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自警録 / 第一章 男一匹・勇は男一匹たるの要素

人にまけ己れにかちて我を立てず義理を立つるが男伊達なり の一首まことに深重の味がある。ことに上の句の「人にまけ」のごときは前に述べたもろもろの宗教の教うるところで、右の頬を打たるれば左の頬を出すがごとき意を含んでいる。またそのつぎの「己れにかちて」などは勇の最も洗練されたるものである。勇気もこの階段に達すればもはや猛勇でなく、匹夫の勇でもない。孟子のいわゆる大勇なるもので、西洋の学者のいうモーラル・カレッジ(道徳的勇気)である。 男一匹たるの資格は第一に勇を揮うて己れに克つにありと思う。己れに克つものはほかに勝つこともさほど難事でない。己れに克つものは世界に勝つことを得と古人の言えるのはこのことである。なお古い漢書に曰く、 「善く身を処する者は、必らず世に処す。善く世に処せざるは、身を賊する者なり。善く世に処する者は、必らず厳に身を修む。厳に身を修めざるは世に媚ぶる者なり」 と。決して女子は勇気なくともよいというのではないが、女子の強きところは耐忍にありとせば、男子の特長は猛進的なる奮闘の力にある。このことを論ずるには多言を要せぬ。動物を見てもすみやかに天意のどこにあるやは察しられる。 孔子の弟子なる子路は勇ましい男性的の者であって、つねに勇を好んだ。ある日孔子にたずねた、 「君子は勇を尚ぶか」 と、孔子は答えて、 「君子は義をもって上とす。君子勇ありて義なければ乱を為す。小人勇ありて義なければ盗をなす」と。 じつにそのとおりで、古人の語に、 「深沈厚重は是れ第一等の資質、磊落雄豪は是れ第二等の資質、聡明才弁は是れ第三等の資質なり」と。

書き下し

人にまけ己れにかちて我を立てず義理を立つるが男伊達なり の一首まことに深重の味がある。ことに上の句の「人にまけ」のごときは前に述べたもろもろの宗教の教うるところで、右の頬を打たるれば左の頬を出すがごとき意を含んでいる。またそのつぎの「己れにかちて」などは勇の最も洗練されたるものである。勇気もこの階段に達すればもはや猛勇でなく、匹夫の勇でもない。孟子のいわゆる大勇なるもので、西洋の学者のいうモーラル・カレッジ(道徳的勇気)である。 男一匹たるの資格は第一に勇を揮うて己れに克つにありと思う。己れに克つものはほかに勝つこともさほど難事でない。己れに克つものは世界に勝つことを得と古人の言えるのはこのことである。なお古い漢書に曰く、 「善く身を処する者は、必らず世に処す。善く世に処せざるは、身を賊する者なり。善く世に処する者は、必らず厳に身を修む。厳に身を修めざるは世に媚ぶる者なり」 と。決して女子は勇気なくともよいというのではないが、女子の強きところは耐忍にありとせば、男子の特長は猛進的なる奮闘の力にある。このことを論ずるには多言を要せぬ。動物を見てもすみやかに天意のどこにあるやは察しられる。 孔子の弟子なる子路は勇ましい男性的の者であって、つねに勇を好んだ。ある日孔子にたずねた、 「君子は勇を尚ぶか」 と、孔子は答えて、 「君子は義をもって上とす。君子勇ありて義なければ乱を為す。小人勇ありて義なければ盗をなす」と。 じつにそのとおりで、古人の語に、 「深沈厚重は是れ第一等の資質、磊落雄豪は是れ第二等の資質、聡明才弁は是れ第三等の資質なり」と。

現代語訳

人にまけ己れにかちて我を立てず義理を立つるが男伊達なり (人には負け、己れには勝ち、我を張らず、義理を立てるのが男伊達である) この一首にはまことに深い味わいがあります。ことに上の句の「人にまけ」は、前に述べたさまざまな宗教の教えるところで、右の頬を打たれれば左の頬を差し出すような意味を含んでいます。次の「己れにかちて」は、勇のもっとも洗練されたものです。勇気もこの段階に達すれば、もはや猛々しい勇でも、匹夫の勇でもありません。孟子のいう大勇であり、西洋の学者がいうモーラル・カレッジ(道徳的勇気)です。 男一匹たる資格は、第一に勇を振るって己れに克つことにあると思います。己れに克つ者は、ほかに勝つこともさほど難しくありません。己れに克つ者は世界に勝つことができると昔の人が言ったのは、このことです。なお古い漢籍にこうあります。 「よく身を処する者は、必ず世に処することができる。よく世に処せない者は、わが身を損なう者である。よく世に処する者は、必ず厳しく身を修める。厳しく身を修めない者は、世に媚びる者である」 と。決して女子は勇気がなくてよいというのではありませんが、女子の強さは耐え忍ぶことにあるとすれば、男子の特長は猛進して奮闘する力にあります。このことを論じるのに多言は要りません。動物を見ても、天意のありかはすぐ察せられます。 孔子の弟子の子路は勇ましい男性的な人で、常に勇を好みました。ある日、孔子に尋ねました。 「君子は勇を尊びますか」 と。孔子は答えました。 「君子は義を最上とする。君子に勇があって義がなければ乱を起こす。小人に勇があって義がなければ盗みをする」 と。 まことにそのとおりで、昔の人の言葉にも、 「思慮が深く落ち着いて重厚なのは第一等の資質、さっぱりと度量が大きく雄々しいのは第二等の資質、聡明で才弁があるのは第三等の資質である」 とあります。

解説

新渡戸は、人に負けて己に勝つという歌を引き、勇の最も洗練された形は己に克つことであり、それは孟子の大勇、道徳的勇気だと言います。孔子が子路に答えた、義のない勇は乱か盗みになるという言葉が、勇の使いどころを定めます。女子の強さを耐忍、男子を猛進とする対比は当時の通念ですが、己に克つ力そのものは性別を問いません。職場でも、相手を言い負かす強さより、自分の感情や見栄を抑えて筋を通す強さのほうが、長く信頼を集めます。
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この章句が説くこと

己に克つ大勇道徳的勇気義子路孔子

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