甲陽軍鑑 / 品第四十
其人五ケ國·十ヶ國もつ大將と無事にして、互にすけあふ共、小身成方を旗下と云ふて被官とはいはず候間、縱へ人の旗下にてもそれは當座の政ごと成故、我手抦にて一郡もちても、それをば弓矢取と申ても大事なしもし又、文をたしなまば文·武二道とほめ候はん、
新字:其人五ケ国·十ヶ国もつ大将と無事にして、互にすけあふ共、小身成方を旗下と云ふて被官とはいはず候間、縦へ人の旗下にてもそれは当座の政ごと成故、我手抦にて一郡もちても、それをば弓矢取と申ても大事なしもし又、文をたしなまば文·武二道とほめ候はん、
書き下し
其人五ケ国·十ヶ国もつ大将と無事にして、互にすけあふ共、小身成方を旗下と云ふて被官とはいはず候間、縦へ人の旗下にてもそれは当座の政ごと成故、我手抦にて一郡もちても、それをば弓矢取と申ても大事なしもし又、文をたしなまば文·武二道とほめ候はん、
現代語訳
その人が五か国・十か国を持つ大将と無事にして、互いに助け合っても、小身である方を旗下と言って被官とは言わないので、たとえ人の旗下であっても、それは当座の政ごとであるから、我が手柄で一郡を持っても、それを弓矢取と申しても差し支えない。もしまた文を嗜むならば、文武二道と褒め候おう。
解説
大きな相手の傘下に入ることを、被官つまり家臣になることと区別する。旗下は当座の政ごとであって身分ではない、という言い切りで、自分の手柄で一郡持っていれば傘下にいても弓矢取と呼んでよいとされる。旗下は当座の政ごとであって身分ではない、という言い切りが要点である。自分の手柄で一郡持っていれば、傘下にいても弓矢取と呼んでよい。
この章句が説くこと
旗下被官当座弓矢取自力文武
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