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法句経 / 第二十四 愛欲の部 三四一〜三四三 罝に係れる兎

三四一 人の喜悦は流漫して且つ愛著せらる、斯かる人は歡に耽り、樂を求め、生と老と(病と死と)を受く。 三四二 渇愛に驅使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、結と著とに縛せられて數しば長時の苦を受く。 三四三 渇愛に驅使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、故に比丘は己の離染を求めて渇愛を除遣せよ。

新字:三四一 人の喜悦は流漫して且つ愛著せらる、斯かる人は歓に耽り、楽を求め、生と老と(病と死と)を受く。 三四二 渇愛に駆使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、結と著とに縛せられて数しば長時の苦を受く。 三四三 渇愛に駆使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、故に比丘は己の離染を求めて渇愛を除遣せよ。

書き下し

三四一 人の喜悦は流漫して且つ愛著せらる、斯かる人は歓に耽り、楽を求め、生と老と(病と死と)を受く。 三四二 渇愛に駆使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、結と著とに縛せられて数しば長時の苦を受く。 三四三 渇愛に駆使せらるゝ人は兎の罝に係つて走るが如し、故に比丘は己の離染を求めて渇愛を除遣せよ。

現代語訳

人の喜びは流れ広がり、また執着を生む。このような人は歓楽にふけり、楽しみを求めて、生まれ、老い、(病み、死ぬことを)受ける。渇愛に駆り立てられる人は、罠にかかった兎が走り回るようなものである。束縛と執着に縛られて、何度も長い間苦しみを受ける。渇愛に駆り立てられる人は、罠にかかった兎が走り回るようなものである。だから比丘(出家修行者)は、自分が執着を離れることを求めて、渇愛を取り除け。

解説

愛欲の部の中ほどの三偈である。三四一は、喜びが流れ広がり、それが執着に変わるさまを描く。喜ぶこと自体ではなく、喜びが溢れて何かに貼りつくところに問題がある。そうして歓楽を追う人は、生と老と病と死の繰り返しを受け続ける、と古代インドの輪廻観の言葉で語られる。続く二偈は同じ比喩で始まる。渇愛に駆られる人は、罠にかかった兎のようだという。罠の中で兎は走り回るが、走るほど縄は締まり、どこへも行けない。忙しく動いていることと前へ進んでいることは別なのだ。三四二はその苦しみの長さを、三四三はそこから抜ける道を示し、比喩を共有しながら結論を変える作りになっている。追われるように働いているとき、それが前進なのか、罠の中で走っているのかを一度立ち止まって見る価値はある。

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