法句経 / 第十 刀杖の部 一三五〜一三七 老と死は寿を逐う
一三五 牧人が杖にて牛を牧場に逐ふが如く、是の如く老と死とは生物の壽を逐ふ。 一三六 されど凡愚は惡業を造りて覺らず、闇鈍にして自業に因つて苦しむ、猶ほ火に燒かれたるが如し。 一三七 人若し刀杖もて無罪無害の者を侵害すれば、速に(下の如き)十事の隨一に遇はん。
新字:一三五 牧人が杖にて牛を牧場に逐ふが如く、是の如く老と死とは生物の寿を逐ふ。 一三六 されど凡愚は悪業を造りて覚らず、闇鈍にして自業に因つて苦しむ、猶ほ火に焼かれたるが如し。 一三七 人若し刀杖もて無罪無害の者を侵害すれば、速に(下の如き)十事の随一に遇はん。
書き下し
一三五 牧人が杖にて牛を牧場に逐ふが如く、是の如く老と死とは生物の寿を逐ふ。 一三六 されど凡愚は悪業を造りて覚らず、闇鈍にして自業に因つて苦しむ、猶ほ火に焼かれたるが如し。 一三七 人若し刀杖もて無罪無害の者を侵害すれば、速に(下の如き)十事の随一に遇はん。
現代語訳
牧人が杖で牛を牧場へ追い立てるように、そのように老いと死とは生き物の寿命を追い立てる。けれども愚かな者は悪い行いをしながらそれと気づかず、暗く鈍いまま、自分の行いによって苦しむ。ちょうど火に焼かれた者のように。もし人が刀や杖で罪のない、害をなさない者を傷つけるならば、すみやかに(次に挙げる)十の事のうちの一つに遭うであろう。
解説
一三五偈の比喩が鮮やかである。牛飼いが杖で牛を牧場へ追い立てるように、老いと死が生き物の寿命を追い立てる。牛は自分がどこへ追われているか知らず、ただ杖に押されて歩く。刀杖の部で、ここでは杖を振るうのが老と死の側に回っている。人は他者に杖を振るいながら、自分もまた老と死の杖に追われているのである。一三六偈は、そのことに気づかない凡愚が悪業を重ね、自分の業によって火に焼かれるように苦しむと述べる。熱いと気づいたときにはもう焼けている、という喩えだろう。一三七偈は次の三偈へとつながる導入で、罪のない者を傷つけた者は十の災いのいずれかに遭うと予告する。残された時間が限られているという自覚は、何に力を使い何に使わないかを選ぶ基準になる。
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