碧巌録 / 第六則
師開堂說法。有鞠常侍致問。靈樹果子熟也未。門云。什麼年中。得信道生。復引劉王昔為賣香客等因緣。劉王後諡靈樹。為知聖禪師。靈樹生生不失通。雲門凡三生為王。所以失通。一日劉王詔師入內過夏。共數人尊宿。皆受內人問訊說法。唯師一人不言。亦無人親近。有一直殿使。書一偈。貼在碧玉殿上云。大智修行。始是禪。禪門宜默不宜喧。萬般巧說爭如實。輸却雲門總不言。
新字:師開堂説法。有鞠常侍致問。霊樹果子熟也未。門云。什麼年中。得信道生。復引劉王昔為売香客等因縁。劉王後諡霊樹。為知聖禅師。霊樹生生不失通。雲門凡三生為王。所以失通。一日劉王詔師入内過夏。共数人尊宿。皆受内人問訊説法。唯師一人不言。亦無人親近。有一直殿使。書一偈。貼在碧玉殿上云。大智修行。始是禅。禅門宜黙不宜喧。万般巧説争如実。輸却雲門総不言。
書き下し
師開堂説法するに、鞠常侍有り、問を致す、「霊樹の果子熟せりや也た未だしや」。門云く、「什麼の年中にか信を得て道ふ、生なりと」。復た劉王昔賣香の客為りし等の因縁を引く。劉王後に霊樹に諡して知聖禅師と為す。霊樹は生生通を失はず、雲門は凡そ三生王と為る、所以に通を失す。一日劉王詔して師を内に入れて過夏せしむ。共に数人の尊宿、皆内人の問訊を受けて説法す。唯だ師一人のみ言はず、亦た人の親近する無し。一直殿使有り、一偈を書して碧玉殿上に貼して云く、「大智修行始めて是れ禅、禅門は黙に宜しく喧に宜しからず。万般の巧説争でか実に如かん、輸却す雲門の総て言はざるに」。
現代語訳
雲門が開堂説法したとき、鞠常侍という者が問いかけた。「霊樹の果実はもう熟しましたか、まだですか」。雲門は言った。「いったい何年にそれが青いという便りを得たというのか」。さらに劉王が昔、香を売る商人であったなどの因縁を引いた。劉王は後に霊樹に諡を贈って知聖禅師とした。霊樹は生まれ変わっても神通を失わなかったが、雲門はおよそ三度の生で王となったので、神通を失ったのだという。ある日、劉王は詔して雲門を宮中に招き、夏安居を過ごさせた。数人の高僧とともに、皆が宮中の人々から問いかけを受けて説法した。ただ雲門一人だけが何も言わず、親しく近づく者もいなかった。一人の宿直の役人が偈を書いて碧玉殿に貼り出した。「大いなる智慧で修行してこそ禅である。禅門には沈黙がふさわしく、騒がしさはふさわしくない。どれほど巧みに説いても、どうして真実に及ぼうか。すべて負けてしまう、何も言わない雲門には」。
解説
この章句が説くこと
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