酔古堂剣掃 / 集韻・人語れば亦た語る
人語亦語,詆其昧於鉗口;人默亦默,訾其短於雌黃。
新字:人語亦語,詆其昧於鉗口;人黙亦黙,訾其短於雌黄。
書き下し
人語れば亦た語れば、其の口を鉗むに昧きを詆り、人默せば亦た默せば、其の雌黃に短きを訾る。
現代語訳
人が話すのに合わせて自分も話せば、口をつぐむことを知らないと非難され、人が黙るのに合わせて自分も黙れば、物事を論評する力が足りないとそしられます。
解説
何をしても人は悪く言うものだ、という世の常を突いた対句です。鉗口は口に枷をはめる、つまり口をつぐむことです。雌黄は、昔、書き誤りを塗り消すのに使った黄色い顔料で、転じて文章を添削したり、物事を論評したりすることを言います。人に合わせて話せば口が軽いと言われ、黙れば見識がないと言われるのです。周囲の評価をすべて満たすことはできないという、醒めた観察がここにあります。だからこそ、人の評判に振り回されず、話すべきときに話し、黙るべきときに黙るという自分の基準を持つことが大切になります。批判を恐れて自分を見失わないようにしたいものです。

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処世言葉沈黙評判自立
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