法句経 / 第二十五 比丘の部 三七六〜三七八 萎れた花を振るうように
三七六 施與を常とし、所行に於て善巧に、是に由て悦豫多く、苦を盡す。 三七七 衞師迦が萎める華を振ふが如く是の如く諸の比丘は貪と瞋とを離れよ。 三七八 身寂、語寂、寂にして能く定を得、已に世の財利を吐きたる比丘は寂靜者と謂はる。
新字:三七六 施与を常とし、所行に於て善巧に、是に由て悦予多く、苦を尽す。 三七七 衛師迦が萎める華を振ふが如く是の如く諸の比丘は貪と瞋とを離れよ。 三七八 身寂、語寂、寂にして能く定を得、已に世の財利を吐きたる比丘は寂静者と謂はる。
書き下し
三七六 施与を常とし、所行に於て善巧に、是に由て悦予多く、苦を尽す。 三七七 衛師迦が萎める華を振ふが如く是の如く諸の比丘は貪と瞋とを離れよ。 三七八 身寂、語寂、寂にして能く定を得、已に世の財利を吐きたる比丘は寂静者と謂はる。
現代語訳
施しを常とし、行いにおいて巧みであれ。そうすれば喜びが多く、苦しみを尽くすであろう。ヴァッシカ(ジャスミンの一種)が萎れた花を振り落とすように、そのように比丘たちよ、貪りと瞋りとを離れよ。身が静まり、言葉が静まり、心が静まって、よく定(心の統一)を得、すでに世の財や利を吐き捨てた比丘は、寂静の人と呼ばれる。
解説
三七六偈の「施与」は、荻原の注によれば財施と法施、物を与えることと教えを与えることの両方を指す。与えることが常であり、行いが巧みであれば、喜びが多くなるという順序は、禁欲の章らしからぬ明るさを持つ。三七七偈の比喩が美しい。衛師迦はジャスミンの仲間の花で、萎れた花は枝を揺すればはらりと落ちる。貪りと瞋りも、力ずくで引きちぎるのではなく、萎れた花のように自然に振り落とせという。三七八偈の「吐きたる」も強い言葉で、一度呑み込んだ世の財利を吐き出すさまが描かれる。執着の手放し方を、努力よりも自然な脱落として描く点に味わいがある。変えたい習慣があるとき、引き抜くより枯れるのを待つという構えもありうる。
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