法句経 / 第二十五 比丘の部 三六三・三六四 口を制する比丘
三六三 比丘若し口を制し、説く所賢善にして、寂靜に、義と法とを示さば其言甘美なり。 三六四 比丘あり、法に住し、法を好み、法を隨思し、法を隨念すれば、法を退することなし。
新字:三六三 比丘若し口を制し、説く所賢善にして、寂静に、義と法とを示さば其言甘美なり。 三六四 比丘あり、法に住し、法を好み、法を随思し、法を随念すれば、法を退することなし。
書き下し
三六三 比丘若し口を制し、説く所賢善にして、寂静に、義と法とを示さば其言甘美なり。 三六四 比丘あり、法に住し、法を好み、法を随思し、法を随念すれば、法を退することなし。
現代語訳
比丘(出家した修行者)がもし口を慎み、説くことが賢く善く、心静かに、意味と法(真理の教え)とを示すならば、その言葉は甘美である。比丘があって、法にとどまり、法を好み、法に従って思い、法に従って念じるならば、法から退くことはない。
解説
第二十五章「比丘の部」から。比丘とは托鉢して生きる出家の修行者のことで、この章は修行者のあるべき姿を並べていく。三六三偈は言葉の作法である。まず「口を制し」とあり、語ることより先に語らないことが置かれる。そのうえで説く内容が賢善であり、語り口が寂静であり、義(意味)と法(道理)を示すとき、言葉は「甘美」になるという。甘美とは耳に心地よいことではなく、抑えの利いた言葉だけが持つ味わいだろう。三六四偈は「法」を四度重ねる。住し、好み、随思し、随念する。居場所にし、好きになり、考え、思い出す。この四段が揃えば退かないという。人を動かす言葉は、多弁からではなく、口を制したあとに残るものから生まれるのかもしれない。
関連する章句
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