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法句経 / 第一 双叙の部 一五〜一七 両処に憂ふ

一五 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は兩處に憂ふ、彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雜染の業を見て。 一六 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は兩處に喜ぶ、彼れ歡こび、彼れ喜こぶ、己の清淨の業を見て。 一七 現世に惱み、死して後惱み、罪を造れる人は兩處に惱む、「我れ惡を造れり」と惟うて惱み、惡趣に墮ちて更に惱む。

新字:一五 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は両処に憂ふ、彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雑染の業を見て。 一六 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は両処に喜ぶ、彼れ歓こび、彼れ喜こぶ、己の清浄の業を見て。 一七 現世に悩み、死して後悩み、罪を造れる人は両処に悩む、「我れ悪を造れり」と惟うて悩み、悪趣に堕ちて更に悩む。

書き下し

一五 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は両処に憂ふ、彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雑染の業を見て。 一六 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は両処に喜ぶ、彼れ歓こび、彼れ喜こぶ、己の清浄の業を見て。 一七 現世に悩み、死して後悩み、罪を造れる人は両処に悩む、「我れ悪を造れり」と惟うて悩み、悪趣に堕ちて更に悩む。

現代語訳

この世で憂え、死んだ後にも憂え、罪をつくった人は二つの場所で憂える。その人は憂え、その人は痛む。自分の汚れた行い(業)を見て。この世で喜び、死んだ後にも喜び、福をつくった人は二つの場所で喜ぶ。その人は歓び、その人は喜ぶ。自分の清らかな行いを見て。この世で悩み、死んだ後にも悩み、罪をつくった人は二つの場所で悩む。「私は悪をなした」と思って悩み、悪趣(地獄などの苦しみの世界)に堕ちてさらに悩む。

解説

双叙の部の後半に並ぶ四偈のうちの三偈で、次の十八偈と合わせて二組の対句をなす。現世と死後という「両処」に行いの報いが及ぶという、古代インドの業と輪廻の世界観がそのまま語られている。注目したいのは、報いの起点がどこに置かれているかである。十五・十六偈で人が憂え喜ぶのは「己の業を見て」であり、十七偈で悩むのは「我れ悪を造れり」と思うからである。死後の悪趣より先に、自分のしたことを自分で見るところに苦しみがある。誰かに罰せられる前に、記憶が罰になっている。逆に、清らかな行いを思い返せる人は、それだけで喜びを得る。仕事の場でも、評価より先に、自分がしたことを自分がどう見るかが残る。その自己評価が、次の行動を静かに方向づけていく。

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