導師導古典を学びたいすべての人に

法句経 / 第二十四 愛欲の部 三三四〜三三六 荷葉の水滴

三三四 放逸なる人の愛欲は摩魯婆の如く滋茂す、彼は有より有に漂ふ、林中に果を求むる猴の如し。 三三五 世に於て猛利なる愛欲に伏せらるゝ人は諸の憂患盛に増長す、茂れる毘羅拏草の如し。 三三六 人あり世に於て此の猛利にして脱れ難き愛欲を能く伏すれば憂患彼を去る、水の滴りが荷葉より(落るが)如し。

書き下し

三三四 放逸なる人の愛欲は摩魯婆の如く滋茂す、彼は有より有に漂ふ、林中に果を求むる猴の如し。 三三五 世に於て猛利なる愛欲に伏せらるゝ人は諸の憂患盛に増長す、茂れる毘羅拏草の如し。 三三六 人あり世に於て此の猛利にして脱れ難き愛欲を能く伏すれば憂患彼を去る、水の滴りが荷葉より(落るが)如し。

現代語訳

怠りに流れる人の愛欲は、摩魯婆(マールヴァー、蔓草)のようにはびこる。彼は生存から生存へと漂う、林の中で果実を求めて枝から枝へ渡る猿のように。この世で激しい愛欲に打ち負かされた人は、もろもろの憂いがさかんに増えていく、よく茂ったビーラナ草のように。この世でこの激しく逃れ難い愛欲をよく打ち負かす人があれば、憂いはその人から去っていく、水の滴が蓮の葉から落ちるように。

解説

第二十四章「愛欲の部」の冒頭である。愛欲と訳された語はパーリ語でタンハー、渇愛とも訳され、喉の渇きのように満たされることのない欲求をいう。三つの植物の比喩が並ぶ。マールヴァーは樹に絡みついて覆い尽くす蔓草で、放逸な人の愛欲はそのようにはびこる。果実を求めて枝から枝へ渡る猿のように、人は有、つまり変化してやまない生存から生存へと漂う。愛欲に負けた人の憂いは、雨の後のビーラナ草のように茂る。そして愛欲を伏した人からは、憂いが蓮の葉の水滴のように転がり落ちる。蓮の葉は水をはじき、濡れることがない。憂いがないのではなく、憂いが留まらないのである。次から次へと欲しいものを追いかける焦りに覚えがある人にとって、はびこる蔓と転がる水滴の対比は、自分の状態を映す鏡になる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る