自警録 / 第四章 外は柔、内は剛・柔和なる者はこの世を嗣ぐ
「憎まれ子世にはびこる」という俗諺があるが、これは原因と結果とを顛倒したことである。世にはびこるものは憎まれる、はびこらずに謙遜に柔順なるこそ真に世に処する妙法である。かつこれが持久の基と思う。聖書に、 「柔和なる者はこの世を嗣ぐべし」 とある。この世を承けて引き継ぐ者は柔和なる者なりとは、柔順なる人は永久にこの世の継続者である。 換言すれば柔順は永久の徳なり、剛いもの、力をもって世を圧倒するものは、たとえ一時の効はあるとも、永久には継続せぬ。獣を見ても分かる、虎、獅子、熊などのごとき猛獣は年々その数が減じつつある。もし統計を取ることが出来れば、彼らの減少率のはなはだ迅速なることを示すであろう。こんにちの状態にて進行すれば、数年ならずしてこれらの猛獣はこの世に跡を絶つであろうと、動物学者はかえって心配し、彼らの保存法を講じている。 しかるにこれらの猛獣より見れば、卑屈らしく女々しく思わるる牛馬羊のごときはかえって年々増殖する。すなわち柔和なる動物がこの世を継いで、烈しい猛獣は年々歳々にその跡を絶ちつつある。人間においてもまたそうと思う。野蛮時代には武ばる一方で、永久に続くことは出来ぬ。喧嘩して世を渡るものは喧嘩両成敗で共倒れして後がつづかぬ。 武士のけんくゎに後家が二人出来 相互に殺し合うゆえに永続せぬのである。猛烈をもって勇気なりと思う時代はまだまだ野蛮時代たるを免れぬ。武骨で強そうなるをもって武士道の教訓のごとく思うははなはだ幼稚なる武士道である。理想に富める武士はものの哀れを知り、仁の徳に長け、温和に柔順なものである。 かつて英国のある子供が、その父に gentlemanly とはなんの意味かと問うたとき、父は通例の書籍に書いてある文句の切り方は違う、ふつにはジェントルマンとリーとに切る、と思うであろうが、これは文法上正しいだけで、その内容はジェントルで切り、マンリーを加え、柔和で男らしいという意味であると答えたという。
書き下し
「憎まれ子世にはびこる」という俗諺があるが、これは原因と結果とを顛倒したことである。世にはびこるものは憎まれる、はびこらずに謙遜に柔順なるこそ真に世に処する妙法である。かつこれが持久の基と思う。聖書に、 「柔和なる者はこの世を嗣ぐべし」 とある。この世を承けて引き継ぐ者は柔和なる者なりとは、柔順なる人は永久にこの世の継続者である。 換言すれば柔順は永久の徳なり、剛いもの、力をもって世を圧倒するものは、たとえ一時の効はあるとも、永久には継続せぬ。獣を見ても分かる、虎、獅子、熊などのごとき猛獣は年々その数が減じつつある。もし統計を取ることが出来れば、彼らの減少率のはなはだ迅速なることを示すであろう。こんにちの状態にて進行すれば、数年ならずしてこれらの猛獣はこの世に跡を絶つであろうと、動物学者はかえって心配し、彼らの保存法を講じている。 しかるにこれらの猛獣より見れば、卑屈らしく女々しく思わるる牛馬羊のごときはかえって年々増殖する。すなわち柔和なる動物がこの世を継いで、烈しい猛獣は年々歳々にその跡を絶ちつつある。人間においてもまたそうと思う。野蛮時代には武ばる一方で、永久に続くことは出来ぬ。喧嘩して世を渡るものは喧嘩両成敗で共倒れして後がつづかぬ。 武士のけんくゎに後家が二人出来 相互に殺し合うゆえに永続せぬのである。猛烈をもって勇気なりと思う時代はまだまだ野蛮時代たるを免れぬ。武骨で強そうなるをもって武士道の教訓のごとく思うははなはだ幼稚なる武士道である。理想に富める武士はものの哀れを知り、仁の徳に長け、温和に柔順なものである。 かつて英国のある子供が、その父に gentlemanly とはなんの意味かと問うたとき、父は通例の書籍に書いてある文句の切り方は違う、ふつにはジェントルマンとリーとに切る、と思うであろうが、これは文法上正しいだけで、その内容はジェントルで切り、マンリーを加え、柔和で男らしいという意味であると答えたという。
現代語訳
「憎まれっ子世にはばかる」という俗諺がありますが、これは原因と結果を取り違えたものです。世にはびこる者は憎まれるのであって、はびこらずに謙遜で素直であることこそ、真に世を渡る妙法です。そしてこれが長続きする基だと思います。聖書に、 「柔和な者は、この世を受け継ぐであろう」 とあります。この世を引き継ぐ者は柔和な者である、つまり素直な人は永久にこの世の継承者である、という意味です。 言い換えれば、柔順は永久の徳であり、剛いもの、力でこの世を圧倒する者は、たとえ一時の効果はあっても、永く続きません。獣を見ても分かります。虎、獅子、熊などの猛獣は、年々その数が減りつつあります。もし統計が取れるなら、彼らの減少率がきわめて速いことを示すでしょう。今日の状態で進めば、数年もしないうちにこれらの猛獣はこの世から跡を絶つだろうと、動物学者はかえって心配し、その保存の方法を講じているほどです。 