文昌帝君陰騭文 / 第一段・未だ嘗て民を虐げ吏を酷にせず
帝君曰:「吾一十七世為士大夫身,未嘗虐民酷吏;救人之難,濟人之急,憫人之孤,容人之過。
新字:帝君曰:「吾一十七世為士大夫身,未嘗虐民酷吏;救人之難,済人之急,憫人之孤,容人之過。
書き下し
帝君曰く、「吾れ一十七世士大夫の身と為るも、未だ嘗て民を虐げ吏を酷にせず。人の難を救ひ、人の急を済ひ、人の孤を憫み、人の過ちを容る。
現代語訳
帝君は言われました。「わたしは十七代にわたって士大夫の身に生まれてきましたが、いちどとして民を苦しめ、役人としてむごい仕置きをしたことはありません。人の困難を救い、人の急場を助け、みなしごを哀れみ、人の過ちを許してきました。
解説
文昌帝君が自分の来歴を語るところから、この文は始まります。文昌帝君はもと梓潼の神で、学問と科挙をつかさどる神として宋以後にひろく祀られました。十七世にわたって士大夫であったというのは、生まれ変わりを重ねてきたという意味です。注目すべきは、最初に挙げた徳が善行ではなく、しなかったことだという点でしょう。民を虐げず、役人としてむごくしなかった。権限を持つ立場にあって、それを振るわなかったことを第一に置いています。そのうえで、救う、済う、憫む、容れるの四つが並びます。人の過ちを容れることが、救済と同じ列に入っているのが目を引きます。
この章句が説くこと
文昌寛容権限救済士大夫
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