自警録 / 第七章 譏謗に対する態度・英雄も聖人も悪口を気にかける
かつて故児玉大将が生存中、僕は一夕大将をその邸に訪ねたことがある。折から外出より帰った大将は、 「大層お待たせした」 と挨拶し、 「イヤハヤ、どうも元老の爺連がお互いに悪口言い合うを調和するは、一方ならぬ骨折りだ。今日も一日かかって、そんな骨折りをやって来た」 と歎ぜられた。僕は、 「悪口って、どんなことを言われるのです」 「どんなことって、まるで裏長屋の婆が井戸端でグズるのと異なったことはないさ」 「しかし天下を預かる英雄にはそんなこともありますまい」 「英雄は英雄でも、豪傑は豪傑でも、俺のことをこんなこと言った、怪しからぬ奴だ、あんなことをいったが不都合だと互いに陰口きいたのを、怨むようにこそこそと他人の悪口をいうさまは、毫も裏長屋の婆と異うことはない」 と言われたが、磊落にして世評などに無頓着を衒う豪傑にしても、なおかつかかる人が多い。いわんや普通の凡人においてはなおさらである。 また僕はかつて次のごときことを読んだことである。ソクラテスは容貌の醜い人で、世人が彼を誹謗するときは、必ずこの点を指摘した。しかし彼自身も容貌などは、どうでもよいと思うため、世人が自分の容貌の醜きを悪口すれば、自分もその仲間に加わり、一緒に笑い、己れの眼の飛び出しているは、四方八方をよく見るためであり、鼻の天井を向いているは、他人の嗅げないものを嗅ぐためであると磊落に笑い流していたが、その死せんとするにあたり、ヘムロックの杯を取りながら、 「いよいよ俺が死んだなら、もはや俺の容貌の醜きを笑う人もあるまい」 と一言した。してみると、他人が彼の醜きを譏るのを気にしていたと思われると説いた人の論を聞いた。この論がはたして当を得たるや否やは別とし、いわゆる聖人なるものも他人より悪口さるれば、少なくとも不愉快の感を起こすものと思われる。まして凡人においてをや。
新字:かつて故児玉大将が生存中、僕は一夕大将をその邸に訪ねたことがある。折から外出より帰った大将は、 「大層お待たせした」 と挨拶し、 「イヤハヤ、どうも元老の爺連がお互いに悪口言い合うを調和するは、一方ならぬ骨折りだ。今日も一日かかって、そんな骨折りをやって来た」 と嘆ぜられた。僕は、 「悪口って、どんなことを言われるのです」 「どんなことって、まるで裏長屋の婆が井戸端でグズるのと異なったことはないさ」 「しかし天下を預かる英雄にはそんなこともありますまい」 「英雄は英雄でも、豪傑は豪傑でも、俺のことをこんなこと言った、怪しからぬ奴だ、あんなことをいったが不都合だと互いに陰口きいたのを、怨むようにこそこそと他人の悪口をいうさまは、毫も裏長屋の婆と異うことはない」 と言われたが、磊落にして世評などに無頓着を衒う豪傑にしても、なおかつかかる人が多い。いわんや普通の凡人においてはなおさらである。 また僕はかつて次のごときことを読んだことである。ソクラテスは容貌の醜い人で、世人が彼を誹謗するときは、必ずこの点を指摘した。しかし彼自身も容貌などは、どうでもよいと思うため、世人が自分の容貌の醜きを悪口すれば、自分もその仲間に加わり、一緒に笑い、己れの眼の飛び出しているは、四方八方をよく見るためであり、鼻の天井を向いているは、他人の嗅げないものを嗅ぐためであると磊落に笑い流していたが、その死せんとするにあたり、ヘムロックの杯を取りながら、 「いよいよ俺が死んだなら、もはや俺の容貌の醜きを笑う人もあるまい」 と一言した。してみると、他人が彼の醜きを譏るのを気にしていたと思われると説いた人の論を聞いた。この論がはたして当を得たるや否やは別とし、いわゆる聖人なるものも他人より悪口さるれば、少なくとも不愉快の感を起こすものと思われる。まして凡人においてをや。
書き下し
かつて故児玉大将が生存中、僕は一夕大将をその邸に訪ねたことがある。折から外出より帰った大将は、 「大層お待たせした」 と挨拶し、 「イヤハヤ、どうも元老の爺連がお互いに悪口言い合うを調和するは、一方ならぬ骨折りだ。今日も一日かかって、そんな骨折りをやって来た」 と歎ぜられた。僕は、 「悪口って、どんなことを言われるのです」 「どんなことって、まるで裏長屋の婆が井戸端でグズるのと異なったことはないさ」 「しかし天下を預かる英雄にはそんなこともありますまい」 「英雄は英雄でも、豪傑は豪傑でも、俺のことをこんなこと言った、怪しからぬ奴だ、あんなことをいったが不都合だと互いに陰口きいたのを、怨むようにこそこそと他人の悪口をいうさまは、毫も裏長屋の婆と異うことはない」 と言われたが、磊落にして世評などに無頓着を衒う豪傑にしても、なおかつかかる人が多い。