法句経 / 第二十五 比丘の部 三六七〜三六九 舟を汲み出せ
三六七 あらゆる事物に於て所有の想なく、(其物)滅盡に於て憂惱せざる人こそ眞の比丘と謂はる。 三六八 何時も慈心ありて佛教を信ずる比丘は、變化止息し寂靜安樂なる處に到るべし。 三六九 比丘よ、此の舟を戽め、水出でなば容易に行かん、貪と瞋とを斷たば汝は涅槃に到らん。
新字:三六七 あらゆる事物に於て所有の想なく、(其物)滅尽に於て憂悩せざる人こそ真の比丘と謂はる。 三六八 何時も慈心ありて仏教を信ずる比丘は、変化止息し寂静安楽なる処に到るべし。 三六九 比丘よ、此の舟を戽め、水出でなば容易に行かん、貪と瞋とを断たば汝は涅槃に到らん。
書き下し
三六七 あらゆる事物に於て所有の想なく、(其物)滅尽に於て憂悩せざる人こそ真の比丘と謂はる。 三六八 何時も慈心ありて仏教を信ずる比丘は、変化止息し寂静安楽なる処に到るべし。 三六九 比丘よ、此の舟を戽め、水出でなば容易に行かん、貪と瞋とを断たば汝は涅槃に到らん。
現代語訳
あらゆる事物について「わがもの」という思いがなく、その物が滅び尽きても憂い悩まない人こそ、真の比丘と呼ばれる。常に慈しみの心をもって仏の教えを信じる比丘は、移り変わりが止んだ、静かで安らかな境地に到るであろう。比丘よ、この舟から水を汲み出せ。水が出てしまえば舟はたやすく進むであろう。貪り(むさぼり)と瞋り(いかり)とを断てば、あなたは涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に到るであろう。
解説
三六七偈は比丘の定義を「所有の想」のなさに置く。物を持たないことではなく、「わがもの」と思わないこと、だから失われても憂えないことが要になる。三六九偈の比喩が印象深い。水の入った舟は重く、なかなか進まない。荻原の注は、舟を我性に、水を邪思惟にたとえたものとする。つまり舟そのものを捨てよとは言っていない。自分という舟はそのままに、入り込んだ誤った考えを汲み出せば、舟は軽く走り出す。貪りと瞋りはその水の最たるものである。修行を、何かを積み上げることではなく、余計なものをかい出す作業として描いているのが面白い。組織が重く感じられるとき、足りないものを探すより先に、入り込んだ水を探してみる手もある。
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