見縛られているようであるが、一方の嫌というのを縛るのでなく、自由の契約である。自分の心に面白くなしとあればその契約を解くことも出来る。役人も国家の命令により身を縛られるとは論ずるものの、あくまでも心の盲従を要求されない。いかに国家の命令とはいえ、役人にして国家の為す所に腑に落ちぬことがあれば、その命令を拒むことは出来なくとも、自分より進んで職を辞することは出来る。
現代語訳
私は、先輩の家に居候することをもって独立を失っているとは決して言いません。私の家にも書生はいます。この人を独立のない者とは思いません。なぜなら、書生が家にいることは私にとって便利であり、楽しみであり、いや必要でさえあるので、頼んでも家にいてもらうのです。書生もまた同じように思うので、互いに申し合わせて同居するのです。動物学者のいう symbiosis(共生)という、生活を共にする共棲の現象です。ですから、置く人も独立を失わず、置かれる人も独立を失う理由はありません。そこで、役所に使われる者も、会社で働く者も、俸給を受けるからといって、それだけで身の独立を失うものではありません。また、実際の手続きとしては、被雇用者は志願して会社に入ります。志願するというと、一方だけが頼み、会社の恩恵だけを受けているように聞こえますが、実は会社は世の有為な青年に向かって、入ってくださいと頼んでいるようにも思われます。いわゆる需要と供給が互いに応じ合ったものなのです。 こうした場合には、契約の両者がいずれも独立の心を失わないのです。また、身は一見縛られているようですが、一方の嫌がるのを縛るのではなく、自由な契約です。自分の心に面白くないとなれば、その契約を解くこともできます。役人も、国家の命令によって身を縛られると論じられますが、あくまでも心の盲従は要求されません。いかに国家の命令とはいえ、役人が国家のなすことに腑に落ちない点があれば、その命令を拒むことはできなくとも、自分から進んで職を辞することはできるのです。
解説

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自警録・第九章 心の独立と体の独立・心の独立と体の独立とは密着今ここにかくのごとき愚かな子供談をし、しかも自己の恥を曝すのは、この経験が永く僕の頭に留まり、四十年後の今日もこれを追懐すれば、自分が生来短慮なりしことを明らかにすると同時に、種々の教訓を受くるのである。 表題の心の独立と体の独立ということもその一つである。僕が友人に対して俺の飯を食いながら反対するのはけしからんという一喝は、たしかに僕の根性の曲を曝露する。しかるにこれが十二、三歳の腕白小僧の一時の感情にとどまるか、はたまた天下万民の心の内にもこういう考えが潜めるかと問わば、右のごとく露骨にいわずとも、人を使う人の心中深く潜伏する考えではあるまいか。また使わるる人の心にも同じくこの思想が存在しておりはせぬか。換言すれば俸禄をもって他人の身体を抑える者は、心そのものをも制し得る考えをもってする者が多くありはせぬか。俸禄を受ける者は知らず知らずのうちに心まで自分の主人のために奪われることはありはせぬか。 さらに具体的にいえば知人の恩恵によりて位地を得、俸給を受くる者は、その知人あるいはその上官・社長・重役らの説に心ならずも服従し、反対説あるもこれを述ぶることを憚り、また彼らの行動をいさぎよしとせざることあるもこれを黙認し、あるいはかえって進んでこれを弁護することありはせぬか。 先般ある会社の重役が検挙せられたときの談を聞くに、部下の者は始めて日ごろよりいだいていた重役に対する不満を述べたという。日ごろそれほどその人の人格手腕に対し疑いを有したならば、何ゆえに予め警戒しなかったかと思えば、非難する人の人格そのものも疑わしくなる。また役所などで上官が代れば部下の者が後任者を迎うるに前任者の棚卸しをもってするは常にあることで、それほど宜くなければ交替前に何ゆえに前任者に注意しなかったかと思えば、陰口をいう者の人格の下劣にして、些の俸禄のために心の独立を失い、口に言わんと欲することを得言わず、はなはだしきは心に思わんと欲することさえも、まったく思わず、機械的に否奴隷的に使われていたと思わざるを得ぬ。体の独立はなくとも、心にさえ独立していればよい、たとえ体は束縛せられていても、精神が自主的観念をいだいていればよいなどというが、心の自由と体の自由とは関係がすこぶる密着して離し得ぬ場合が多い。
