自警録 / 第一章 男一匹・男は強かるべし強がるべからず
女子の保護者たる役目を全うするには猛勇では叶わぬ。やはり優しきところ、一見女性的のところがなくてはならぬ。血も涙もあってこそ真の男と称すべし。今後の男伊達は決して威張り一方では用をなさぬ。内心剛くして外部に柔らかくなくてはならぬ。むかしの賢者も教えて曰く、 「人剛を好めば我柔をもってこれに勝つ」 と、また曰く、 「柔能く剛を制す、赤子に遇うて賁育その勇を失う」と。 男子は須らく強かるべし、しかし強がるべからず。外弱きがごとくして内強かるべし。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり とは、真の男子の態度であろう。男もこの点まで思慮が進むと、先きに述べたる宗教の訓うる趣旨に叶うてきて、深沈重厚の資と磊落雄豪の質との撞着が消えてくる。かくなると羊のようにおとなしい性と虎のごときたけき質とを兼備する人格が出るであろう。漢学者の使用する一句に、「羊質虎皮」というのがあって、外面虎皮をかぶりて虚勢を張り、内心卑怯きわまる偽物を指す成語としてあり、楊雄(前五八―後一八)の文に、 「羊質にして虎皮、草を見て悦び、豺を見て戦く、其の皮の虎なるを忘るるなり」 とあるが、草を見て悦ぶになんの悪きことがない。悪きことは豺を見て戦く臆病心にあるのだから、その温順寡慾なる羊質をもちながら、なお虎の驍悍勁厲なる質を修めたら、すなわち廉毅忠果の性格となりてこれに超ゆる人格はなかろう。政治家かつ文学者として高名なるバヤード=デーロル氏の詩に曰く、 The bravest are the tenderest, ―― The loving are the daring. (勇深なる者は温柔なる者、愛情深き者は大胆なる者なり)
書き下し
女子の保護者たる役目を全うするには猛勇では叶わぬ。やはり優しきところ、一見女性的のところがなくてはならぬ。血も涙もあってこそ真の男と称すべし。今後の男伊達は決して威張り一方では用をなさぬ。内心剛くして外部に柔らかくなくてはならぬ。むかしの賢者も教えて曰く、 「人剛を好めば我柔をもってこれに勝つ」 と、また曰く、 「柔能く剛を制す、赤子に遇うて賁育その勇を失う」と。 男子は須らく強かるべし、しかし強がるべからず。外弱きがごとくして内強かるべし。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり とは、真の男子の態度であろう。男もこの点まで思慮が進むと、先きに述べたる宗教の訓うる趣旨に叶うてきて、深沈重厚の資と磊落雄豪の質との撞着が消えてくる。かくなると羊のようにおとなしい性と虎のごときたけき質とを兼備する人格が出るであろう。漢学者の使用する一句に、「羊質虎皮」というのがあって、外面虎皮をかぶりて虚勢を張り、内心卑怯きわまる偽物を指す成語としてあり、楊雄(前五八―後一八)の文に、 「羊質にして虎皮、草を見て悦び、豺を見て戦く、其の皮の虎なるを忘るるなり」 とあるが、草を見て悦ぶになんの悪きことがない。悪きことは豺を見て戦く臆病心にあるのだから、その温順寡慾なる羊質をもちながら、なお虎の驍悍勁厲なる質を修めたら、すなわち廉毅忠果の性格となりてこれに超ゆる人格はなかろう。政治家かつ文学者として高名なるバヤード=デーロル氏の詩に曰く、 The bravest are the tenderest, ―― The loving are the daring. (勇深なる者は温柔なる者、愛情深き者は大胆なる者なり)
現代語訳
女子の保護者としての役目を全うするには、猛々しい勇だけでは叶いません。やはり優しいところ、一見女性的なところがなければなりません。血も涙もあってこそ、真の男と呼べるのです。これからの男伊達は、威張り一方では役に立ちません。内心は剛く、外は柔らかくなくてはなりません。昔の賢者も教えて言いました。 「人が剛を好むなら、私は柔でこれに勝つ」 と。また、 「柔はよく剛を制す。赤子に出会えば、孟賁も夏育もその勇を失う」 と。男子はぜひとも強くあれ、しかし強がってはなりません。外は弱いようで内は強くあれ。 負けて退く人を弱いと思うな。智恵の力が強いからなのだ。 とは、真の男子の態度でしょう。男もこの点まで思慮が進むと、先に述べた宗教の教える趣旨に叶ってきて、思慮深く落ち着いて重厚な資質と、さっぱりと雄々しい気質との食い違いが消えてきます。そうなると、羊のようにおとなしい性質と、虎のように猛々しい気質を兼ね備えた人格が出てくるでしょう。漢学者が使う一句に「羊質虎皮」というのがあり、外面は虎の皮をかぶって虚勢を張り、内心は卑怯きわまる偽物を指す成語として用いられます。楊雄(前五八―後一八)の文に、 「羊の性質で虎の皮をかぶっていると、草を見れば喜び、豺を見れば震える。自分の皮が虎であることを忘れているのだ」 とありますが、草を見て喜ぶのは、なんの悪いこともありません。悪いのは豺を見て震える臆病心にあるのです。ですから、その温順で欲の少ない羊の質を持ちながら、なお虎の勇猛で気力ある質を修めたなら、それは清廉剛毅で忠義果断の性格となり、これに勝る人格はないでしょう。政治家であり文学者としても名高いバヤード=デーロル氏の詩に曰く、 The bravest are the tenderest, ―― The loving are the daring. (勇深なる者は温柔なる者、愛情深き者は大胆なる者なり)
解説

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