法句経 / 第十 刀杖の部 一三三・一三四
一三三 決して麤語すべからず、語られたる者は亦汝に(斯く)答へなん、怒れる語は苦なり、治罰反つて汝に來らん。 一三四 毀れたる磬の(音を發することなきが)如く己を發動すること無ければ、汝はこれ已に涅槃を得たるなり、汝に諍訟あることなし。
新字:一三三 決して麤語すべからず、語られたる者は亦汝に(斯く)答へなん、怒れる語は苦なり、治罰反つて汝に来らん。 一三四 毀れたる磬の(音を発することなきが)如く己を発動すること無ければ、汝はこれ已に涅槃を得たるなり、汝に諍訟あることなし。
書き下し
一三三 決して麤語すべからず、語られたる者は亦汝に(斯く)答へなん、怒れる語は苦なり、治罰反つて汝に来らん。 一三四 毀れたる磬の(音を発することなきが)如く己を発動すること無ければ、汝はこれ已に涅槃を得たるなり、汝に諍訟あることなし。
現代語訳
決して荒々しい言葉を口にしてはならない。言われた者はまたおまえに同じように返すだろう。怒りの言葉は苦しみである。仕返しが逆におまえに来るだろう。壊れた磬が音を発しないように、自分を発動させることがなければ、おまえはすでに涅槃を得たのである。おまえに争いはない。
解説
一三三は素朴な因果である。荒い言葉を投げれば、同じものが返る。だから言うな。ここまでは処世の知恵だが、一三四で一段跳ぶ。「毀れたる磬」——ひび割れた鐘は、叩かれても鳴らない。叩かれても鳴らないなら、争いは起こらない。しかも「汝はこれ已に涅槃を得たるなり」と、それを涅槃と呼んでいる。壊れた鐘という喩えが強烈である。ふつう、壊れているのは悪いことだ。ところがここでは、反応する機能が失われていることが完成として語られる。言い返さないのは我慢しているのではなく、鳴る仕掛けが無いからだ、という状態を指している。我慢は必ず限界が来るが、鳴らない鐘には限界がない。
この章句が説くこと
麤語すべからず毀れたる磬涅槃反応しない因果応報
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