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自警録・第九章 心の独立と体の独立・独立とは何を意味するかかつてある青年が僕の友人を訪うて、どうぞ書生として寄寓させてくれと頼んだ。友人はすでに家には書生もおり新たに入れる余地がないと断り、かつまた上京するときの目的がはなはだ明らかならぬゆえ、この青年に帰国を勧告したが、彼は旅費がないから帰国されぬという。友人も、 「君とこうして談するのも他生の縁であろう。君が親もとに帰る考えがあるなら失敬ながら旅費は僕が手伝おう」 というや、青年は毅然として、 「私は独立を重んじます。旅費などは貰いたくありません」 と立派にいいきった。これを聞いた友人は奇異の思いをなし、青年に、 「君は独立をたいそう重んずるようで、まことに結構であるが、果たして独立の意味が分かっているか。一時旅費を立替えてもらうのが独立を失うと思うはあながち咎むべきでない。それくらいの考えはむしろ持ってもらいたい。しかるにそれほど独立を重んずる君が、すでに二、三日前より毎日二、三時間を費して僕に求むることは、決して独立を重んずる精神とは受取りがたい。君が僕の家に置いてくれと要求する意味は、雨露を防ぐの方法を与え、三度の食事を今後一年二年ないし五年十年とも寄食させよというのではないか。仮りに一年としてもこれを金銭に換算したら君に提供した旅費の何倍かに当たる。少額を受取れば独立を害し、多額を受ければ独立自重の心を害さぬ理由は解しがたい」 と説いたそうである。
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自警録・第九章 心の独立と体の独立・身は縛られても心は独立凡人の情なさには、僕の身の自由を制裁し得る人、すなわち僕の生活の道を制する人はついに僕の心までも制裁するにいたる虞がある。先に述べた友人は少年ながらもこの事を知りしゆえ擲らるるままに恥を忍んで去った。今にしてこれを顧みれば気の毒だと思う。さりとてまったく余の奴隷にならなかったのは、翌日相当の礼を述べ下宿を代えたからである。彼に転宿する余裕ありしゆえ、心の独立を失わなかったが、この余力なき人はますます根性が卑屈となる。折々僕も見ることであるが、役人にしてその位地が堅固なりと思うあいだは随分勝手な口をきき、いつ辞めても天下を濶歩する意気込みを現すも、一たび辞職を勧告さるればたちまち態度を変え、即日より上官のことを噂するにも敬語を用い、一夜にしてかくまでも変化するかと驚くことがある。 かくいったからとて人間の心の中に唯物的拝金的卑屈なる根性があって、体の制裁によって心が左右さるるものだと断言することは出来ぬ。五斗米のために身を屈しても身を枉げても、心はどこまでも直立独歩する者もある。むかし耶蘇教の弟子パウロは新しき宗教を奉じた咎をもって捕縛せられ笞うたれ、獄に投ぜられ種々の苦を受けたが、ついに国王の前に呼び出され、御前裁判を受けたとき、傷だらけの体を縛られたまま、 「我は実にみずから幸福なものと思う。願わくは殿下もこの繩を除いてはまったく我の如くあられんことを」 といった。この気象は身こそ自由ならざれ心に独立あるものである。 またむかし武田勝頼が三河の長篠城を囲み、城中食尽きもはや旬日を支え得なかった時、鳥居強右衛門が万苦を冒して重囲を潜り、徳川家康に見えて救いを乞い、再び城に帰らんとして武田軍に擒えられ、城に向かい、援軍来らぬと告げよと命ぜられ、送られて城下に至った時、城を仰いで大声に主公の大軍すでに出発したれば来援三日を出でぬであろう、諸君努力せよと叫んだ。ために、身は乱刀雨下に寸断せられたが、心の独立はついに侵されなかった。一指だも動かされぬほど縛られながらも、なお心中に言わんと欲することを敢然として口に出すがごときは、真の心の独立で、百万の敵も彼の口を塞ぐごとはできぬ。いわんや彼の心を屈するにおいてをや。
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自警録・第九章 心の独立と体の独立・動機は立派でも年とともに堕落僕は子供心に、維新のころ世に名高き遊女の談を敬服して聞いたことがある。それは品川の遊女某が外人に落籍せられんとしたことで、当時は邦人にして外人の妾となれるをラシャメンと呼び、すこぶる卑下したものである。某は遊女ながらもひと廉の気象があったが、如何せん、商売がら外人に落籍されたので、 仮令身はふるあめりかに触るゝとも心一つは汚さゞらまし と詠んだと聞く。心と体とを別に考うることはすでに身を売る時より行わるる議論で、良家の子女が泥水に入る時も、たとえ体は畜生同然になるも、心は親のため、主人のため、夫のためあるいは家のためなりと称し犠牲となった。 しかるに、身を売る時の動機はいかに正しくとも、一度身の独立と自由とを失った以上は、心もまた堕落することが多数の事実である。恐らく我が国の娼妓となりし人の動機と理由とを統計上より数えなば、自己の淫奔よりする者は少なく、大多数は一家のために犠牲となったのであろう。身を売る時はじつに憐むべく、また尊敬すべき動機に基づくも、爾後三年ないし五年の後、彼らの心理を統計に現すことを得たなら、その性格の一変し、当初とは雲泥の差あるを発見するであろう。 