法句経 / 第二十六 婆羅門の部 三九三・三九四
三九三 婆羅門は結髮に由るに非ず、族に由るに非ず、姓に由るに非ず、若し實と法とを有すれば彼は淨婆羅門なり。 三九四 癡人よ、結髮汝に何かあらん、鹿皮衣汝に何かあらん、汝内に稠林あり(て)外を飾る。
新字:三九三 婆羅門は結髪に由るに非ず、族に由るに非ず、姓に由るに非ず、若し実と法とを有すれば彼は浄婆羅門なり。 三九四 痴人よ、結髪汝に何かあらん、鹿皮衣汝に何かあらん、汝内に稠林あり(て)外を飾る。
書き下し
三九三 婆羅門は結髪に由るに非ず、族に由るに非ず、姓に由るに非ず、若し実と法とを有すれば彼は浄婆羅門なり。 三九四 癡人よ、結髪汝に何かあらん、鹿皮衣汝に何かあらん、汝内に稠林あり(て)外を飾る。
現代語訳
婆羅門であるのは結髪によるのではなく、氏族によるのでもなく、姓によるのでもない。もし真実と法とを持っているなら、その人は浄らかな婆羅門である。愚かな者よ、結髪がおまえに何であろう。鹿皮の衣がおまえに何であろう。おまえは内に密林を抱えていながら、外を飾っている。
解説
最終章「婆羅門の部」は、婆羅門という語を、生まれのカーストから、あるべき人の名へと丸ごと奪い返す章である。四十一偈にわたって「〜な人を、私は婆羅門と呼ぶ」が繰り返される。その原則を述べたのが三九三だ。結髪でも氏族でも姓でもない。真実と法を持っているかどうかだけである。当時の社会構造への正面からの異議申し立てだが、言い方は静かで、定義を置き換えるという形をとる。三九四の「汝内に稠林あり(て)外を飾る」が痛烈である。荻原は「稠林」に「邪見を稠林に喩ふ」、結髪と鹿皮衣に「印度苦行者の」と註を付ける。内側は密林のように邪見が生い茂ったまま、外側だけ苦行者らしく整えている。修行の装いに限った話ではない。肩書、資格、経歴、身なり——外を飾る手段は今のほうが多い。
この章句が説くこと
婆羅門は結髪に由らず真実と法内に稠林あり名と実
関連する章句
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 三九五〜三九七 生まれによらず三九五 糞掃衣を被、羸痩し、筋脈露顕し、独り林中に処して静慮する人を我は婆羅門と謂ふ。 三九六 姓に由り、母の族に由り、我は婆羅門と謂はず、彼は貴族と称すべし、彼は実に富者なり、無所有無取なる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九七 人あり一切の結を断ち、決して憂慼せず、著を去り繋を離れたるを我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 三九八〜四〇〇 紐と帯と縄を断つ三九八 紐と、帯と、縄と其の附属とを断ち、障壁を毀ち、覚悟せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九九 悪を作さざるに、罵詈、打擲、又は繋縛を忍受し、忍力を具し、其力にて能く耐ゆる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇〇 忿なく、禁を守り、戒を持し、欲なく、調御して最後身なる人を我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 三八三〜三八五 勇敢に流れを截れ三八三 勇敢に流を截れ、欲を除け、婆羅門よ、変化の滅尽を知り了りて汝は無作を知る、婆羅門よ。 三八四 婆羅門あり、若し二法の彼岸に達しぬれば此の智者の一切の繋縛は滅尽す。 三八五 彼岸も非彼岸も彼岸非彼岸もなき無畏無繋縛の人を我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 四二二・四二三 円満せる智者四二二 最上勇猛なる牛(王)、大仙、已服者、無欲者、沐浴者、覚悟者を我は婆羅門と謂ふ。 四二三 人あり前世の生存を知り、又神と悪趣とを見、又生の尽を得、神通円満せる智者となり、一切円満せる円満を有する彼を我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 四〇七〜四〇九 針の先から落ちる芥子四〇七 若し人あり貪と瞋と慢と覆を離るゝこと芥子が針端より(落つるが如くなるときは)、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四〇八 麤ならざる教訓する実語を発し、其の語に由りて誰をも怒らさざる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇九 人若し此の世に於て或は短、或は長、麤細、浄不浄(を問はず)、与へられざる物を取らざれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 四一〇〜四一二 福と罪とに執せず四一〇 人若し今世又は後世を希はず、希望なく、束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一一 人若し愛著なく、(諦理を)知つて疑なく、甘露の源底に達すれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一二 人若し此の世に於て福と罪と両ながら執するを息め、憂なく、貪を離れ、清浄なれば彼を我は婆羅門と謂ふ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る