法句経 / 第七 阿羅漢の部 九七〜九九 阿羅漢の住む処
九七 (餘の)信を離れ、無作を證し、(續生の)結を斷ち、誘惑を斥ぞけ、希望を棄てたる人こそ眞の最上士なれ。 九八 村落に於ても、將た林中に於ても、平野に於ても、高原に於ても、阿羅漢の住する處は樂しからざるなし。 九九 林は愛樂すべし、これ俗人の好まざる所、離欲の人は此を樂しむ、彼等は愛欲を求めざるが故なり。
新字:九七 (余の)信を離れ、無作を証し、(続生の)結を断ち、誘惑を斥ぞけ、希望を棄てたる人こそ真の最上士なれ。 九八 村落に於ても、将た林中に於ても、平野に於ても、高原に於ても、阿羅漢の住する処は楽しからざるなし。 九九 林は愛楽すべし、これ俗人の好まざる所、離欲の人は此を楽しむ、彼等は愛欲を求めざるが故なり。
書き下し
九七 (余の)信を離れ、無作を証し、(続生の)結を断ち、誘惑を斥ぞけ、希望を棄てたる人こそ真の最上士なれ。 九八 村落に於ても、将た林中に於ても、平野に於ても、高原に於ても、阿羅漢の住する処は楽しからざるなし。 九九 林は愛楽すべし、これ俗人の好まざる所、離欲の人は此を楽しむ、彼等は愛欲を求めざるが故なり。
現代語訳
(他人からの受け売りの)信を離れ、無作(涅槃)を自ら証し、(生まれ変わりを続けさせる)結び目を断ち、誘惑を退け、望みを捨てた人こそ、真の最上の人である。村里においても、林の中においても、平野においても、高原においても、阿羅漢の住むところは楽しくないところがない。林は愛し楽しむべきところである。そこは世俗の人の好まないところだが、欲を離れた人はここを楽しむ。彼らは愛欲を求めないからである。
解説
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