孫子 / 九地篇
四五者,不知一,非霸王之兵也。夫霸王之兵,伐大國,則其衆不得聚;威加於敵,則其交不得合。是故不爭天下之交,不養天下之權,信己之私,威加於敵,則其城可拔,其國可隳。
新字:四五者,不知一,非覇王之兵也。夫覇王之兵,伐大国,則其衆不得聚;威加於敵,則其交不得合。是故不争天下之交,不養天下之権,信己之私,威加於敵,則其城可抜,其国可隳。
書き下し
四五なる者、一を知らざれば、霸王の兵に非ざるなり。夫れ霸王の兵は、大国を伐てば、則ち其の衆聚まるを得ず。威を敵に加うれば、則ち其の交合するを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わず、己の私を信じ、威を敵に加う。則ち其の城抜くべく、其の国隳るべし。
現代語訳
これらのうち一つでも知らなければ、覇王の軍とは言えない。覇王の軍が大国を討てば、その国は兵を集めることができない。威を敵に加えれば、敵は同盟を結べない。だから天下の外交を争わず、天下の権勢を養わず、自らの力を信じて威を加える。そうすれば敵の城は落ち、敵の国は崩れる。
解説
圧倒的な立場をどう作るかを述べた一段である。要点は、相手が集まることも結ぶこともできなくする、という一点にある。戦って倒すのではなく、まとまれなくする。後半の「天下の交を争わず、天下の権を養わず」は、他勢力との駆け引きに時間を使わず、自らの実力で押すという意味に読める。あれこれ連携を模索するより、単独で圧倒的になったほうが結果的に周囲は動かせる、という考え方である。提携が目的化しがちな場面で、立ち止まって読みたい一句だろう。
この章句が説くこと
覇王之兵圧倒同盟自力威
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