孔子家語 / 好生
孔子謂子路曰:「君子以心導耳目,立義以為勇;小人以耳目導心,不愻以為勇。故曰退之而不怨,先之斯可從已。」
新字:孔子謂子路曰:「君子以心導耳目,立義以為勇;小人以耳目導心,不愻以為勇。故曰退之而不怨,先之斯可従已。」
書き下し
孔子子路に謂いて曰わく、「君子は心を以て耳目を導き、義を立てて以て勇と為す。小人は耳目を以て心を導き、愻ならざるを以て勇と為す。故に曰わく、之を退けられて怨みず、之に先んずれば斯れ従う可きのみと。」
現代語訳
孔子が子路に言った。「君子は自分の心によって耳や目の働きを導き、正しい道理を打ち立てることを勇気とする。小人は逆に耳や目に映るものによって心を導かせてしまい、へりくだらないことを勇気だと勘違いする。だからこう言うのだ。君子は退けられても怨むことがなく、自分から進んで人の先に立とうとするなら、それは従うにふさわしい生き方だと。」
解説
君子と小人の違いを、心と感覚器官(耳目)のどちらが主導権を握っているかという観点から説いた言葉です。君子は自分の内なる心(理性・道理)によって見聞きするものを判断し導きますが、小人は逆に、見聞きしたものの刺激や外部からの評価にそのまま心を振り回されてしまいます。その結果、小人は謙虚さを欠いた振る舞いを「勇気」だと錯覚してしまうと指摘しています。外からの刺激や評判に流されるのではなく、自分の内なる道理を軸に判断し行動する姿勢こそが真の勇気であるという教えは、情報や評価にあふれる現代社会において、自分の判断軸をどこに置くべきかを考えさせる示唆に富む言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
子路心導耳目義勇君子小人
関連する章句
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『五常訓』巻之四・義一子路問へり、君子は勇をたふとぶやと。子路は勇をこのむ人なれば、かくは問へり。孔子こたへて曰、君子は義をたふとぶ。位ある君子、もし勇のみありて義なければ、其力にまかせて反逆をなし、乱をおこす。位なく賤しき小人、もし勇のみにして義なければ、其力あるをたのみて、盗賊をなす。凡勇は、気に力ありて、人をおそれざるを云ふ。力を恃みて義無ければ、かくの如し。義は事の主なり。義を以て事を行へば、其事正し。義なくして事を行へば、其事皆邪なり。勇はまことに善をなすべき力なり。義を以て勇を行へば、其勇貴ぶべし。治世には、其力を以て善をなし、乱世には、其力を以て、武を行ひ、敵をうち、乱をしづむ。是皆義を以て勇を行ふ徳なり。まことに貴ぶべし。もし義なくして勇を用ふれば、かへりて道にそむき、物を害す。たとへば刀を以て敵をきり、悪人を殺すは義なり。刀を以て罪なき人をきるは、暴悪と狂乱となり。
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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孔子家語・弟子行強禦を畏れず、矜寡を侮らず。其の言は性に循い、其の都は富を以てす。材は戎を治むるに任う、是れ仲由の行なり。孔子之を和するに文を以てし、之を說くに詩を以て曰わく、『小拱大拱を受け、下國の駿龐と為り、天子の龍を荷う。戁ず悚じず、其の勇を敷奏す。強きかな武なるかな、文其の質に勝たず。』と。
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啓発録・振氣人々其心に感じ、其義勇に畏候へども、今の士は勇はなし、義は薄し、謀略は足らず、迚も千兵万馬の中に切り入り、縦横無碍に駆廻る事はかなふまじ。況んや帷幄の中に在て、運籌決勝之大勲は望むべき所にあらず。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。