僕の友人が洋行した時、ハンブルグに行ったことがある。ハンブルグは西洋に例の少ない公娼制度の行わるる所である。ゆえに友人はその道に通なる人の案内でその制度を視に行った。その時この通人は数多の婦人を呼び出し、友人のためにその経歴を紹介したが、かくするあいだについ三、四ヵ月前に来た新しき女があったが、あれはどうしたかと、通人は頻りに新参者を求めたりしに、豈計らんや新参者は数多の列座中にあったので、それが分った時の通人の驚きは一方ならなかった。わずかに百日も経たぬ間にこれほどに処女と商売人とは変わるものかと、開いた口がしばらく閉じなかった。 僕は多く不浄の談をならべるようではあるが、身を縛られた例は奴隷制度の廃止された今日、娼妓をもって例うるのほかなしと思い、ここに引例したのである。がしかしその実泥水に居らなくとも泥水よりいっそう深き穢れに心の染まれるものが世には多くありはせぬか。身は一見独立のごとくして、心は娼妓よりもなお独立なく他人に依頼し、しかも他人の愛憎によりその日を送れるものが多々ありはせぬか。
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自警録・第九章 心の独立と体の独立・風俗習慣に逆らうは独立にあらずなお心の独立と思い違いやすきことは風俗習慣に逆らいさえすれば心の独立を現すもののごとく思う一条である。通常の服より違った衣を着れば、独特の人才にでもあるかのように思う人も少なくない。髪を長くしてみたり、赤い着物で外出したり、一本歯の下駄を履いたりすることは、馬鹿でもやり得ることで、心の独立を崇める値いはない。人が社会に住んでいるあいだは法律のほかに世俗の制裁を受けねばならぬ。もっとも世の要求することなら何でもこれに従えというではない。みずから反りみて縮からば千万人といえども、吾れ往かんとの独立自重の心は誰人にもなくてはならぬけれども、いわばどちらでも好いことに角立てて世俗に反抗するほどの要なきものが多い。風俗習慣の中には主義として争うに足らぬものがたくさんある。 佐藤一斎の『言志四録』に曰く、 「寛懐俗情に忤らざるは和なり、立脚俗情に墜ちざるは介なり」 と。この簡単なる一言をもってよく吾人の世に対する関係を尽している。 心の独立を計るに身を世俗より去る必要はない。むしろ世に入り込んで独立の実を揚ぐべきこそ吾人も務めであれ。味わうべきは左の歌である。 山深く何かいほりを結ぶべき心の中に身はかくれけり 座禅せば四条五条の橋の上ゆき来の人を深山木と見て
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自警録・第九章 心の独立と体の独立・心の独立と誤解しやすき考えただ注意すべきはこの精神を誤解して扶持をくれる人に背き、人に拘わらねば、それが心の独立なりと思うことで、これは疑いもなく間違いである。世には往々にして自分の会社のアラをさらけ出し、はなはだしきは親の罪なり秘密なりを発き、あるいは上官の悪口を言ったりして、それで我が思想の自由なりと思うは、物によるべきことであるけれども、おおいに熟慮を要する。 孔子も子は父のために隠し、父は子のために隠すと教えたごとく、隠すことが国家に危害を与うるならいざ知らず、会社の内幕を語りいたずらに他に告ぐるがごときは裏切り同然で、これを思想の独立と混同すべきでない。身は一定の国籍の下にありて、法律の保護を受け、もって生命財産の安固を保ちながら、その国の不為を謀るごときは、決して国民たる個人の独立行為といわれぬ。こんなことは売国奴の所為として誰も卑む。それと同じく役所や会社に勤務する者が上官や重役と異なる独特の意見を有するなら、陰でかれこれ言わずに第一着に社長なり長官なりに意見を陳述すべきである。 周の武王が殷の紂王を伐たんと出征したとき、民みな武王の意を迎えたが、伯夷叔斉のみは独立行動に出でて、武王の馬を叩いて諫めた。左右の者ども両人を兵せんとした。すなわち輿論は伯夷叔斉を罪せんとした。このとき太公望は独特の意見を述べて、 「此義人なり」 といって扶けて去らしめた。伯夷叔斉も太公も群衆に逆らった心の独立は好みすべきであるが、もし二人の兄弟が武王に反対して、密かに出版物を播き散らしたり、あるいは隠に徒党を組んだり、あるいは公然と演説するにしても事実を曲げて武王や太公の政策やら人身を攻撃したならば、彼らは決して義人でもなければ、善人でもなく、後世は彼らを乱臣賊子と呼ぶであろう。なぜなれば、彼らの考えは輿論とは異なり、いわゆる独立思想であったとしても、同意を求むることあれば、やはり彼らには他人を頼む心のあることが判かる。しかるに彼らは真に心の独立を重んじ、ついには我が心に叶わぬ周の粟を食わずとて首陽山に隠れ、歌を詠じて餓死したところは、たしかに両人は心の独立を重んじた証拠である。