法句経 / 第二十 道の部 二八九 疾く道を浄めよ
二八九 此の義理を解りて、智者は、戒を護り、疾く涅槃に到る道を淨めよ。
新字:二八九 此の義理を解りて、智者は、戒を護り、疾く涅槃に到る道を浄めよ。
書き下し
二八九 此の義理を解りて、智者は、戒を護り、疾く涅槃に到る道を浄めよ。
現代語訳
この道理をよく理解して、智者は戒を守り、すみやかに涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に到る道を清めよ。
解説
死の到来を描いた前の三偈を受けて、結論を示す一偈である。「此の義理」とは、死は予告なく訪れ、そのとき子も父も友も救えないという道理を指す。だから智者は戒を守り、疾く涅槃に到る道を浄めよという。ここでの「疾く」が要である。死が眠れる村を襲う洪水のように来るなら、道を整える時間は限られている。先延ばしにする余裕はないという切迫感が、この一語に込められている。「道を浄める」という言い方も印象的だ。道は新しく造るものというより、すでにあるものを整え、障りを取り除いて通れるようにするものとして描かれる。戒を守ることは、その道の掃除にあたるのだろう。死の自覚が、ここでは修行の動機として置かれている。いつかやろうと思っていることは、いつまでできるか分からない。優先順位を見直す一つのきっかけになる。
関連する章句
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