呻吟語 / 内篇・修身・言の上乘
到當說處,一句便有千鈞之力,卻又不激不疏,此是言之上乘。除此雖十緘也不妨。
新字:到当説処,一句便有千鈞之力,却又不激不疏,此是言之上乗。除此雖十緘也不妨。
書き下し
當に說くべき處に到りて、一句便ち千鈞の力有り。卻って又た激せず疏ならず。此れは是れ言の上乘なり。此を除きては十たび緘するも亦た妨げず。
現代語訳
言うべき所に来て、一句がそのまま千鈞の重みを持つ。それでいて激しすぎず、粗くもない。これが言葉の最上です。これ以外は、十重に口を閉ざしていても構いません。
解説
良い言葉の条件を三つ重ねます。言うべき場面であること、一句で重いこと、そして激しくも粗くもないこと。三つ揃って初めて上乗です。そのうえで、それ以外はすべて黙っていてよいと言い切ります。話す量を減らせという助言は多くありますが、残すべき一句の質をここまで具体的に示したものは多くありません。量を減らすのではなく、一句の重さを上げよという助言です。
この章句が説くこと
言葉沈黙重み加減上乗
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