法句経 / 第五 愚闇の部 七五 利養の道と涅槃の道
七五 一は利養の道、一は涅槃の道、斯く通達する佛陀の弟子なる比丘は、名聞を好むべからず、益々遠離に住すべし。
新字:七五 一は利養の道、一は涅槃の道、斯く通達する仏陀の弟子なる比丘は、名聞を好むべからず、益々遠離に住すべし。
書き下し
七五 一は利養の道、一は涅槃の道、斯く通達する仏陀の弟子なる比丘は、名聞を好むべからず、益々遠離に住すべし。
現代語訳
一つは利益と供養を得る道であり、一つは涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に至る道である。このようにはっきりと知り分けた、仏陀の弟子である比丘(修行僧)は、名声を好んではならない。ますます世俗から遠く離れた境地にとどまるべきである。
解説
愚闇の部を締めくくる一偈で、直前の七三・七四偈で描かれた、尊敬や主権や供養を望む愚者の姿を受けている。利養とは、財や供物、敬意といった世間的な利得のことである。この偈は道を二つに分ける。一つは利養へ、一つは涅槃へ。どちらも修行の場から伸びているが、行き先はまったく違う。比丘は托鉢や供養によって生きるため、修行に励めば励むほど尊敬と供物が集まりやすい。そこに落とし穴がある。だから名聞を好むな、ますます遠離に住せと言う。遠離とは人を避けることではなく、世俗の評価から距離を置くことである。成果が上がると、評価や報酬のほうが目的にすり替わりやすい。自分がいまどちらの道を歩いているか、ときに確かめ直すことを促す一偈である。
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