都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、性善ヲ知ルハ、至極ノコトニテ有ベケレド、我等ゴトキハ、何程聞テモ得ラルベキニアラズ、孟子ノ如キ器量アラバ善ナラン、後世ノ者、所詮及ビ難シ、又世界數萬億ノ中ニ、纔ニ二十人三十人、假令九十百ニ至リ、得心スル人アリトモ、イハヾ少シノコトナリ、只心易云テ、世渡リヲ能スルコソ善カルベケレ、佛者ナラバ、極樂ヘ往生スト云テ悅バセ、儒者ナラバ、天地ニ升降ト云コソ、勝ント思ヘリ、假令覺レバトテ、同ジ天地ナレバ、苦ンデ益ナキコトニアラズヤ、
新字:曰、性善ヲ知ルハ、至極ノコトニテ有ベケレド、我等ゴトキハ、何程聞テモ得ラルベキニアラズ、孟子ノ如キ器量アラバ善ナラン、後世ノ者、所詮及ビ難シ、又世界数万億ノ中ニ、纔ニ二十人三十人、仮令九十百ニ至リ、得心スル人アリトモ、イハヾ少シノコトナリ、只心易云テ、世渡リヲ能スルコソ善カルベケレ、仏者ナラバ、極楽ヘ往生スト云テ悦バセ、儒者ナラバ、天地ニ升降ト云コソ、勝ント思ヘリ、仮令覚レバトテ、同ジ天地ナレバ、苦ンデ益ナキコトニアラズヤ、
書き下し
曰く、性善を知るは、至極のことにて有べけれど、我等ごときは、何程聞ても得らるべきにあらず。孟子の如き器量あらば善ならん。後世の者、所詮及び難し。又世界数万億の中に、纔に二十人三十人、仮令九十百に至り、得心する人ありとも、いはゞ少しのことなり。只心易云て、世渡りを能するこそ善かるべけれ。仏者ならば、極楽へ往生すと云て悦ばせ、儒者ならば、天地に升降と云こそ、勝んと思へり。仮令覚ればとて、同じ天地なれば、苦んで益なきことにあらずや。
現代語訳
問う人「性善を知るのはこの上ないことでしょうが、わたしたちのような者は、いくら聞いても会得できるものではありません。孟子のような器量があればよいでしょうが、後の世の者はとても及びません。また世界の何万億という人の中で、わずか二十人三十人、たとえ九十人百人が得心したとしても、いわば少しのことです。ただ分かりやすく言って、世渡りを上手にするほうがよいでしょう。仏者なら極楽へ往生すると言って喜ばせ、儒者なら天地に昇り降りすると言うほうが勝っていると思います。たとえ悟ったところで、同じ天地に帰るのなら、苦しんでも益のないことではありませんか。」
解説
この章句が説くこと
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