ところが、これらの猛獣から見れば卑屈そうで女々しく思われる牛や馬や羊のような動物は、かえって年々増えていきます。つまり柔和な動物がこの世を継ぎ、烈しい猛獣は年々歳々その跡を絶ちつつあるのです。人間においてもそうだと思います。野蛮時代は武張る一方で、永く続くことはできませんでした。喧嘩して世を渡る者は、喧嘩両成敗で共倒れになり、あとが続きません。 武士のけんくゎに後家が二人出来 互いに殺し合うので、永続しないのです。猛烈さを勇気だと思う時代は、まだ野蛮時代を免れません。無骨で強そうなのを武士道の教えのように思うのは、まことに幼稚な武士道です。理想に富んだ武士は、ものの哀れを知り、仁の徳に長け、温和で素直なものです。 かつて英国のある子供が、父に gentlemanly とはどういう意味かと尋ねたとき、父は、普通の書物に書いてある切り方は違う、ふつうはジェントルマンとリーに切ると思うだろうが、これは文法上正しいだけで、内容はジェントルで切り、マンリーを加え、柔和で男らしいという意味だ、と答えたといいます。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
自警録・第一章 男一匹・男は強かるべし強がるべからず女子の保護者たる役目を全うするには猛勇では叶わぬ。やはり優しきところ、一見女性的のところがなくてはならぬ。血も涙もあってこそ真の男と称すべし。今後の男伊達は決して威張り一方では用をなさぬ。内心剛くして外部に柔らかくなくてはならぬ。むかしの賢者も教えて曰く、 「人剛を好めば我柔をもってこれに勝つ」 と、また曰く、 「柔能く剛を制す、赤子に遇うて賁育その勇を失う」と。 男子は須らく強かるべし、しかし強がるべからず。外弱きがごとくして内強かるべし。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり とは、真の男子の態度であろう。男もこの点まで思慮が進むと、先きに述べたる宗教の訓うる趣旨に叶うてきて、深沈重厚の資と磊落雄豪の質との撞着が消えてくる。かくなると羊のようにおとなしい性と虎のごときたけき質とを兼備する人格が出るであろう。漢学者の使用する一句に、「羊質虎皮」というのがあって、外面虎皮をかぶりて虚勢を張り、内心卑怯きわまる偽物を指す成語としてあり、楊雄(前五八―後一八)の文に、 「羊質にして虎皮、草を見て悦び、豺を見て戦く、其の皮の虎なるを忘るるなり」 とあるが、草を見て悦ぶになんの悪きことがない。悪きことは豺を見て戦く臆病心にあるのだから、その温順寡慾なる羊質をもちながら、なお虎の驍悍勁厲なる質を修めたら、すなわち廉毅忠果の性格となりてこれに超ゆる人格はなかろう。政治家かつ文学者として高名なるバヤード=デーロル氏の詩に曰く、 The bravest are the tenderest, ―― The loving are the daring. (勇深なる者は温柔なる者、愛情深き者は大胆なる者なり)
-
自警録・第四章 外は柔、内は剛・柔和の心は相手の柔和の心を抽き出すかく人情の大体より考うるも、そうありそうに思われる。なんとなれば諺にも、「世は情け」という通り、人情が敦厚なれば、――もっと砕いていえば親切とか思いやりとか誠とかがあると、人世は美わしきもの、生ける甲斐あるもののように思われる。しかしてこれらの親切、思いやり、誠がどういうふうに現れるかというに、こちらの親切、思いやり、誠を現すと、その反響として相手方にも現れ出ることが多い。いわゆる売りことばに買いことば、こちらが柔和におだやかなる心をもって人に接すれば、相手の柔和な心を抽き出す。鐘もうちよう、人の心も触りようである。お互いに電車に乗っても、こちらが立って席を譲れば相手も、 「ありがとうございます。まあどうぞおかけ下さいまし」 と遠慮の心も起こる。しかし無理に押し込んで入れば、なに此奴がという気が起こりやすい。世を渡るには、 「御免なさい御免なさい」 と遠慮がちなることは、必ずしも卑怯とはいわれぬ。あるいは人によりては、これはずるい方法で、猫を被るとか、猫なで声で人を瞞着するとか、西洋でいう羊の毛を被る狼のごとく、偽善の最も甚だしきもののように思うものもある。むろん偽善の一方法ともなり得るが、しかし恐らくは世の中のことで偽善になり得ないものはあるまい。柔和を偽善と誣うるならば、それと同じく剛毅もまた偽善に供することが出来る。決して偽ものがあるからとてその者を非難するわけに行かぬ、むしろ偽者を出すものは本物が善いからである。悪い者なれば偽が出来るはずはない。善ければ善いほど種々の偽も出来る。猫被りが多いというは、取も直さず柔和は何人でも重んずる証拠である。
-
