碧巌録 / 第八十二則
雪竇又怕人作道理。却云。堪笑路逢達道人。不將語默對。此事且不是見聞覺知。亦非思量分別。所以云。的的無兼帶。獨運何依賴。路逢達道人。不將語默對。此是香巖頌雪竇引用也。不見僧問趙州。不將語默對。未審將什麼對。州云。呈漆器。這箇便同適來話。不落爾情塵意想。一似什麼。手把白玉鞭驪珠盡擊碎。是故祖令當行十方坐斷。此是劍刃上事。須是有恁麼作略。若不恁麼。總辜負從上諸聖。到這裏要無些子事。自有好處。便是向上人行履處也。既不擊碎。必增瑕纇。便見漏逗。畢竟是作麼生得是。國有憲章三千條罪。五刑之屬三千。莫大於不孝。憲是法章是條。三千條罪。一時犯了也。何故如此。只為不以本分事接人。若是大龍必不恁麼也。
新字:雪竇又怕人作道理。却云。堪笑路逢達道人。不将語黙対。此事且不是見聞覚知。亦非思量分別。所以云。的的無兼帯。独運何依頼。路逢達道人。不将語黙対。此是香巖頌雪竇引用也。不見僧問趙州。不将語黙対。未審将什麼対。州云。呈漆器。這箇便同適来話。不落爾情塵意想。一似什麼。手把白玉鞭驪珠尽撃砕。是故祖令当行十方坐断。此是剣刃上事。須是有恁麼作略。若不恁麼。総辜負従上諸聖。到這裏要無些子事。自有好処。便是向上人行履処也。既不撃砕。必增瑕纇。便見漏逗。畢竟是作麼生得是。国有憲章三千条罪。五刑之属三千。莫大於不孝。憲是法章是条。三千条罪。一時犯了也。何故如此。只為不以本分事接人。若是大竜必不恁麼也。
書き下し
雪竇又た人の道理を作さんことを怕れて、却つて云く、「笑ふに堪へたり、路に達道の人に逢ひて、語黙を将て対へず」と。此の事且く是れ見聞覚知にあらず、亦た思量分別に非ず。所以に云く、「的的として兼帯無く、独運何ぞ依頼せん。路に達道の人に逢はば、語黙を将て対へず」と。此れは是れ香巌の頌、雪竇引用するなり。見ずや、僧、趙州に問ふ、「語黙を将て対へずんば、未審、什麼を将てか対へん」。州云く、「漆器を呈す」。這箇便ち適来の話に同じ、爾が情塵意想に落ちず。一に什麼にか似たる。手に白玉の鞭を把つて、驪珠尽く撃砕す。是の故に祖令当に行じ、十方坐断すべし。此れは是れ剣刃上の事なり。須らく是れ恁麼の作略有るべし。若し恁麼ならずんば、総て従上の諸聖に辜負す。這裏に到つては些子の事も無からんことを要す、自ら好処有り、便ち是れ向上の人の行履の処なり。既に撃砕せずんば、必ず瑕纇を増し、便ち漏逗を見る。畢竟是れ作麼生ならば是なることを得ん。国に憲章有り、三千条の罪。五刑の属三千、不孝より大なるは莫し。憲は是れ法、章は是れ条なり。三千条の罪、一時に犯し了れり。何が故ぞ此の如くなる。只だ本分の事を以て人に接せざるが為なり。若し是れ大龍ならば、必ず恁麼ならざらん。
現代語訳
雪竇はまた人が理屈をこねるのを恐れて、こう言った。「笑うべきことよ、道で道に達した人に出会ったら、言葉でも沈黙でも応じないとは」。この事は見聞きし感じ知ることではなく、思い量り分別することでもない。だから「はっきりとして他を交えず、ひとりはたらいて何に頼ろう。道で道に達した人に出会ったら、言葉でも沈黙でも応じない」と言う。これは香巌の頌で、雪竇がそれを引用したのである。知らないか、僧が趙州に「言葉でも沈黙でも応じないなら、いったい何で応じるのですか」と問うと、趙州は「漆器を差し出す」と言った。これは先の話と同じで、君たちの感情や思惑に落ちない。それは何に似ているか。手に白玉の鞭を握って、驪竜の珠をことごとく打ち砕くのに似ている。だから祖師の令をまさに行い、十方をどっかと坐して断ち切るのである。これは剣の刃の上の事だ。このような手立てがなければならない。そうでなければ、昔からの聖者たちにすっかり背くことになる。ここに至っては、わずかの事もないことが肝要であり、そこにおのずと良いところがある。それこそ向上の人の歩む処である。打ち砕かなければ、必ず傷を増やし、ほころびが見える。結局どうすれば正しいのか。国には法がある、三千条の罪。五刑に属するものは三千、そのうち不孝より大きなものはない。憲は法、章は条である。三千条の罪を一度に犯してしまったのだ。なぜそうなるのか。ただ本分の事で人に接しないからである。大龍であれば、決してそうはしないだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第六十五則此の事若し言句上に在らば、三乗十二分教、豈に是れ言句無からんや。或いは無言便ち是なりと道はば、又何ぞ祖師西来を消ひて什麼をか作さん。只だ従上来の許多の公案の如き、畢竟如何にか其の下落を見ん。這の一則の公案、話会する者少なからず。有る底は喚んで良久と作し、有る底は喚んで拠坐と作し、有る底は喚んで黙然不対と作す。且喜すらくは没交渉なることを。幾曾か摸索し得著し来たらん。此の事其の実、言句上に在らず、亦言句の中を離れず。若し稍擬議有らば、則ち千里万里去らん。看よ他の外道省悟して後、方に知る、亦此に在らず、亦彼に在らず、亦是に在らず、亦不是に在らざることを。且く道へ是れ箇の什麼ぞ。天衣懐和尚頌して云く、「維摩は黙せず良久せず、拠坐して商量すれば過咎と成る。吹毛の匣裏冷光寒く、外道天魔皆拱手す」と。百丈常和尚、法眼に参ず。眼、此の話を看せしむ。法眼一日問ふ、「爾什麼の因縁をか看る」。常云く、「外道問仏の話」。眼云く、「爾試みに挙し看よ」。常、口を開かんと擬す。眼云く、「住めよ住めよ、爾良久の処に向かつて会せんと擬するや」。常、言下に於いて忽然として大悟す。後に示衆して云く、「百丈に三訣有り、喫茶、珍重、歇。擬議して更に思量せば、知る君が猶ほ未だ徹せざることを」と。
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『呻吟語』内篇・談道・言ふ無きは即ち隱す無し「予言ふこと無からんと欲す」とは、雅言に非ず、言の顯はす能はざる所の者なり。「吾隱す無きのみ」とは、文辭に非ず、性と天道なり。說かんとすれば便ち說き來たらず、藏さんとすれば也た藏し得ず。然らば則ち言ふ無きは即ち隱す無きなり。學者の自ら悟るに在るのみ。天地何ぞ嘗て言はん、何ぞ嘗て隱さん。是を以て知る、言もて傳ふ可からざる者は、皆な日用事物に流行する者なることを。
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