法句経 / 第十五 安楽の部 一九七〜一九九 怨ある中に怨なく住す
一九七 怨の中に處て慍らず、極めて樂しく生を過さん、怨ある人の中に處て怨なく住せん。 一九八 痛の中に處て痛まず、極めて樂しく生を過さん、痛める人の中に處て痛なく住せん。 一九九 貪の中に處て貪らず、極めて樂しく生を過さん、貪る人の中に處て貪らずして住せん。
新字:一九七 怨の中に処て慍らず、極めて楽しく生を過さん、怨ある人の中に処て怨なく住せん。 一九八 痛の中に処て痛まず、極めて楽しく生を過さん、痛める人の中に処て痛なく住せん。 一九九 貪の中に処て貪らず、極めて楽しく生を過さん、貪る人の中に処て貪らずして住せん。
書き下し
一九七 怨の中に処て慍らず、極めて楽しく生を過さん、怨ある人の中に処て怨なく住せん。 一九八 痛の中に処て痛まず、極めて楽しく生を過さん、痛める人の中に処て痛なく住せん。 一九九 貪の中に処て貪らず、極めて楽しく生を過さん、貪る人の中に処て貪らずして住せん。
現代語訳
怨みの中にあっても怒らず、きわめて楽しく生きていこう。怨みを抱く人々の中にあって、怨みなく住もう。病の中にあっても病まず、きわめて楽しく生きていこう。病める人々の中にあって、病むことなく住もう。貪りの中にあっても貪らず、きわめて楽しく生きていこう。貪る人々の中にあって、貪らずに住もう。
解説
第十五章「安楽の部」の冒頭の三偈で、同じ形を三度繰り返す。怨み、痛み、貪りという三つの状況の中に身を置きながら、それに染まらずに楽しく生きる、という決意の言葉である。伝承では、親族の争いを鎮めた釈尊が説いたともされる。「痛」はパーリ語で病を指し、ここでは煩悩の病と解される。大事なのは、どの偈も怨みや病や貪りのない場所へ逃れるとは言っていないことだ。「怨の中に処て」「怨ある人の中に処て」と、周りはそのままである。環境を変えるのではなく、その中での自分のあり方を変える。しかも「極めて楽しく」と言う。耐え忍ぶのではなく、楽しく過ごすのである。周囲の怒りや欲に巻き込まれないことが、そのまま楽になっている。ぎすぎすした職場の中で、自分まで同じ空気に染まる必要はない、という読み方もできる。
関連する章句
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