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自警録 / 第一章 男一匹・男伊達の行為よりもその精神を酌め

わが輩はつねに男伊達の制度を景慕する者である。なかでも幡随院長兵衛のごときは、これを談話に聞いても、書籍に読んでも、じつに我が意を得たものとして尊崇せざるを得ぬ。任侠の標榜するところには、些細なる点においてまことに児戯に似たることも少なくない。たとえば手拭はどう持つものとか、尺八はどう揷すとか、帯はいかに結ぶとか、語尾はいかに発音するかというがごとき、愚なことではあるが、その子分として用いた者が多くは無学の熊公八公の類であったから、かくのごとき紋切形を設け、これによりて統御の便を計ったのも、あるいは止むを得なかったことであろう。これらの些細の事柄は笑うべきではあったが、まただいたいにおいて彼らのなすところ、物騒の傾向なきにあらざりしも、その動機においてはいかにも男性的で、子分の顔を立てるためには自分に不利益なる喧嘩を買ったこともあろう。 自分の命を投げ出したこともあり、強きを挫き弱きを扶くるを主義とし、義を見ればいかなることにも躊躇しなかった。この任侠な勇猛な性質は、勘定高き現今の社会においておおいに珍重すべきものと思う。されとてわが輩は、法律もろくろく備わらなかった社会に発達した風俗を、法治国たる憲法政治のもとにそのままに実行することは、断じて非なりと信ずるゆえに、たとえ当年の男伊達の意気を思慕するとはいえ、こんにちの男一匹は長兵衛そのままを写して可なりとは思わぬ。争議起これば、今日はこれを治むるために相応の法定機関がある。これによりて是非曲直を判断すべく、みだりに腕力を用うることを許さぬ。ゆえにわが輩は外部に表れた男伊達の行為よりも、むしろこの行為を生み出した任侠の心持が欲しいのである。すなわち、 「男は気で食え」「男前よりは気前」 などいうところの男性的気象が欲しいのである。

書き下し

わが輩はつねに男伊達の制度を景慕する者である。なかでも幡随院長兵衛のごときは、これを談話に聞いても、書籍に読んでも、じつに我が意を得たものとして尊崇せざるを得ぬ。任侠の標榜するところには、些細なる点においてまことに児戯に似たることも少なくない。たとえば手拭はどう持つものとか、尺八はどう揷すとか、帯はいかに結ぶとか、語尾はいかに発音するかというがごとき、愚なことではあるが、その子分として用いた者が多くは無学の熊公八公の類であったから、かくのごとき紋切形を設け、これによりて統御の便を計ったのも、あるいは止むを得なかったことであろう。これらの些細の事柄は笑うべきではあったが、まただいたいにおいて彼らのなすところ、物騒の傾向なきにあらざりしも、その動機においてはいかにも男性的で、子分の顔を立てるためには自分に不利益なる喧嘩を買ったこともあろう。 自分の命を投げ出したこともあり、強きを挫き弱きを扶くるを主義とし、義を見ればいかなることにも躊躇しなかった。この任侠な勇猛な性質は、勘定高き現今の社会においておおいに珍重すべきものと思う。されとてわが輩は、法律もろくろく備わらなかった社会に発達した風俗を、法治国たる憲法政治のもとにそのままに実行することは、断じて非なりと信ずるゆえに、たとえ当年の男伊達の意気を思慕するとはいえ、こんにちの男一匹は長兵衛そのままを写して可なりとは思わぬ。争議起これば、今日はこれを治むるために相応の法定機関がある。これによりて是非曲直を判断すべく、みだりに腕力を用うることを許さぬ。ゆえにわが輩は外部に表れた男伊達の行為よりも、むしろこの行為を生み出した任侠の心持が欲しいのである。すなわち、 「男は気で食え」「男前よりは気前」 などいうところの男性的気象が欲しいのである。

現代語訳

私は常に男伊達の制度を慕っています。なかでも幡随院長兵衛のようなものは、話に聞いても本で読んでも、まったく自分の意に適う人物として尊敬せざるをえません。任侠が掲げるところには、些細な点でまことに子どもの遊びに似たものも少なくありません。たとえば手拭いはどう持つか、尺八はどう差すか、帯はどう結ぶか、語尾はどう発音するか、といった愚かなことです。しかしその子分として使った者は多くが無学の熊公八公のたぐいでしたから、こういう決まりきった型を設けて、それで統率の便をはかったのも、あるいはやむをえなかったことでしょう。これらの些細な事柄は笑うべきものでしたが、また大体において彼らのやることには物騒な傾向がなくはなかったものの、その動機はいかにも男性的で、子分の顔を立てるためには自分に不利な喧嘩を買ったこともあったでしょう。 自分の命を投げ出したこともあり、強い者をくじき弱い者を助けることを主義とし、義を見ればどんなことにも躊躇しませんでした。この任侠で勇猛な性質は、打算の多い今日の社会において、大いに珍重すべきものだと思います。とはいえ、法律もろくに備わっていなかった社会に発達した風俗を、法治国であり憲法政治のもとにある今日そのまま実行することは、断じて間違いだと信じますから、たとえ当時の男伊達の意気を慕っても、今日の男一匹が長兵衛そのままを写してよいとは思いません。争いが起これば、今日はこれを治めるために相応の法定機関があります。それによって是非曲直を判断すべきで、みだりに腕力を用いることは許されません。ですから私は、外に表れた男伊達の行為よりも、むしろこの行為を生み出した任侠の心持ちが欲しいのです。すなわち、 「男は気で食え」「男前よりは気前」 などという、男性的な気性が欲しいのです。

解説

江戸の侠客、幡随院長兵衛に代表される男伊達を新渡戸は慕います。手拭いの持ち方といった型は子どもじみていても、動機には子分の顔を立て、強きをくじき弱きを助ける義があったと見るからです。ただし法治の世では腕力は許されず、欲しいのは行為ではなく、それを生んだ任侠の心持ち、気前だと述べます。形式を真似るより精神を酌むという読み方は、現代の組織文化にも当てはまります。創業者の逸話や社風を、動作の模倣ではなく何のためにという動機から継ぐ発想に通じます。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

男伊達幡随院長兵衛任侠法治気前精神

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