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自警録 / 第五章 心強くなる工夫・盲者蛇を怖れぬ豪胆

僕の友人に僕と同じように気の弱い、いわば臆病の人がある。子供のときに、その親が当時有名なりし某将軍につれて行き、 「どうかこの子の胆力を練らせていただきたい。今のように気が弱くては、その将来が案ぜられます」 といったとき、将軍より、 「いや臆病なるはさほど心配が要らぬ。怜悧なる証拠である」 といわれ、当人はかえって得意になり帰ったことがある。臆病者は怜悧なのか、怜悧なものが臆病なのか、いずれが原因で、いずれが結果であるにしても、ともかくこの二者の間には何らかの関係があるように思われる。といって僕もあながち自分が臆病なるゆえ怜悧なりという考えはないが、世にいわゆる盲者蛇で、周囲のことも、前後のことも、いっさい分からぬものはその行動がちょっと豪胆らしく見える。しかしこれは豪胆にあらずして前後左右が見えぬのである。危険あるを知って豪胆に振舞うのでなく、危険あるを知らぬゆえに豪胆らしく振舞うのである。 そもそも人生には明らかに顕るる危険もあれば、両側あるいは地下に潜伏せる危険もまた多い。この危険を幾分なりとも見得るものは、怖れざらんとしても怖れざるを得ない。すなわちある意味において臆病にならざるを得ないゆえに想像力の強きものはいよいよ臆する。したがって臆病すなわち気の弱きを矯正するには、盲者になったら、あるいはその目的を達するかも知れぬが、むろん我々が気弱を矯正せんとするのは、各自の本体を捨て消極的に改めんとするのでない、見えることならますます能く見、その危険をも見透してなお臆しないところにまで到達するが主意である。盲者になって豪胆らしく振舞うはもとよりその主意に反する。

書き下し

僕の友人に僕と同じように気の弱い、いわば臆病の人がある。子供のときに、その親が当時有名なりし某将軍につれて行き、 「どうかこの子の胆力を練らせていただきたい。今のように気が弱くては、その将来が案ぜられます」 といったとき、将軍より、 「いや臆病なるはさほど心配が要らぬ。怜悧なる証拠である」 といわれ、当人はかえって得意になり帰ったことがある。臆病者は怜悧なのか、怜悧なものが臆病なのか、いずれが原因で、いずれが結果であるにしても、ともかくこの二者の間には何らかの関係があるように思われる。といって僕もあながち自分が臆病なるゆえ怜悧なりという考えはないが、世にいわゆる盲者蛇で、周囲のことも、前後のことも、いっさい分からぬものはその行動がちょっと豪胆らしく見える。しかしこれは豪胆にあらずして前後左右が見えぬのである。危険あるを知って豪胆に振舞うのでなく、危険あるを知らぬゆえに豪胆らしく振舞うのである。 そもそも人生には明らかに顕るる危険もあれば、両側あるいは地下に潜伏せる危険もまた多い。この危険を幾分なりとも見得るものは、怖れざらんとしても怖れざるを得ない。すなわちある意味において臆病にならざるを得ないゆえに想像力の強きものはいよいよ臆する。したがって臆病すなわち気の弱きを矯正するには、盲者になったら、あるいはその目的を達するかも知れぬが、むろん我々が気弱を矯正せんとするのは、各自の本体を捨て消極的に改めんとするのでない、見えることならますます能く見、その危険をも見透してなお臆しないところにまで到達するが主意である。盲者になって豪胆らしく振舞うはもとよりその主意に反する。

現代語訳

私の友人に、私と同じように気が弱い、いわば臆病な人がいます。子供のときに、その親が、当時有名だったある将軍のもとへ連れて行き、 「どうかこの子の胆力を鍛えていただきたい。今のように気が弱くては、将来が案じられます」 と言ったとき、将軍から、 「いや、臆病なのはそれほど心配には及ばない。利口な証拠だ」 と言われ、当人はかえって得意になって帰ったことがあります。臆病者は利口なのか、利口な者が臆病なのか、どちらが原因でどちらが結果であるにしても、ともかくこの二つの間には何らかの関係があるように思われます。といっても、私は自分が臆病だから利口だという考えは決してありませんが、世にいう「めくら蛇に怖じず」で、周囲のことも前後のこともまったく分からない者は、その行動が少し豪胆らしく見えます。しかしこれは豪胆なのではなく、前後左右が見えないのです。危険があると知って豪胆にふるまうのではなく、危険があるのを知らないから豪胆らしくふるまうのです。 そもそも人生には、はっきり現れている危険もあれば、両側あるいは地下に潜んでいる危険もまた多くあります。この危険を少しでも見通せる者は、怖れまいとしても怖れざるを得ません。つまりある意味で臆病にならざるを得ないので、想像力の強い者はいよいよ臆します。したがって、臆病、つまり気の弱いことを直すには、盲目になれば、あるいはその目的を達するかもしれませんが、もちろん私たちが気の弱さを直そうとするのは、各自の本体を捨てて消極的に改めようとするのではありません。見えることならますますよく見て、その危険を見通してなお臆しないところまで到達するのが主眼です。盲目になって豪胆らしくふるまうのは、もとよりその主旨に反します。

解説

めくら蛇に怖じず、つまり危険を知らないから怖れないだけの豪胆を、本物の勇気と区別する一節です。新渡戸が目指すのは、危険を見通した上でなお臆しない状態です。臆病と利口に関係があるという将軍の言葉を引きつつ、想像力の強い人ほど危険が見えて臆するという観察を述べます。現代の仕事でも、リスクが見える人は慎重になりますが、見えない人の大胆さを勇気と取り違えてはいけません。見えているリスクを抱えて動けることが、本当の勇気です。
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この章句が説くこと

臆病と利口めくら蛇に怖じず想像力危険を見通す豪胆気の弱さ

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