法句経 / 第十八 塵垢の部 二五四・二五五 虚空に跡なし
二五四 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、愚夫は戲論を樂ふ、如來に戲論なし。 二五五 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、有爲に常住なく、佛陀に動亂なし。
新字:二五四 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、愚夫は戯論を楽ふ、如来に戯論なし。 二五五 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、有為に常住なく、仏陀に動乱なし。
書き下し
二五四 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、愚夫は戯論を楽ふ、如来に戯論なし。 二五五 虚空に(鳥の)跡なく、外道に沙門なく、有為に常住なく、仏陀に動乱なし。
現代語訳
虚空には鳥の飛んだ跡がなく、仏の教えの外には沙門(真の修行者)はいない。愚かな者は戯論(実りのない議論)を楽しむが、如来(真理に到達した者)には戯論がない。虚空には鳥の飛んだ跡がなく、仏の教えの外には沙門はいない。有為(条件によって作られたもの)に常住のものはなく、仏陀には心の動揺がない。
解説
「塵垢の部」を締めくくる二偈で、同じ二句で始まり、後半だけを入れ替える対の作りになっている。「虚空に跡なく」は、鳥が飛び去った空に何も残らない情景で、執着の痕跡を残さない境地を暗示するとも読まれる。「外道に沙門なく」は、仏の教えの外に真の修行者はいないという、当時の諸派に向けた宣言で、古代インドの思想が競い合った空気を伝える言葉である。前の偈は戯論、つまり実りのない言葉遊びや空論を対比し、後の偈は有為、荻原の注にいう「総ての集合体」の無常を対比する。愚者は議論にふけり、作られたものは移ろう。そのなかで如来と仏陀だけが静かである。跡を残さない空と、揺れない心とが重ねられている。議論のための議論にどれだけ時間を使っているかを振り返る材料になる。
関連する章句
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『法句経』第七 阿羅漢の部 九〇〜九二 虚空の鳥の跡九〇 経べき途を已に過ぎ、憂を除き、一切に於て解脱し、一切の縛を断てる人には苦悩あることなし。 九一 彼等は精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住処を棄つ。 九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。
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