法句経 / 第八 千の部 一〇〇〜一〇二
一〇〇 無益の句より成る一千言よりも、聞きて安穩を得る一の益ある句を勝れたりとす。 一〇一 無益の句より成る一千偈よりも、聞きて安穩を得る一の偈文を優れたりとす。 一〇二 無益の句より成る百偈を誦むも、聞きて安穩を得る一法句を(誦むに)如かず。
新字:一〇〇 無益の句より成る一千言よりも、聞きて安穏を得る一の益ある句を勝れたりとす。 一〇一 無益の句より成る一千偈よりも、聞きて安穏を得る一の偈文を優れたりとす。 一〇二 無益の句より成る百偈を誦むも、聞きて安穏を得る一法句を(誦むに)如かず。
書き下し
一〇〇 無益の句より成る一千言よりも、聞きて安穏を得る一の益ある句を勝れたりとす。 一〇一 無益の句より成る一千偈よりも、聞きて安穏を得る一の偈文を優れたりとす。 一〇二 無益の句より成る百偈を誦むも、聞きて安穏を得る一法句を(誦むに)如かず。
現代語訳
無益な句から成る千の言葉よりも、聞いて安らぎを得られる一つの有益な句のほうが優れている。無益な句から成る千の偈よりも、聞いて安らぎを得られる一つの偈文のほうが優れている。無益な句から成る百の偈を誦むよりも、聞いて安らぎを得られる一つの法句を誦むほうがまさる。
解説
第八章「千の部」の冒頭で、量と質を三度繰り返して対比する。千の言葉より一句、千の偈より一偈、百偈を誦むより一句を誦む。同じことを三度言うのは、それだけ量に流れやすいからだろう。ここで基準になっているのは「聞きて安穩を得る」——聞いて安らぎに至るかどうか、という一点である。難しいかどうかでも、正しいかどうかでもない。効くかどうかで測る。書名『法句経』の「法句」がこの一句に出ていることにも注意したい。無数の言葉の中から、効く一句を拾い出して並べたのがこの経の成り立ちである。多読を否定しているのではなく、読んだ量が身についた量だという錯覚を断ち切っている。
この章句が説くこと
千言と一句無益の句法句量と質
関連する章句
-
『法句経』第八 千の部 一〇六〜一〇八 一須臾の供養一〇六 一人は月々千回祠り、百歳を経、一人は一須臾たりとも修養せる人を供養せんに、其の供養は百歳の祠に勝る。 一〇七 人あり、百歳の間、林の中にて阿祁尼に奉事し、一人は一須臾たりとも修養せる人を供養せんに、其の供養は百歳の祠に勝る。 一〇八 世の中に、或は犠牲を供へ、或は火に供物を投じて福を求めて一年を通じて供養し、其全部を挙げても四分の一にも値ひせず、直者を礼敬するに如かず。
-
『法句経』第八 千の部 一一〇〜一一二一一〇 若し人寿百歳なるも悪戒散動なれば、一日生きて具戒静慮するに若かず。 一一一 若し人寿百歳なるも悪慧散動なれば、一日生きて具慧静慮するに若かず。 一一二 若し人寿百歳なるも懈怠怯弱なれば、一日生きて勇猛努力堅固なるに若かず。
-
『法句経』第八 千の部 一一三〜一一五 一日生きて生滅を見る一一三 若し人寿百歳なるも生と滅とを見ざれば、一日生きて生滅を見るに若かず。 一一四 若し人寿百歳なるも甘露処を見ずんば、一日生きて甘露処を見るに如かず。 一一五 若し人寿百歳なるも最上法を見ずんば、一日生きて最上法を見るに若かず。
-
『法句経』第一 双叙の部 一九・二〇一九 経文を誦むこと多しと雖も、此を行はざる放逸の人は、他人の牛を数ふる牧者の如く、宗教家の列に入らず。 二〇 経文を誦むこと少なしと雖も、法を遵行し、貪瞋癡を棄て、知識正当に、心全く解脱し、此世他世ともに執著することなき、彼は宗教家の列に入る。
-
『法句経』第九 悪行の部 一一六〜一一八 善に急げ一一六 善に急げ、悪に対して心を護れ、福を造りて怠り鈍れば、意は悪行を欣こぶ。 一一七 人若し悪を作すも此を再三する勿れ、悪を楽ふ勿れ、悪の積集は苦なり。 一一八 人若し福を作せば此を再三すべし、福を楽へ、福の積集は楽なり。
-
『法句経』第八 千の部 一〇九 寿と美と楽と力一〇九 能く礼敬を守り、常に長老を尊ぶものには四事増長す、寿と美と楽と力と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る