法句経 / 第十五 安楽の部 二〇〇 喜びを食とする
二〇〇 少物をも所有せず、極めて樂しく生を過さん、喜を以て食とせん、極光淨天の如く。
新字:二〇〇 少物をも所有せず、極めて楽しく生を過さん、喜を以て食とせん、極光浄天の如く。
書き下し
二〇〇 少物をも所有せず、極めて楽しく生を過さん、喜を以て食とせん、極光浄天の如く。
現代語訳
わずかな物さえ所有せず、きわめて楽しく生きていこう。喜びを食物としよう。光音天(極光浄天)の神々のように。
解説
「安楽の部」の一偈で、伝承では托鉢に出て何も得られずに戻った釈尊が、魔に向かって説いたとされる。鉢は空だが、それでも楽しく生きると言う。「少物をも所有せず」は無一物の境地で、何も持たないことが楽の条件になっている。「喜を以て食とせん」という句が印象深い。荻原の注によれば極光浄天は天国に住む神々の一類で、パーリ語ではアーバッサラ、光り輝く神々である。彼らは物を食べず、喜びを糧として生きるとされた。古代インドの世界観の中の存在だが、比喩としてよく効いている。空腹を満たすのは食物だけではない、と言っているのである。持ち物を減らすことが欠乏ではなく軽さになるという感覚は、所有を重ねがちな現代にも響く。何を糧にして働いているかを、ふと問い直させる一句である。
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