法句経 / 第二十五 比丘の部 三六〇〜三六二
三六〇 眼を護るは善し、耳を護るは善し、鼻を護るは善し、舌を護るは善し、 三六一 身を護るは善し、語を護るは善し、意を護るは善し、總てを護るは善し。 三六二 手を制し、足を制し、語を制し、最も善く制し、内を悦び、定に住し、獨處して滿足する人を比丘と謂ふ。
新字:三六〇 眼を護るは善し、耳を護るは善し、鼻を護るは善し、舌を護るは善し、 三六一 身を護るは善し、語を護るは善し、意を護るは善し、総てを護るは善し。 三六二 手を制し、足を制し、語を制し、最も善く制し、内を悦び、定に住し、独処して満足する人を比丘と謂ふ。
書き下し
三六〇 眼を護るは善し、耳を護るは善し、鼻を護るは善し、舌を護るは善し、 三六一 身を護るは善し、語を護るは善し、意を護るは善し、総てを護るは善し。 三六二 手を制し、足を制し、語を制し、最も善く制し、内を悦び、定に住し、独処して満足する人を比丘と謂ふ。
現代語訳
眼を護るのは善い。耳を護るのは善い。鼻を護るのは善い。舌を護るのは善い。身を護るのは善い。語を護るのは善い。意を護るのは善い。すべてを護るのは善い。手を制し、足を制し、語を制し、最もよく制し、内を悦び、定に住し、独り処して満足する人を比丘と言う。
解説
眼・耳・鼻・舌・身・語・意と、感覚と表現の門を一つずつ挙げ、最後に「總てを護るは善し」で束ねる。単調な繰り返しに見えるが、これは実践の指示である。全部まとめて護る、という漠然とした決意ではなく、いま自分がどの門から入られているかを一つずつ確かめる作業になっている。目から入るのか、耳から入るのか、口から出ていくのか。三六二の「内を悦び」に荻原は「修定を樂ぶを云ふ」と註を付ける。外を閉じるだけでは足りず、内側に楽しみがあって初めて閉じていられる、という順序である。楽しみのないまま門を閉じれば、ただの我慢になって続かない。「獨處して滿足する」——独りでいて満ち足りている、が結論に置かれている。
この章句が説くこと
六根を護る身語意内を悦ぶ独処して満足す