自警録・第四章 外は柔、内は剛・剛柔、分を守りて人格が円満さて心の剛柔とは、すでに前に女という字についていえるごとく、善意にも悪意にも解せられる。剛が過ぎれば剛情となり、頑固となり、意気地となる。柔に過ぐれば木偶となり、薄志弱行となる。極端に失すればいずれも悪しくなるが、度に過ぎぬ以上は、すべからく剛毅でなければならぬ。 自分の所信を貫徹するためには、一たび固めた決心を抂げぬ、あくまでも、左右の言にも耳を借さずに猛進するくらいの強いところが必要である。さればといって、剛ばかりで、慈悲もなく、人情も捨て、全然柔和のところを失えば、これ他人に不幸を与うるのみならず、自分も心の全部を尽すわけに行かぬから、つねに不幸を感ずる。剛柔が能くその分を守りその調和を保ちて、はじめて円満なる人格を作り上げる。
-
自警録・第四章 外は柔、内は剛・身を処するには剛柔がおのおの必要先天的に剛に出来ている人と、同じく先天的に柔に出来ている人とあるは、あたかも動物にも亀もあれば海月もあり、植物にも栗もあれば苺もあるがごとくである。すでに先天的に出来ているものを、強いて俺はこれから剛にする、俺はこれから柔にすると、天賦の性質を矯め、束縛することはすこぶる難事であるが、しかし俺はあくまでも剛である、俺は何事にも柔であると一貫して遂行することも出来ぬ。これは矛盾するようであるが、人がこの世に処するあいだには、あるいは剛に出ねばならぬことあり、あるいは柔ならねばならぬことがある。 人間の体躯も骨ばかりでは用をなさぬ、筋肉もあれば脂肪もある、腹や股が柔であるから、人体は柔であるといえぬ。爪や歯牙があるから剛だともいわれぬ。ゆえに剛だとか柔だとかいって、いずれか一方を主義とすべきものでなく、事に触れ機に接して、身を処するにこれは剛にすべく、是は柔にすべく、その場合に応じて二者の調和よろしきを得て、人間は始めて円満となるのである。事によってあるいは剛となりあるいは柔となるというも、それは決して矛盾でない。前にいった橋本にしても藤田・西郷にしても、両方の性質があったから、外見と性質とがちがうように見えたのであろう。
-
自警録・第四章 外は柔、内は剛・世の中には譲って差支えないことが多い柔和というと、いかにも自分に意志なく、人の意志に脆く服従するごとく思うものあるが、しかし決してそうでない。柔和は意志の弱き謂でない。もっとも一方より考えれば、かく思うも無理はない。僕の考えでは世には抂げてもよい意思がたくさんにあり、また意思を表示するに及ばぬものもたくさんあり、あるいは意思を明らかにする必要なきものもたくさんあると思う。 意志というと言葉がはなはだよく聞こゆるも、何ごとについても明白なる意思を発表するものは神経質かあるいは小心なる厄介者である。たとえば衣を着るにも、縞柄から縫い方から着ようにいたるまで一々明白した意思を表示し、かつこれを貫かんとすれば、たいていの仕立屋または細君は必ず手に余すであろう。三度食う飯さえも強い柔かいがある。この浮世を渡るに飯の炊きようについて、あまり明白な意思を有するものは、恐らくは生涯の三分の二は飯のために不満足を唱えて暮らさねばならぬだろう。 僕の信ずるところでは、世の中のことは判然たる意志をもつ必要のないことが多い。換言すればどちらでもよいことが多い。物を食うにも鮭でも鰌でもよい、沢庵でも菜葉でもよく、また味噌汁の実にしても芋でも大根でもよい。ただ特別なる場合、たとえば来客とか病気とかの時のごときには、明らかなる意思を立てて遂行するも必要だが、たいていの場合にはどちらでも差支えないことが多い。しかして朝起きて夜寝るまで、自分のなすこと、接することを一々数えたてれば、自分が頓着しなくとも善いことが多くありはせぬか。相手には非常に重大の問題でありながら、自分には何の関係ないことがありはせぬか。かく思うと無頓着というは語弊もあるが、自分から関係せず、関係深い人に譲りて差支えないことが数多ある。ここがすなわち僕の、「世を譲って渡れ」という所以である。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・最も剛毅なる者は最も柔和なり『最も剛毅なる者は、最も柔和なり。最も愛ある者は、最も勇敢なり』とは、古今東西の通義なり。武士のなさけとは、人心に妙音を伝へて、高尚なる情感を覚醒するの語なりき。武夫の慈悲の質たる、他者の慈悲と其類を殊にするには非らず。されど仁の武士に於けるは、漠然たる感情より発するものに非らずして、其心に正義を忘れざるにあり。又た其仁は、ただに情緒の発現たるのみに非らずして、而も其後へには生殺与奪の権を有し、恩に兼ぬるに威を以てす。経済学者が、需要に有効無効の別ありと云ふが如く、武士の慈悲は即ち有効なるものと称すべくして、之を受くるものに対して、或は利益を生じ、或は損害を来たすの力を有せり。武士は獣力を栄とし、之を用ふるの特権に誇りたりと雖も、又た深く孟子が仁の力を説くに服するものなりき。