いわんや普通の凡人においてはなおさらである。 また僕はかつて次のごときことを読んだことである。ソクラテスは容貌の醜い人で、世人が彼を誹謗するときは、必ずこの点を指摘した。しかし彼自身も容貌などは、どうでもよいと思うため、世人が自分の容貌の醜きを悪口すれば、自分もその仲間に加わり、一緒に笑い、己れの眼の飛び出しているは、四方八方をよく見るためであり、鼻の天井を向いているは、他人の嗅げないものを嗅ぐためであると磊落に笑い流していたが、その死せんとするにあたり、ヘムロックの杯を取りながら、 「いよいよ俺が死んだなら、もはや俺の容貌の醜きを笑う人もあるまい」 と一言した。してみると、他人が彼の醜きを譏るのを気にしていたと思われると説いた人の論を聞いた。この論がはたして当を得たるや否やは別とし、いわゆる聖人なるものも他人より悪口さるれば、少なくとも不愉快の感を起こすものと思われる。まして凡人においてをや。
現代語訳
かつて、故児玉大将が存命中のこと、僕はある晩、大将をその邸に訪ねたことがあります。そこへ外出から帰った大将は、 「たいそうお待たせしました」 と挨拶し、続けて、 「いやはや、元老の爺さんたちがお互いに悪口を言い合うのを取り持つのは、並大抵の骨折りではない。今日も一日かかって、そんな骨折りをしてきた」 と嘆かれました。僕は、 「悪口といって、どんなことを言われるのですか」 と尋ねました。 「どんなことといって、まるで裏長屋のばあさんが井戸端で愚痴るのと変わりはないさ」 「しかし、天下を預かる英雄にはそんなこともないでしょう」 「英雄は英雄でも、豪傑は豪傑でも、俺のことをこう言った、けしからん奴だ、ああ言ったのは不都合だと、互いに陰口をきいて恨むように、こそこそと他人の悪口を言うさまは、少しも裏長屋のばあさんと違わない」 と言われました。度量が大きく世評などに無頓着を装う豪傑でさえ、なおこのような人が多いのです。まして普通の凡人においては、いうまでもありません。 また僕は、かつて次のようなことを読んだことがあります。ソクラテスは容貌の醜い人で、世間の人が彼を誹謗するときは、必ずこの点を指摘しました。しかし彼自身も、容貌などはどうでもよいと思っていたので、世人が自分の容貌の醜さを悪く言えば、自分もその仲間に加わって一緒に笑い、自分の目が飛び出しているのは四方八方をよく見るためであり、鼻が天井を向いているのは他人が嗅げないものを嗅ぐためだと、朗らかに笑い流していました。ところが死に臨んで、毒ニンジンの杯を取りながら、 「いよいよ俺が死んだなら、もう俺の容貌の醜さを笑う人もあるまい」 と一言もらしました。してみると、彼は他人が自分の醜さをそしるのを気にしていたのだと説いた人の論を聞きました。この論がはたして当たっているかどうかはともかく、いわゆる聖人も、他人から悪口を言われれば、少なくとも不愉快な感じを起こすものと思われます。まして凡人においてはなおさらです。
解説

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『大和俗訓』巻之八・応接一人の善言を聞きて移りやすきは、誠によし。人の不善なる言を聞きて、移りやすき人あり。まよへりと云ふべし。是知なければなり。よく心の内に思案し、其言の是非をわきまへて、悪しき言にまよふべからず。一古人の言に、衆人を以て人を望めば、人従ひやすしといへり。衆人とは凡夫のことなり。人の我に対し不義なるをば、凡夫なればかくこそあらめと思ひ、なだめ許して咎めざれば、人我に従ひやすく、人そむかずとなり。君子の道を以て矩にして、凡夫を一々ただせば、一も矩にあはず。一人も全き人なかるべし。かくの如くすれば、人我に従はず、背きやすし。ひが事多きは、うき世のならひぞと思ひさとりて、人をとがめ世をうらみざる事、君子の心なり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、性善を知るは、至極のことにて有べけれど、我等ごときは、何程聞ても得らるべきにあらず。孟子の如き器量あらば善ならん。後世の者、所詮及び難し。又世界数万億の中に、纔に二十人三十人、仮令九十百に至り、得心する人ありとも、いはゞ少しのことなり。只心易云て、世渡りを能するこそ善かるべけれ。仏者ならば、極楽へ往生すと云て悦ばせ、儒者ならば、天地に升降と云こそ、勝んと思へり。仮令覚ればとて、同じ天地なれば、苦んで益なきことにあらずや。
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